白峯 一

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あふ坂の関守(せきもり)にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過ごしがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海(なるみ)がた、不尽(ふじ)の高嶺(たかね)の煙(けぶり)、浮嶋がはら、清見が関、大磯(いそ)こいその浦々、むらさき艶(にほ)ふ武蔵野の原、(しほがま)の和(な)ぎたる朝げしき、象潟(きさがた)の蜑(あま)が苫(とま)や、佐野の船(ふな)梁(ばし)、木曽の桟橋(かけはし)、心のとどまらぬかたぞなきに、猶(なほ)西の国の歌枕見まほしとて、仁安(にんあん)三年の秋は、葭(あし)がちる難波(なには)を経(へ)て須磨(すま)明石(あかし)の浦ふく風を身にしめつも、行(ゆく)ゆく讃岐(さぬき)の真(み)尾坂(をざか)の林(はやし)といふにしばらく杖(つゑ)を 植(とど)む。草枕(くさまくら)はるけき旅路の労(いたはり)にもあらで、観念(くわんねん)修行(しゅぎょう)の便(たより)せし庵(いほり)なりけり。

現代語訳

逢坂山の関守に関を通過することを許されてから、秋こし山の紅葉を見過ごすことはできず、浜千鳥が足跡を踏みつける鳴海潟、大磯小磯の浦々、むらさき草香る武蔵野の原、塩竈の風の凪いだ朝のけしき、象潟の漁師のあばら屋や、佐野の舟橋(舟をわたして橋としたもの)、木曽の架け橋、皆、心が引き留められたが、やはり西の国の歌枕を見たいということで、仁安三年(1168)の秋は、(あしの花散る)難波を経て、須磨明石の浦ふく風を身にしめながらも、ゆくゆくは讃岐の真尾崎(みおざか)の林という所にしばらく杖を留める。野宿を重ねてきた旅路の労をいたわろうということではなく、仏道修行のために庵を結んだのだ。

語句

■白峯-香川県坂出市青海町にあり崇徳院の御陵がある。■あふ坂-京都と滋賀の境にあった関■関守(せきもり)にゆるされて-逢坂の関の万人に通行を許されて。■秋こし山の黄葉-秋が来て色づいた山の紅葉。■浜千鳥の跡ふみつくる-浜千鳥が砂浜に降り立って足跡をつける。「のは「が」の意で主格を表す格助詞。■鳴海(なるみ)がた-愛知県名古屋市緑区鳴海町付近の干潟■不尽(ふじ)の高嶺(たかね)-「不尽」は「富士」で富士山。富士山は昔は活火山であった。■浮嶋がはら-静岡県富士市浮島沼付近の沼沢地。歌枕。■清見が関-静岡県静岡市清水区興津清美寺町にあった関所。歌枕。■大磯(いそ)こいそ-大磯・小磯ともに神奈川県大磯町にある。歌枕。■むらさき艶(にほ)ふ武蔵野の原-紫草の美しく咲く武蔵野■塩竃-宮城県塩釜市の海。■和(な)ぎたる-海が穏やかなようす。■象潟(きさがた)-秋田県由利郡象潟町。当時は入江であった。歌枕。「蜑(あま)が苫(とま)や」は、苫で屋根を葺いた漁夫の家。粗末な漁夫の家をいう。■佐野の船(ふな)梁(ばし)-群馬県高崎市の南部、佐野の鳥川に架せられた、船を並べ板を渡した橋。歌枕。■木曽の桟橋(かけはし)-木曽川上流地方のけわしい崖や山道にかけられた橋。■見まほしとて-見たいと思って。「まほし」は希望の助動詞。■仁安(にんあん)三年-1168年。高倉天皇の代。西行51歳。崇徳院没後四年目。■葭(あし)がちる-「難波」の歌枕でもある。■須磨・明石の浦-兵庫県の神戸・明石の海岸。源氏物語以降の名勝地。■しめつも-しみじみと感じながら。■真(み)尾坂(をざか)-香川県坂出市王越町にある。今でもそこに西行庵の跡がある。■林といふに-林という所に■杖(つゑ)を 植(とど)む-逗留する。■労-「労苦(いたはり)」。■悟りの道を念じて仏道修行すること。■便(たより)せし庵(いほり)-よすが(身や心を寄せるよりどころ)として結んだ庵(小さい簡単な住居。草ぶきの小屋。隠遁(いんとん)者また僧尼の住む家。)

この里ちかき白峰といふ所にこそ、新院(しんゐん)の陵(みささぎ)ありと聞きて、拝(をが)みたてまつらばやと、十月(かみなづき)はじめつかた、かの山に登(のぼ)る。松柏(まつかしわ)は奥深く茂(しげ)りあひて、青雲(あをぐも)の軽(た)靡(なび)く日すら小雨(こさめ)そぼふるがごとし。
  
