【橋姫 11】薫、大君に対面を願うも大君は応ぜず

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かく見えやしぬらんとは思しも寄らで、うちとけたりつる事どもを聞きやしたまひつらむ、といといみじく恥づかし。あやしく、かうばしく匂ふ風の吹きつるを、思ひがけぬほどなれば、おどろかざりける心おそさよ、と心もまどひて恥ぢおはさうず。御|消息《せうそこ》など伝ふる人も、いとうひうひしき人なめるを、をりからにこそよろづのこともと思《おぼ》いて、まだ霧の紛れなれば、ありつる御簾《みす》の前に歩み出でて、ついゐたまふ。山里びたる若人どもは、さし答《いら》へん言の葉もおぼえで、御|褥《しとね》さし出づるさまもたどたどしげなり。「この御簾《みす》の前にははしたなくはべりけり。うちつけに浅き心ばかりにては、かくも尋ね参るまじき山のかけ路《ぢ》に思うたまふるを、さま異《こと》にてこそ。かく露けき旅を重ねては、さりとも、御覧じ知るらむとなん頼もしうはべる」と、いとまめやかにのたまふ。

若き人々の、なだらかにもの聞こゆべきもなく、消えかへりかかやかしげなるもかたはらいたければ、女ばらの奥深きを起こしいづるほど久しくなりて、わざとめいたるも苦しうて、「何ごとも思ひ知らぬありさまにて、知り顔にもいかがは聞こゆべく」と、いとよしあり、あてなる声して、ひき入りながらほのかにのたまふ。「かつ知りながら、うきを知らず顔なるも世のさがと思うたまへ知るを、一ところしもあまりおぼめかせたまふらんこそ、口惜しかるべけれ。あり難う、よろづを思ひすましたる御住まひなどに、たぐひきこえさせたまふ御心の中《うち》は、何ごとも涼しく推しはかられはべれば、なほかく忍びあまりはべる深さ浅さのほども分かせたまはんこそかひははべらめ。世の常のすきずきしき筋には思しめし放つべくや。さやうの方は、わざとすすむる人はべりとも、なびくべうもあらぬ心強さになん。おのづから聞こしめしあはするやうもはべりなん。つれづれどのみ過ぐしはべる世の物語も、聞こえさせどころに頼みきこえさせ、また、かく世離れてながめさせたまふらん御心の紛らはしには、さしもおどろかさせたまふばかり聞こえ馴れはべらば、いかに思ふさまにはべらむ」など多くのたまへば、つつましく答《いら》へにくくて、起こしつる老人《おいびと》の出で来たるにぞゆづりたまふ。

現代語訳

姫君たちはこうして人から見られているだろうとはお思い寄りにもならないで、気をゆるしてのさまざまのふるまいをお聞きになられただろうと、とてもひどく恥ずかしい思いである。「妙に香ばしく匂う風が吹いていたけれど、思いもよらない折だったので、気づきもしなかった迂闊さよ」、と心も迷って恥ずかしがっていらっしゃる。中将からのご挨拶などを伝える人も、ひどく世間慣れしない人であるようだから、中将(薫)は、時と場所に応じて万事を処すべきとお思いになられて、まだ霧であたりがぼんやりしていたので、さっきの御簾の前に歩み出て、おひざまづきになる。いかにも山里ずまいといった感じの若い女房たちは、こうした貴人と向かい合って何と答えていいか、その言葉もわからないで、御敷物を差し出すようすぎこちない感じである。(薫)「この御簾の前では、きまりが悪うございます。突発的な浅い心だけでは、こうして尋ね参ることもできない険しい山路と思うのですが、この扱いは心外なことで。こうして露の多い旅を重ねているのですから、いくらなんでも、おわかりいただけているものと期待しております」と、とてもまじめそうにおっしゃる。

