青頭巾 五

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一とせ速(はや)くたちて、むかふ年の冬十月(かみなづき)の初旬(はじめ)、快庵大徳、奥路(あうろ)のかへるさに又ここを過ぎ給ふが、かの一宿(よ)のあるじが荘(いへ)に立ちよりて、僧が消息(せうそく)を尋ね給ふ。荘主(あるじ)よろこび迎へて、「御僧の大徳によりて鬼ふたたび山をくだらねば、人皆浄土にうまれ出でたるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて、一人としてのぼるものなし。さるから消息(せうそく)をしり侍らねど、など今まで活(いき)ては侍(はべ)らじ。今宵(こよひ)の御泊(おとま)りにかの菩提(ぼだい)をとふらひ給へ。誰も隨縁(ずいえん)したてまつらん」といふ。

禅師いふ。「他(かれ)善果(ぜんくわ)に基(もとづき)て遷化(せんげ)せしとならば道に先達(せんだち)の師ともいふべし。又活きてあるときは我がために一個(ひとり)の徒弟(とてい)なり。いづれ消息(せうそく)を見ずばあらじ。」とて、復(ふたた)び山にのぼり給ふに、いかさまにも人のいきき絶(たえ)たると見えて、去年(こぞ)ふみわけし道ぞとも思はれず。

寺に入りて見れば、萩(をぎ)・尾花のたけ人よりもたかく生茂(おひしげ)り、露は時雨めきて降りこぼれたるに、三(みつ)の径(みち)さへわからざる中に、堂閣の(だうかく)の戸右左に頽(たふ)れ、方丈(ほうぢやう)庫裏(くり)に縁(めぐ)りたる廊(らう)も、朽目(くちめ)に雨をふくみて苔(こけ)むしぬ。さてかの僧を座(を)らしめたる簀子(すのこ)のほとりをもとむるに、影のやうなる人の、僧俗ともわからぬまでに髭(ひげ)髪(かみ)もみだれしに、葎(むぐら)むすぼほれ、尾花おしなみたるなかに、蚊(か)の鳴(なく)ばかりのほそき音(こゑ)して、物とも聞えぬやうにまれまれ唱(とな)ふるを聞けば、

江月照松風吹   

(かうげつてらししょうふうふく)

永夜清宵何所為 

(えいやせいせうなんのしょゐぞ)

禅師見給ひて、やがて禅杖(ぜんぢやう)を拿(とり)なほし、「作麼生何所為(そもさんなんのしょい)ぞ」と、一喝(いつかつ)して他(かれ)が頭(かうべ)を撃(うち)給へば、忽ち氷(こほり)の朝日にあふがごとくきえうせて、かの青頭巾と骨(ほね)のみぞ草葉にとどまりける。
現(げ)にも久しき念のここに消(せう)じつきたるにやあらん。たふときことわりあるにこそ。

されば禅師の大徳、雲の裏(うら)海の外にも聞えて、「初祖(しよそ)の肉(にく)いまだ乾(かわ)かずとぞ称嘆(しようたん)しけるとなり。かくて里人あつまりて、寺内を清め、修理(しゆり)をもよほし、禅師を推(おし)たふとみてここに住ましめけるより、故(もと)の蜜宗(みつしゆう)をあらためて、曹洞(さうどう)の霊場(れいぢやう)をひらき給ふ。今なほ御(み)寺はたふとく栄(さか)えてありけるとなり。

現代語訳

一年は早く過ぎ、翌年の冬、十月のはじめ、快庵禅師は奥州への旅からの帰り道、又、この地を通られたが、あの一宿(よ)の荘主(あるじ)の家に立ち寄り、その後の山の法師の様子をお訊きになった。荘主(あるじ)はよろこんで迎え、「お坊様の御高徳によってあの鬼は二度と山を下りて来ませんから、人は皆、浄土に生まれ変わったように喜んでおります。しかしながら、山に登ることを怖がっており、一人として登って行く者はおりません。ですから、その後のことはわかりませんが、どうして今まで生きていることがありましょうか。今夜のお泊りではあの法師の菩提(ぼだい)を弔ってください。皆で回向いたしましょう」と言った。

禅師は、「あの法師が善行した結果で成仏したのなら、悟りによっ成仏する道の先輩の師と言える。しかし、生きているのであればわしにとって、さらに教えるべき一人の弟子である。いづれにしてもその後の様子を見届けぬわけにはゆかぬ」と言って、再度、山に登られたが、なるほど、人の行き来が絶えていると見えて、雑草が生い茂り、荒れ果てて、去年通った道とも思えなかった。寺に入ってみると、荻・薄が、人の背丈よりも高く生い茂り、草木の上の露は時雨のように降りこぼれており、門への道、井戸へ行く道、厠へ行く道の三道もわからない中に、本堂や経閣の戸は右や左に打ち倒れ、方丈や庫裏を取り巻く廻廊も、朽ちた部分に雨を含んで苔むしている。さて、あの法師を座らせていた簀子のあたりを探してみると、影のようにうすぼんやりとした人が、僧とも俗人ともわからないまでに髭・髪も伸び放題に乱れ、草木のつるがからみつき、薄が一面に伏しなびく中で蚊の鳴くような小さな声で、物を言っているとも聞えないがぽつりぽつりと言っているのを耳を澄まして聞くと、

「江月照松風吹 永夜清宵何所為」(江月照し松風吹く 永夜清宵何の所為ぞ)