児(ちご)が獄(だけ)といふ嶮(けは)しき獄(みね)背(うしろ)に聳(そばだ)ちて、千仞(せんじん)の谷底(たにそこ)より雲(くも)霧(きり)おひのぼれば、咫尺(まのあたり)をも鬱悒(おぼつかなき)ここ地(ち)せらる。

木立(こだち)わづかに開(すき)たる所に、土高(つちたか)く積(つみ)たるが上に、石を三(みつ)がさねに畳(たた)みなしたるが、荊蕀(うばら)薜蘿(かづら)にうづもれてうらがなしきを、これならん御墓(みはか)にやと心もかきくらまされて、さらに夢(ゆめ)現(うつつ)をもわきがたし。

現代語訳

この里にちかい白峯という所は、崇徳院の陵があると聞いて、拝み奉らなくてはと、十月はじめごろ、その山に登る。松柏は奥深く茂り合い、青空に雲のたなびく日すら、小雨がしょぼしょぼ降るようである。

児が嶽という険しい嶺がうしろにそびえ立ち、千仞もあろうという谷底から霧が這い上がると、目の前さえはっきり見えない心地がする。

木立の間がわずかに空いているところに、土を高く積んだ上に、石を三つ重ねて畳みあげたのが、茨やつる草に埋もれてなんとなく侘しいのを、これでこそが御墓であろうかと心もかきくもらせられて、まったく夢も現もわかちがたい気持ちになる。

語句

■新院-七十五代崇徳天皇。退位後、先帝後鳥羽上皇を一院または本院と呼ぶのに対していう。元永二年(1119)生まれ、保安四年(1123)即位、 永治元年(1141)退位、保元元年(1156)、後白河法皇に叛して保元の乱を起こすが敗れ、讃岐に配流、長寛二年(1164)、八月二十六日崩御、四十六歳。その悲劇的な死のため、長く御霊(ごりょう)(祟る神)とし恐れられた。■はじめつかた-上旬。「つ」は連体修飾語を飾る格助詞。■「軽(た)靡(なび)く」は秋成の造語。■児(ちご)が獄(だけ)-白峰北側の大絶壁■咫尺(まのあたり)-距離が極めて近いことを表す。■鬱悒-はっきりしない。ぼんやりしている。■荊蕀(うばら)薜蘿(かづら)-地を覆い尽く隠す繁茂した雑草。野薔薇と蔓草。■うらがなし-なんとなく悲しい。■これならん御墓(みはか)にや-これが御墓であろうか。■心もかきくらまされて-心も真っ暗になって。呆然とすること。■さらに-下に打消しの語を伴って、「少しも」「まったく」。■わきがたし-「わき」は区別する。判断するの意。

            
現(げ)にまのあたりに見奉りしは、紫宸(ししん)清涼(せいりゃう)の御座(みくら)に朝(おほ)政(まつりごと)きこしめさせ給ふを、百(もも)の官人(つかさびと)は、かく賢(さか)しき君ぞとて、詔(みこと)恐(かしこ)みてつかへまつりし。

近衛院(このゑのゐん)に禅(ゆづ)りましても、藐如(はこ)射(や)の山(やま) の瓊(たま)の林(はやし)に禁(し)めさせ給ふを、思ひきや、麋(び)鹿(ろく)のかよふ跡のみ見えて、詣(まうで)つかふる人もなき深山(みやま)の荊(おどろ)の下に神がくれ給はんとは。

万乗(ばんじょう)の君にてわたらせ給ふさへ、宿世(すくせ)の業(ごふ)といふもののおそろしくもそひたてまつりて、罪をのがれさせ給はざりしよと、世のはかなきに思ひつづけて涙わき出づるがごとし。

終夜(よもすがら)供養(くやう)したてまつらばやと、御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて、経文(きゃうもん)徐(しづ)かに、誦(ず)しつつも、かつ歌よみてたてまつる。
 

松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり

猶((なほ))、心怠(おこた)らず供養(きようやう)す。露いかばかり快(そで)にふかかりけん。

現代語訳

実際に目の前に崇徳院のお姿を拝したのは、紫宸殿・清涼殿の御座に天下の政をお治めになっていた時だが、多くの役人たちは、このように徳の高い君主であることよといって、ご命令を畏まって受けて、お仕え申し上げていた。

近衛院に譲位なさってからも、上皇の御座所(仙洞御所)にいらしたのに、思いもしなかったことよ。野鹿の通う足跡だけが見えて、詣で仕える人もない深山の雑草の下にお隠れになろうとは。

天下万民をお治めになった天子としてあられたにも関わらず、前世からの因縁というのに恐ろしいことに付きまとわれて、罪をのがれるなさることができずいらしたことよと、世のはかなさにしみじみ感じ入って、涙が湧き出すようだ。

