貧福論 一
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雨月物語 巻之五
貧福論(ひんふくろん)
陸奥(むつ)の国蒲生(がまふ)氏郷(うぢさと)の家に、岡佐内といふ武士(もののふ)あり。禄(ろく)おもく、誉(ほまれ)たかく、丈夫(ますらを)の名を関の東に奮ふ。此の士(し)いと偏固(かたは)なる事あり。富貴をねがふ心、常の武扁(ぶへん)にひとしからず。倹約(けんやく)を宗(むね)として家の掟(おきて)をせしほどに、年を畳(つみ)て富み昌(さか)へけり。かつ軍(いくさ)を調練(たなら)す間(いとま)には、茶味翫香(さみぐわんかう)を娯(たの)しまず、庁上(ひとま)なる所に許多(あまた)の金(こがね)を布班(しきなら)べて、心を和(なぐ)さむる事、世の人の月花にあそぶに勝(まさ)れり。人みな左内が行跡(ふるまひ)をあやしみて、吝嗇(りんしよく)野情(やじやう)の人なりとて、爪(つま)はぢきをして悪(にく)みけり。
家に久しき男(をのこ)に黄金(わうごん)一枚(まい)かくし持ちたるものあるを聞きつけて、ちかく召(めし)ていふ。「崑山(こんざん)の璧(たま)もみだれたる世には瓦礫(ぐわれき)にひとし。かかる世にうまれて弓矢とらん體(み)には、棠谿(たうけい)・墨陽(ぼくやう)の剣(つるぎ)、さてはありたもの財宝(たから)なり。されど良(よき)剣(つるぎ)なりとて千人の敵(あた)には逆(むか)ふべからず。金の徳は天(あま)が下の人をも従(したが)へつべし。
武士たるもの漫(みだり)にあつかふべからず。かならず貯(たくは)へ蔵(をさ)むべきなり。汝(なんじ)賤(いや)しき身の、分限(ぶげん)に過ぎたる財(たから)を得たるは鳴呼(をこ)の事(わざ)なり。賞(しやう)なくばあらじ」とて、十両の金を給ひ、刀(かたな)をも赦(ゆる)して召(めし)つかひけり。人これを伝え聞きて、「左内が金をあつむるは長啄(ちゃうたく)にして飽(あか)ざる類(たぐひ)にはあらず。只当世の一奇士(きし)なり」とぞいひはやしける。
其の夜左内が枕上(まくらがみ)に人の来たる音しけるに、目さめて見れば、灯台(とうだい)の下(もと)に、ちひさげなる翁の笑(ゑみ)をふくみて座(を)れり。左内枕をあげて、「ここに来るは誰(た)そ。我に粮(かて)からんとならば力量(りきりゃう)の男どもこそ参りつらめ。汝がやうの耄(ほけ)たる形(さま)してねふりを魘(おそ)ひつるは、狐(きつね)狸(たぬき)などのたはむるるにや。何のおぼえたる術(わざ)かある。秋の夜の目さましに、そと見せよ」とて、すこしも騒(さわ)ぎたる容色(いろめ)なし。
翁いふ。「かく参りたるは魑魅(ちみ)にあらず人にあらず、君がかしづき給ふ黄金(わうごん)の精霊(せいれい)なり。年来(としごろ)篤(あつ)くもてなし給ふうれしさに、夜話(よがたり)せんとて推(おし)てまゐりたるなり。君が今日家の子を賞(しやう)じ給ふに感(めで)て、翁が思ふこころばへをもかたり和(なぐ)さまんとて、仮(かり)に化(かたち)を見(あら)はし侍るが、十にひとつも益(やう)なき閑談(むだごと)ながら、いはざるは腹みつれば、わざとにまうでて眠(ねふり)をさまたげ奉る。
現代語訳
陸奥の国蒲生氏郷に仕える岡左内という武士がいた。高禄を得て、武勇の誉れ高く「ますらお」の名は東国一帯に高かった。しかし、此の武士はかなり偏屈なところがあった。金への執着心が一般の人とは違い、かなり強かったのだ。倹約を旨として、家を取り締まってきたので長年の間に富栄えていった。また、士卒を訓練する合間にも一般の武士のように茶の湯や香道を楽しむというのではなく、一室にたくさんの黄金を敷き並べ、これを眺めて心の慰めとし、世の中の人たちが月や花を愛でて心を慰めるのに勝るありさまであった。人は皆、そのような左内の行いを不快に思い、ケチで賤しい根性の人だとして、爪はじきにして、憎んでいた。
ある時、左内の家に長く仕える下男の中に黄金一枚を隠し持っているものがいるという話を聞きつけて、ちかくに呼び寄せて言った。「崑崙山(こんろんざん)の名玉もこのような乱世にあっては瓦礫に等しい。こんな世に武士と生まれて、望むべきは、棠谿(たうけい)・墨陽(ぼくやう)の剣(つるぎ)、その上に持ちたいのは財貨である。しかし、どんな名剣でも千人の敵を相手に戦うことはできない。財貨の徳は天下の人をも従えることができる。武士たるものこれをみだりに扱ってはならぬ。必ず貯えておくのだぞ。汝のような賤しい者が、身分に合わぬ財貨を得たのは、まったく愉快なことだ。何かの褒美を与えなくてはならぬな。」と言って、十両の金を与え、帯刀も赦して士分に取り立ててやった。世の人はこのことを伝え聞いて、「左内が金を蓄(た)めているのは貪欲でむさぼり飽きぬ類(たぐい)ではなかった。彼は只、当世に珍しい奇人なのだ」と誉めそやした。
