【橋姫 04】八の宮の悲運の半生

父帝にも女御にも、とく後《おく》れきこえたまひて、はかばかしき御後見のとりたてたるおはせざりければ、才《ざえ》など深くもえ習ひたまはず。まいて、世の中に住みつく御心おきてはいかでかは知りたまはむ。高き人と聞こゆる中にも、あさましうあてにおほどかなる、女のやうにおはすれば、古き世の御|宝物《たからもの》、祖父大臣《おほぢおとど》の御|処分《そうぶん》、何やかやと尽きすまじかりけれど、行く方《へ》もなくはかなく失《う》せはてて、御調度などばかりなん、わざとうるはしくて多かりける。参りとぶらひきこえ、心寄せたてまつる人もなし。つれづれなるままに、雅楽寮《うたづかさ》の物の師どもなどやうのすぐれたるを召し寄せつつ、はかなき遊びに心を入れて生ひ出でたまへれば、その方《かた》はいとをかしうすぐれたまへり。

源氏の大殿《おとど》の御|弟《おとうと》におはせしを、冷泉院《れぜいゐん》の春宮《とうぐう》におはしましし時、朱雀院《すざくゐん》の大后《おほきさき》の横さまに思しかまへて、この宮を世の中に立ち継ぎたまふべく、わが御時、もてかしづきたてまつりたまひける騒ぎに、あいなく、あなたざまの御仲らひにはさし放たれたまひにければ、いよいよかの御次々になりはてぬる世にて、えまじらひたまはず。また、この年ごろ、かかる聖《ひじり》になりはてて、今は限りとよろづを思し棄てたり。

現代語訳

宮(八の宮)は、父帝(桐壺帝)にも母女御にも、早くに先立たれなさって、これといったしっかりした御後見がいらっしゃらなかったので、学問なども深く習うことは、おできにならなかった。まして、俗世間で生きていくための御心構えなどは、どうしてご存知でいらっしゃるだろう。身分の高い人と申しあげる中にも、この八の宮は、呆れるほど品がよく、おっとりして、女のようでいらっしゃるので、古い時代の御宝物、祖父大臣の御遺産など、あれやこれや尽きることもないほどあったはずだが、行く方もなくはかなく消え失せてしまって、御調度品だけは、いやに立派なのが多いのだった。宮のもとにお訪ね参り申し上げ、心を寄せ申しあげる人もない。所在のなさにまかせて、雅楽寮《うたづかさ》の演奏の名人などといった優れた楽人たちを召し寄せては、はかない音楽の遊びに熱中して、姫君たちはご成長なさったので、その方面にはまことに上手ですぐれていらっしゃるのだった。

宮(八の宮)は、源氏の大殿の御弟でいらっしゃったが、冷泉院が東宮でいらした時、朱雀院の大后(弘徽殿女御)が、あるまじき計略を考えて、この宮を東宮に立てようとなさって、ご自分の権勢の盛んな間に持ち上げ申し上げなさった騒ぎに、わけもなく、源氏方の御つきあいからは遠ざけられてしまわれたので、いよいよ源氏の一族が次々と御位につく世の中となってからは、世間とご交際もなさらない。また、ここ数年は、こうした聖のような具合になりはてて、今はもう最後とばかり万事、望みを断っていらっしゃる。

語句

■女御 巻頭にも「母方などもやむごとなく…」(【橋姫 01】)とあった。大臣家出身の女御。 ■才 政道に役立つ正式の学問。漢学。 ■
世の中に… 八の宮は処世術がない。 ■女のやうに 政治的手腕や処世術がまったくないことをさしていう。 ■祖父大臣 母女御の父大臣。 ■何やかやと 母方は大臣家などで遺産なども多かったのだが、宮の無頓着さから、それらが散逸した。 ■御調度 家具類や身の回りの品。 ■雅楽寮 律令制において治部省に属する機関。公的行事で雅楽を演奏し、演奏者を養成することが職務。歌師・舞師・笛師・楽師などの役職があった。 ■はかなき遊び たわいもない風流事。主に音楽。 ■冷泉院の春宮に 朱雀院が帝位に、冷泉院が東宮であった時代。 ■朱雀院の大后 朱雀院の母である弘徽殿女御がわが権勢を高めるために八の宮を担ぎ出そうとしたらしい。ここで初めて語られる出来事。 ■横さま ふつうでないさま。異常なさま。 ■この宮を世の中に… 八の宮は後ろ盾もなく処世術にも長けていないので、弘徽殿女御としては担ぎやすかったのだろう。 ■騒ぎ 政争の意をこめる。 ■あいなく 八の宮の意志とは無関係にの意をこめる。 ■あなたざま 源氏の一族。 ■かの御次々に 権勢が源氏の子孫に受け継がれる。現在の東宮も明石の中宮腹の第一皇子。第二皇子も「次の坊がね」(【匂宮 02】)とあった。 ■かかる聖になりはてて 北の方が亡くなってからのこと。

朗読・解説:左大臣光永