一晩中供養し奉らねばと、御墓の前の平らな石の上に座って、経文をしずかに唱えつつも、また歌を詠んで奉る。

松山の…

松山の浪のよせる景色は昔のままだが、わが君は潟(方)なく、お亡くなりになった。

それでもやはり、心に怠りなく供養する。露の涙、どれほど袖にふりかかっただろうか。

語句

■現(げ)にまのあたりに見奉りしは-実際、親しくお姿を拝したのは。■紫宸(ししん)清涼(せいりゃう)の御座(みくら)-紫宸(ししん)は大内裏正殿、清涼は中殿で帝の御座所。■御座(みくら)-天皇の御座席。玉座。■朝(おほ)政(まつりごと)きこしめさせ給ふ政務を-執り行う。■賢(さか)しき君-崇徳帝が賢君であった史実はない。■詔(みこと)-天皇のお言葉■恐(かしこ)みて-恐れ多い。もったいない。■近衛院(このゑのゐん)-崇徳帝の異母弟。母は美福門院■、藐如(はこ)射(や)の山(やま)-上皇の御座所。『荘子』によると仙人の住んでいたと山で、退位して政治を離れ、世俗から離れた上皇や法皇を仙人にたとえて、その御所を「藐如(はこ)射(や)の山(やま)」という。■瓊(たま)の林(はやし)-美しい山、転じて宮殿・御殿。■禁(し)めさせ給ふ-住んでおられる。■思ひきや-思って見たであろうか。思ってもみなかった。■麋(び)鹿(ろく)-野鹿(大鹿と鹿)。■神がくれ-神となっておかくれになる意から、天皇の崩御をいう。■万乗(ばんじょう)の-天子のこと。天皇。中国の周の制度によると、天使は兵車万乗(一万輌)を所有できたことから出た言葉。■宿世(すくせ)の業(ごふ)-前世でした悪い因縁。■誦(ず)しつつも-唱えながら。「誦す」は声をたてて唱えること。■世のはかなきに思ひつづけて-崇徳院の不運な生涯から、ひいては現世の無常やはかなさまで、次々と思ひが繰り広げられたのである。■終夜-一晩中。■供養-死者の霊に供え物を供えて、経を唱えたりして冥福を祈ること。■誦(ず)しつつも-唱えながら。■かつ-一方では。■松山の云々-松山は香川県坂出市にある。かたなくはむなしく。形は潟の掛詞。

日は没(い)りしほどに、山深き夜のさま常(ただ)ならね、石(いし)の床(ゆか)木(この)葉(は)の衾(ふすま)いと寒く、神(しん)清(すみ)骨(ほね)冷(ひえ)て、物とはなしに凄(すさま)まじきここちせらる。月は出(い)でしかど、茂(しげ)きが林(もと)は影をもらさねば、あやなき闇(やみ)にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく「円(ゑん)位(ゐ)、円(ゑん)位(ゐ)」と呼ぶ声す。

眼(め)をひらきてすかし見れば、其の形(さま)異(こと)なる人の、背(せ)高く痩(やせ)おとろへたるが、顔のかたち、着たる衣の色(いろ)紋(あや)も見えで、こなたにむかひて立(た)てるを、西行もとより道心(だうしん)の法師(ほふし)なれば、恐(おそ)ろしともなくて、「ここに来(き)たるは誰(た)ぞ」と答ふ。

かの人いふ。「前(まえ)によみつること葉(のは)のかへりこと聞えんとて見えつるなり」とて、

松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな

現代語訳

日が没する頃、山深き夜の様子は常ならぬものがあるが、石の床木の葉の夜具はとても寒く、身も心も冷え冷えして、なんということはないが、物凄い心地がする。

月は出ているが、茂り合う林は月の光をもらさないので、先の見えない闇にわびしい気持ちで、眠るともない気持ちでいると、まさにその時、「円位、円位」と呼ぶ声がする。

眼を開いてすかし見れば、その様子が普通と違っている人が、背は高くやせ衰えているが、顔のかたち、来ている衣の色や柄も見えずに、こっちに向いて立っているのを、西行はもとより仏道修行の法師であるので、恐ろしいとも思わず、