禅師はこれを見られて、やがて禅杖を取り直し、「如何にっ。何の所為かっ」と喝を与え、法師の頭を打たれると、その一瞬に、法師のおぼろな姿は、氷が朝日に合うように消え失せてしまい、後にはあの青頭巾と白い骨だけが草葉の中に落ち留まっていた。まことに長い間の執念が、やっとここで消え尽したのであろう。ここには尊い仏の道の道理があるに違いない。

そうしたわけで、禅師の高徳は、雲の彼方、海外にまで聞こえて、「達磨大師がまだ生きておられるようだ」と称賛されたということである。このようなことがあり、里人が集まって、寺を清め、修理を施し、禅師を推し立ててここに住まわせたことにより、快庵禅師は元の真言を改め、曹洞宗の霊場を開かれたということである。現在でもなお、この大中寺は尊く栄えているということである。

語句

■むかふ年-翌年。■奥路(あうろ)-奥州への旅。■かへるさ-帰る途中。■消息-その後の様子。■さるから-それゆえに。■など-「など」は「どうして~であろうか、~ではない」という意味の反語の副詞だから、「侍らん」で終るのが普通。作者は意識的にこの呼応を破格している。■菩提-冥福。■誰も-「たれかれ」(あの人もこの人も)を略した表現か。■隨縁-共に回向することによって仏縁にあやかること。■善果-善行の報い。■遷化-僧侶の死を尊んで言う語。■とならば-~というのならば。近世語法の一つ。■道-仏法の、悟りによって死を観ずる道。■先達-道の悟りに於いての先輩。指導者。■活きてあるときは-僧が生きているかぎり、悪業から逃れ成仏できない事を予見しているわけである。■いづれ-いづれにしても。■いかさまにも-なるほど。■三径-「三径は門にゆくみち、井へゆくみち、厠へゆくみち也」(河海抄)。■庫裏-寺の台所。■朽目-腐れ朽ちた部分。■影のやうなる人の-この世の人ではないことを暗示する表現。■葎-生い茂って藪(やぶ)のようになる、つる草の総称。■むすぼほれ-からみつく。■おしなみたる-一面に伏しなびいているさま。■物とも聞えぬやうに-何か言っているとは受け取れないさま。■まれまれ-ごく稀にしか物を言わぬさま。ぽつち、ぽつりと。■作麼生(そもさん)-禅宗の用語。「いかに、どうだ」と叱咤して問う語。■一喝-禅の用語で、激しく「喝」と叫び、悟りを導く。■氷の朝日にあふがごとくきえうせて-みるみる消えるさま。■雲の裏-雲の彼方。遠国。■初祖-禅宗の開祖達磨大師。■蜜宗-真言宗。■曹洞-禅宗の一派。曹洞宗。■霊場-霊験あらたかな道場。ここでは御寺。■御寺-太平山大中寺。

備考・補足

■この部分は、古くから伝わる話で、死後も白骨が経文を呪していたとする往生説話の連想も不可欠である。ただ古い往生説話における往生の一念は、ここでは「直くたくましい性」ゆえの煩悩と理性との相克・葛藤の業苦としてとらえられていて、院主の執念はそのまま院主の哀れさとなって浄化されることになる。

<参考文献一覧>
本資料作成にあたり以下の文献を参考にしました。

・英草紙 西山物語・雨月物語・春雨物語

  一九九五年十一月十日 第一版第一冊発行
  ニ〇〇三年七月二〇日第一版第三冊発行
  発行所 小学館

・古典新釈シリーズ25 雨月物語

  一九七八年四月二十五日 初版発行
  ニ〇〇余年       重版発行
  著者 太刀川 清
  
・三省堂 全訳 読解古語辞典

  二〇十三年一月十日 第一冊発行

・完訳 日本の古典 第五十七巻 雨月物語 春雨物語

  昭和58年9月30日初版発行
  発行所 小学館

・マンガ 日本の古典 雨月物語

  一九九六年十二月十日初版印刷
  一九九六年十二月二十日初版発行
  著者 木原敏江
  発行所 中央公論社  

・図説日本の古典17 上田秋成   

  一九八九年八月二十三日 新装第一刷発行
  著者代表 松田 修
  発行所 株式会社 集英社

・雨月物語

  一九七六年三月三十日 初版発行
  一九九七年四月十日  5版発行
  原本所蔵者 国立国会図書館
  発行者   池嶋洋次
  発行所   (株)勉誠社

・日本の名作映画集28 雨月物語
 
  監督 溝口 健二
  出演 京マチ子/森雅之

・雨月物語(上)

  著者 青木政次
  1981年6月10日 第1冊発行
  1994年12月20日 第21冊発行
  発行所 株式会社講談社

・改訂版雨月物語

  発行者 青木誠一郎
  発行所 角川学芸出版
  平成十八年七月二十五日 初版発行
  平成十九年十月十五日  三版発行
  
・雨月物語

  校訂者 高田 衛・稲田篤信
  発行所 株式会社 筑摩書房
  一九九七年十月九日 第一刷発行

・雨月物語精読

  編者 稲田篤信
  発行所 勉誠出版(株)
  ニ〇〇九年四月一日 初版発行

・水木しげるの【雨月物語】

  著者 水木しげる
  一九八五年七月二十日初版発行
  一九九二年八月二五日六版発行
  発行所 河出書房新社

朗読・解説:左大臣光永

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