若い女房たちが、とどこおりなくお返事申し上げようもなく、消え入るように気恥ずかしそうにしているのも決まりが悪かったので、古女房たちが部屋の奥深くにいるのを起こして出してくるのに長い時間がかかって、わざとじらしているように見えるのも心苦しいので、(大君)「私どもは何ごともわきまえのないありさまで、知ったふうに答えようもございませんで」と、とても奥ゆかしく、品がある声で、その声をひそめながらほのかにおっしゃる。(薫)「一方では人の気持ちを知りながら、その辛い気持ちを知らぬ顔をするのも男女の常の駆け引きとわかってはおりますが、ほかならぬ貴女があまりおとぼけになることが残念ですよ。世に滅多になく、万事を思いすましている八の宮さまの明け暮れに一緒に住んでいらっしゃるお心の中は、何ごとも世俗のわずらわしさから解き放たれたものと推察されますので、やはりこうして我慢できない私の気持の深さ浅さのほどもご判断いただけてこそ、悟りがいのあることでございましょう。世の常の好色な方面のこととは切り離してお考えいただけませんか。そうした方面を、あえて私にすすめる人がございましても、傾くはずもない私の心の強さでございます。自然とそのうちお聞き合わせになることもございましょう。所在なくばかり過ごしておりますこの世の話も、聞かせがいのある相手に信頼してお話し申し上げ、また、こうして俗世を離れてぼんやり物思いに沈んでいらっしゃるだろう御心の紛らわしには、そうした話を私にお便りをしてくださる程度に親しく語らうことができましたら、どれほど願いが叶うことでしょうか」など言葉数多くおっしゃるので、気恥ずかしくて答えにくくて、さっき起こしていた老女房が出てきたのに応対をお任せになる。

語句

■匂ふ風の吹きつる 姫君たちは薫と気づく。 ■おうさうず 「御座す」は「あり」の尊敬語。 ■いとうひうひしき人 山里住まいで都人めいたやり取りなどに不慣れである。 ■をりからにこそ 不慣れな女房を介したのでは自分の真意が伝わらないと、自ら語りかける。 ■霧の紛れ 霧につつまれた宇治の雰囲気。 ■うちつけに浅き心ばかりにては… 一時的な好色心などではないという。 ■山のかけ路 険しい山道。宇治への道のりをいう。 ■さま異にて 会ってもくれないのが不本意だと訴える。 ■露けき度 宇治への道のりをいう。 ■さりとも いくら面会謝絶の方針だとはいっても。 ■消えかへり 恥ずかしく消え入りそうなようす。 ■女ばらの奥深き 年配の女房が部屋奥で寝ている。 ■わざとめいたるも苦して わざとじらして興味をそそっているように思われるのも不本意なので。 ■いとよしあり 前も「いますこし重りかによしづきたり」(【橋姫 10】)とあった。 ■かつ知りながら 相手の気持ちを知りながら。ここは一般論として言っている。 ■世のさが 男女のいつものかけひき。 ■一ところしも 特に大君に対して言っている。 ■涼しく 俗世のわずらわしさから開放されているかんじを「涼し」と表現。 ■分かせたまはん 相手の判断にゆだねる態で自己主張する。 ■世のすきずきし筋には思しめし放つべくや 源氏物語の男たちの決まり文句。「世のすきずきしき筋」と私だけは違うと主張しつつ、結局はいつも「世のすきずきしき筋」に流れる。 ■わざとすすむる人はべりとも 縁談を断りいまだに独身でいることを誇る。 ■つれづれとのみ過ぐしはべる世の物語も… 以下、現世に対する憂鬱を共有しあう友となってほしいと述べる。そういう関係には付き合っていくうちに自然となっていくものであり、こうズラズラッと口上を並べ立てられても、言われたほうは困惑するだけだろう。 ■など多くのたまへば さすがの筆者も「多く」と書いていることに注目したい。 ■つつましく答へにくくて 答えようがなく困惑する大君。そりゃそうだ。 ■起こしつる老人 前の「女ばらの奥深き」弁とよばれる老女房。

朗読・解説:左大臣光永

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