其の夜、左内の枕元に人が来た音がしたので、目を覚ましてみると、灯火台(ともしび)の下に、小人の老翁が笑いながら座っていた。左内は枕を上げて、「そこに来たのは誰だ。俺に食物でも借りようとするならたくましく力のある男どもが来そうなものだ。それをお前のような老いぼれた奴が俺の眠りを覚ましにやって来たとは、狐か狸の戯れか。どんな芸を知っているというのだ。秋の夜の目ざましに少しやってみるがいい」と、少しも驚き騒ぐ気色がない。
老翁は言った。「ここにやって来たのは魑魅(ちみ)でもなく、人でもなく、普段あなたが崇め奉る黄金の精霊である。あなたの長年の手厚いもてなしが嬉しくて、夜話りしようと無理してやってきたのだ。あなたが今日、下男を褒め賞を与えたことに感じ入り、我が思う心の内などを語り慰もうと、こうして仮の姿を現したが、私の話ですから十に一つも利益のない無駄話ですが、いいたいことをいわないでおくのも不快ですから、わざわざ参上し、あなたの眠りを妨げた次第だ。
語句
■貧福論-「貧」は貧賤、「福」は富貴。この二つをめぐっての論議の意。■陸奥の国-狭義で今の青森・岩手両県にまたがる国をいうが具体的には蒲生氏郷の所領となった、会津地方を指す。■蒲生氏郷-近江国蒲生郡出身で、信長・秀吉に従い、若くから武名の高かった武士。奥州会津若松九十二万石の城主。文禄四年(1595)、朝鮮半島に出兵して戦病死。四十歳。■岡左内-詳しくは岡野左内。初め蒲生家、後に上杉家に仕えた勇士。倹約と蓄財で知られ、『老士語録』等に逸話がある。秋成も『世間妾形気』でその名を引く。■偏固(かたは)-かたよった。■武扁-武辺。武家の事。■調練(たなら)す-手馴(たな)らす。訓練し統率する。■茶味翫香(さみぐわんかう)-茶道と香道。武家の好んだ風流事。■庁上(ひとま)-一室。■和(なぐ)さむる-「慰める」に同じ。■吝嗇(りんしよく)野情(やじやう)-下賤な俗情。武士階級では一般に清貧の名を尚び、金銭への執着を品性低いこととした。吝嗇(けち)で賤しい根性。■黄金-ここでは金貨(小判・大判)をいう。■崑山-中国の神話伝説に出てくる西方の名山。名玉を産するとされる。■瓦礫-瓦と小石。無価値なもの。■棠谿(たうけい)・墨陽(ぼくやう)-共に中国の地名。名剣を産した。■さては-それからまた。そのほかには。■ありたきもの-あってほしいもの。■逆(むか)ふ-対抗するの意。■賤しき身-『常山紀談』、『翁草』共に、この下男を「馬取りの下部」とする。■分限(ぶげん)-分際(ぶんざい)。■鳴呼(をこ)の事(わざ)-笑うべきこと。武士らしく、下男の分に過ぎた行為を笑いながら、逆にその行為を賞賛する言葉として解したい。■刀をも云々-帯刀を許して士分に取り立てた。■長啄(ちゃうたく)-「啄」は「喙(くちばし)」の誤り。「長頸烏喙(ちようけいうかい)」の略。貪欲なこと。■灯台-本来は古代に用いられた油火を灯す木製の道具。当時使用のものを古代的な名で呼んだか。■ちひさげなる翁-物の精霊が「翁」の姿で現れたのは『今昔物語集』巻二十七・第五の「長(たえ)三尺バカリナル小サキ翁」等。■力量の男ども-たくましく、力のある男。■耄(ほけ)たる-老いぼれた、ぼけた。■術(わざ)-幻術、軽業等の術。■そと-「そーと」の略。ちょっと。すこし。■魑魅(ちみ)-山林に棲むとされる怪物、妖怪。■黄金の精霊-金銭の霊が人間になって現れるという趣向は、中国の魯褒の『銭神論』など早くからあり、『伽婢子』巻五の「和銅銭」でも「浅黄の直衣」を着た「銭の精霊」が長柄の僧都と対話問答する話がある。■家の子-家に奉公する下人。■こころばへ-日頃考えていること、内容。■化(かたち)-本来の姿ではなく別な形になることを「化」という。「かたち」はその語意。■いはざるは云々-『徒然草』十九段の「おぼしき事いはぬは腹ふくるるわざ」のように諺となっていた用語を利用した表現。
備考・補足
■左内が黄金を愛玩し、金貨を室内に敷き並べて楽しんだ逸話、また「黄金」一枚を持った下男を呼び、その心がけを厚く賞した逸話は有名である。
■左内の精霊への対応は、『西山物語』中の大森七郎が怪異に平然たるところと酷似する。また左内の人柄その名剣論や武士としての金銭観は、そのまま大森七郎への鋭い批判となる。つまり本篇を『西山物語』への批判的執筆として読むことができる。
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