「ここに来たのは誰だ」と答える。かの人は言う。「さっき詠んだ歌の返事を聞かせようということであらわれたのだ」といって、

松山の…

松山の浪に流れて来た船が、すぐにむなしく朽ち果ててしまったように、我が身は朽ち果ててしまったことよ。

語句

■露いかばかり快(そで)にふかかりけん-夜露と涙との二重表現。夜露の為にどれほど袖を蒸らしたことであろう。■常(ただ)ならね-無気味で何か起こりそうである。■衾-夜具。散りかかる木の葉を、まとうに足らぬ夜具に見立てた。■神(しん)清(すみ)骨(ほね)冷(ひえ)て-精神が澄み渡り、寒さで骨まで冷えて。■、物とはなしに-何ということなしに。■茂(しげ)きが林(もと)-葉が深く茂った木立。■あやなき闇(やみ)-物の見わけもつかぬ闇。■うらぶれて-悲しみに沈んで。■円(ゑん)位(ゐ)-西行が出家直後の法名。西行は俗名佐藤義清、北面の武士であったが、二十三歳で出家、諸国行脚の末、河内弘川寺で没した、行年七十三歳。■すかし見れば-闇の中を透かして見ると。■形(さま)異(こと)なる人-怨霊であることを暗示。■色(いろ)紋(あや)も見えで-色も模様もはっきり見えないで。■道心(だうしん)-深く仏道に帰依した、迷いのない心。■かへりこと聞えん-返歌を申し上げよう。「聞え」は「言う」の敬語表現。

「喜(うれ)しくもまうでつるよ」と聞(きこ)こゆるに、新院の霊(れい)なることをしりて、地にぬかづき涙を流していふ。

「さりとていかに迷(まよ)はせ給ふや。濁世(ぢょくせ)を厭離(えんり)し給ひつることのうらやましく侍りこそ、今夜(こよひ)の法施(ほふせ)に随(ずい)縁(えん)したてまつるを、現形(げぎょう)し給ふはありがたくも悲(かな)しき御(み)こころにし侍り。

ひたぶるに隔生即忘(きゃくしゃうそくまう)して、仏果(ぶつくゎ)円満(ゑんまん)の位(くらゐ)に昇(のぼ)らせ給へ」と。情(こころ)をつくして諫(いさめ)奉(たてまつ)る。
       
新院呵々(からから)と笑はせ給ひ、「汝(なんぢ)しらず、近来(ちかごろ)の世(よ)の乱(みだ)れは朕(わが)なすこと事(わざ)なり。生(いき)てありし日より魔道(まだう)にこころざしをかたふけて、平治(へいぢ)の乱(みだ)れを発(おこ)さしめ、死(しし)て猶(なほ)、朝家(てうか)に祟(たたり)をなす。
       
見よみよ、やがて天(あめ)が下(した)に大乱(たいらん)を生(しゃう)ぜしめん」といふ。

現代語訳

「嬉しくも参ってくれたものよ」と聞こえると、崇徳院の霊であることを知って、地にぬかづいて涙を流して言う。

「それにしても、どうしてお迷いになっておられるのですか。汚れた現世を厭いお避けになっておられることが羨ましく思われましたからこそ、今夜、読経して仏縁にあやかろうとしてございましたのに、現世にお姿をあらわしなさることは、ありがたくも悲しき御心でございます。

ひたすらに前世のことは忘れて、円満成仏の高みにお昇りください」と、心をつくして諌め奉る。

崇徳院はからからとお笑いになり、「お前は知らない。最近の世の乱れは朕がなすことである。生前から魔道に志を傾けて、平治の乱をおこさせ、死んでもなお、朝廷に祟りをなす。見よ見よ、すぐに天下に大乱を起こさせよう」という。

語句

■地にぬかづき-地に頭をつけて。うやうやしく拝礼すること。■さりとて-それにしても。「さあり」の約語。■迷(まよ)はせ給ふや-「迷ふ」は魂魄(こんぱく)が未だこの世に執着を残し、成仏できない状態をいう。■濁世(ぢょくせ)-仏教語で穢(けが)れたこの世。■厭離(えんり)-厭(いと)い離れる。■法施(ほふせ)-ここでは読経による回向。 ■随(ずい)縁(えん)-仏縁につながること。■法施(ほふせ)に随(ずい)縁(えん)したてまつるを-仏縁にあやかって供養し申しておりますのに。
■現形(げぎょう)-神仏や死霊が現世に姿を現すこと。■隔生即忘-死ぬことによって現世の迷妄を忘れること。■朕-「朕」は天子の自称。「わが」はあて読み。
■魔道-我執や怨恨の強さによって、成仏せずに激しく他に祟る悪魔の世界。■近来(ちかごろ)の世(よ)の乱(みだ)れ-崇徳院が讃岐に流されてからの世の混乱の事で、平治の乱、朝廷を中心とする様々な事件、平家の台頭や専横を指す。■平治(へいぢ)の乱(みだ)れ-平治元年(1159)、藤原信西、平清盛に対し、藤原信頼、源義朝らが戦い、後白河上皇、二条天皇を幽閉し、信西を殺したが、結局は清盛のために信頼も義朝も滅ぼされた。■大乱-清盛の専横に発し、諸国から源氏が挙兵し、ついに平氏の滅亡に至った治承・寿永の乱を指す。

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朗読・解説:左大臣光永


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