菊花の約 四

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もとより雲州(うんしう)は佐々木の持(もち)国(ぐに)にて、塩谷(えんや)は守護代(しゅごだい)なれば『三沢(みさわ)三刀屋(みとや)を助けて、経(つね)久(ひさ)を滅ぼし給へ』とすすむれども、氏綱は外(ほか)勇(ゆう)にして内怯(うちおびえ)たる愚将(ぐしやう)なれば果(はた)さず。かへりて吾を国に逗(とど)む。故(ゆゑ)なき所に永く居(を)らじと、己(おの)が身ひとつを窃(ぬす)みて国に還(かへ)る路(みち)に、此の疾(やまひ)にかかりて、思ひがけずも師(し)を労(わずらは)しむるは、身にあまりたる御恩(めぐみ)にこそ。吾半生(はんせい)の命(いのち)をもて必ず報(むく)ひたてまつらん」。

左門いふ。「見る所を忍びざるは人たるものの心なるべければ、厚き詞ををさむるに故(ゆゑ)なし。猶逗(なほとど)まりていたはり給へ」と、実(まこと)ある詞(ことば)を便りにて日比(ひごろ)経(ふ)るままに、物みな平生(つね)に邇(ちか)くぞなりにける。

此の日比(ひごろ)左門はよき友もとめたりとて、日夜(ひるよる)交(まじ)はりて物がたりするに、赤(あか)穴(な)も諸子(しょし)百家(ひやくか)の事おろおろかたり出でて、問ひわきまふる心愚(おろか)ならず、兵機(へいき)のことわりはをさをさしく聞えければ、ひとつとして相ともにたがふ心もなく、かつ感(めで)、かつよろこびて、終(つい)に兄弟の盟(ちかひ)をなす。赤穴五歳長じたれば、伯(あ)氏(に)たるべき礼儀ををさめて、左門にむかひていふ。    

現代語訳

もともと出雲の国は、佐々木氏の所領で、塩谷は守護代なので、「三沢、三刀屋を助けて経久を滅ぼすべきです」と(私は氏綱に)勧めたのですが、氏綱は外面は勇敢そうだが、内面は気の弱い愚将だったので、(私の勧めを)を果せず、それどころかかえって、私を近江の国に引き留めたのです。(私は)居る理由のないところに永く居ることはないと、身一つになってこっそりと逃亡したのですが、国へ帰る途中、此の病にかかり思いがけず貴方を煩わせているのは身にあまる御恩であります。私の後半生をかけて必ず御恩返しをいたしましょう」。

左門が言う。「人の不幸を見て、見捨てることができず、同情心を起こすのは、人間の本性でありますから、(そんな)丁寧なお礼を言われる理由はありません。このうえもここに逗留してご養生なさい」と親切な真心のこもった言葉を頼りに、日にちが過ぎていくままに、病も回復に向かっていった。

この数日間、左門はいい友達を得たと思って、日夜語り合ううちに、赤穴も諸子百家の事をぽつりぽつりと語り出し、質問や理解する心は優れていて、兵法の理論は的確であると聞えたので、何一つ、お互いに意見の合わないものは無く、一方ではそれを褒め、一方では喜んで終に義兄弟の契を交わした。赤穴が五歳年上だったので兄である礼を受け取り、左門に向って言う。

語句

■守護代-守護に代わって現地にり、政務を担当する者。「守護」は鎌倉幕府によって設けられた職制で、地方にあって国守とともに土地、住民を守護し、軍事警察の任にあたった。■三沢・三刀屋-共に出雲の国の豪族で、三沢為幸は今の島根県仁多郡、山刀屋為虎は飯石郡を領していた。■この日比-この数日の間。■窃(ぬす)みて-こっそりと抜け出ること。■師-左門が学者であるので敬っていた。■御恩にこそ-下に「あれ」が省略されている。■半生の命をもて-後半生の命をかけて。「もて」は「もちて」の略。■物みな平生に邇(ちか)くぞなりにける-からだの具合がほとんど平生の状態に変わりなくなった。「物みな」は、からだの具合。「ぞ…ける」は係結び■よき友もとめたりとて-よい友を得たと思って。格助詞「とて」は「と」と「て」の間にある動詞を省略した形であるから、ここは「思ふ」が省略された。■見る所を忍ばざるは-人の不幸を見捨てることができず、同情心を起こすのは人間の本姓である。■厚き詞-丁寧な言葉。。■諸子百家-中国の春秋・戦国時代、孔子、孟子以外で学説を立てた思想家、哲学者。■おろおろ-ぽつりぽつり。■わきまふる-理解する■兵機のことわり-「兵機」は用兵の機略で、兵法の事。兵法の道理、理論。■をさをさしく-「をさ」は「長」で、長じていること。的確なさま。■相ともに-お互いに。「相」は「おたがい」「ともに」の意の接頭語。■かつ感(めで)、かつよろこびて-一方では感心し、一方では喜んで。「かつ」は副詞で、二つのことが並んで起こることを表す。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永

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