夢応の鯉魚 三

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不思議のあまりにおのが身をかへり見ればいつのまに鱗金光(うろこきんくわう)を備(そな)へてひとつの鯉魚(りぎょ)と化(か)しぬ。あやしとも思はで、尾(を)を振(ふり)鰭(ひれ)を動かして心のままに逍遥(せうえう)す。まず長等(ながら)の山おろし、立ちゐる浪に身をのせて、志賀の大湾(おほわだ)の汀(みぎは)に遊べば、かち人の裳(も)のすそぬらすゆきかひに驚(おど)されて、比良(ひら)の高山影うつる、深き水底(みなそこ)に潜(かづ)くとすれど、かくれ堅田(かただ)の漁火(いさりび)によるぞうつつなき。ぬば玉の夜中(よなか)の潟(がた)にやどる月は、鏡の山の峰に清(すみ)て、八十(やそ)の湊(みなと)の八十隈(やそくま)もなくておもしろ。

沖津島山(おきつしまやま)、竹生島(ちくぶしま)、波にうつろふ朱(あけ)の垣(かき)こそおどろかるれ。さしも伊吹の山風に、旦妻船(あさづまぶね)も漕(こぎ)出づれば、芦間(あしま)の夢をさまされ、矢橋(やばせ)の渡りする人の水(み)なれ棹(さを)をのがれては、瀬田(せた)の橋守にいくそたびか追はれぬ。日あたたかなれば浮かび、風あらきときは千尋(ちひろ)の底(そこ)に遊ぶ。

急(にはか)にも飢(うゑ)て食(もの)ほしげなるに、彼此(をちこち)に求食(あさ)り得ずして狂ひゆくほどに、忽ち文四が釣りを垂(たる)るにあふ。其の餌(ゑ)ははなはだ香(かんば)し。心又河伯(かはのかみ)の戒(いまし)めを守りて思ふ。我は仏(hとけ)の御弟子なり。しばし食(もの)を求め得ずとも、なぞもあさましく魚の餌(ゑ)を飲(のむ)べきとてそこを去る。

しばしありて飢(うゑ)ますます甚(はなはだ)しければ、かさねて思ふに、今は堪(たへ)がたし。たとへこの餌(ゑ)を飲(のむ)とも鳴呼(をこ)に捕(とら)れんやは。もとより他(かれ)は相識(あひしる)ものなれば、何のはばかりやあらんとて遂(つひ)に餌(ゑ)をのむ。文四はやく糸を収(をさ)めて我を捕(とら)ふ。『こはいかにするぞ』と叫(さけ)びぬれども、他(かれ)かって聞かず顔にもてなして縄(なは)をもて我が腮(あぎと)を貫(つら)ぬき、芦間(あしま)に船を繋(つな)ぎ、我を籠(かご)に押し入れて、君が門に進み入る。君は賢弟(けんてい)と南面(みなみおもて)の間に奕(えき)して遊ばせ給ふ。掃守(かもり)傍(かたはら)に侍(はべ)りて菓(このみ)を啗(くら)ふ。

文四が持て来し大魚(まな)を見て人々大(おほ)ひに感(めで)させ給ふ。我、其のとき人々にむかひ、声をはり上げて、『旁(かたがた)等は興義(こうぎ)を忘れ給ふか。宥(ゆる)させ給へ寺に帰させ給へ』と連(しき)りに叫びぬれど人々しらぬ形(さま)にもてなして、只手を拍(うつ)て喜び給ふ。鱠手(かしはびと)なるもの、まづ我が両目を左手(ひだり)の指(おゆび)にてつよくとらへ、右手(みぎり)に礪(とぎ)すませし刀(かたな)をとりて俎板(まないた)にのぼし既に切るべかりしとき、我苦しさのあまりに大声をあげて、『仏弟子(ぶつでし)を害(がい)する例(ためし)やある。我を助けよ、我を助けよ』と哭叫(なきさけ)びぬれど、聞き入れず。終(つひ)に切らるるとおぼえて夢醒(ゆめさめ)たり」とかたる。

人々大(おほ)いに感異(めであや)しみ、「師が物がたりにつきて思ふに、其の度ごとに魚の口の動(うご)くを見れど、更に声出だす事なし、かかる事まのあたりに見しこそいと不思議なれ」とて、従者(ずさ)を家に走(はしら)しめて残れる鱠(なます)を湖(うみ)に捨てさせけり。

興義これより病癒(いえ)て杳(はるか)の後、天年(よはひ)をもて死(まかり)ける。其の終焉(をはり)に臨(のぞ)みて画(ゑが)く所の鯉魚数枚(すまい)をとりて湖(うみ)に散(ちら)せば、画(ゑが)ける魚紙繭(しけん・かみぎぬ)をはなれて水に遊戯(いうげ)す。ここをもて興義が絵世に伝はらず。其の弟子成光(なりみつ)なるもの、興義(こうぎ)が神妙(しんめう)をつたへて時に名あり。閑院(かんゐん)の殿(との)の障子(しやうじ)に鶏(にはとり)を画(ゑがき)しに、生(いけ)る鶏(とり)この絵を見て蹴(け)たるよしを、古き物がたりに載(のせ)たり。

現代語訳

あまりの不思議さに自分の身を振り返って見ると、いつのまにか金色に光る鱗が生え、一匹の鯉に変っていた。(鯉になったのを)おかしいとも思わず、(私は)尾を振り、鰭を動かして気ままに泳ぎ回った。まづ長等山から吹き下ろす風(に吹かれて)打ち寄せる波(の面)に身をのせ、志賀の浦の水際を遊泳していると、徒歩で歩く人が裳を濡らしながら行き交うのに驚かされ、比良の高山の影が映る深い水の底に潜(もぐ)ろうとしたが、隠れることが出来ず、堅田の漁火(いさりび)に誘われ、引き寄せられるのも夢心地であった。夜中の湖上に影を映している月は、鏡山の峰に清く澄みわたり、あちこちの多くの湊のすみずみまで明るく照らして趣(おもむき)深い。

沖津島山、竹生島(のあたりまで泳いでいくと)、波に映る朱の玉垣の美しさに驚かされた。それにしても伊吹の山から吹きおろす風(の中を)朝妻船も漕ぎ出せば、(その音で)芦の間での夢を覚まされ、矢橋の渡し船の船頭の巧みな棹さばきの間を逃れ、瀬田の橋の番人に幾たびか追い払われた。暖かくなると水面に顔を出し、風が強い時は、深い水底で泳ぐ。

急に腹が減って、食べ物が欲しくなり、あちこちと食い求めたが、ありつけず、いらいらして泳いでいくうちに、たちまち文四が釣り糸を垂れているのに出会った。その餌はとてもいい匂いがしていた。(しかし)心のうちでは又、水神が言われた戒めを思い出して、私は仏様の弟子である。しばらく餌を取らなかったからといって、どうして浅ましく魚の餌を呑むことができようかと(思って)、そこを立ち去った。

しばらくすると、ますます腹が減り、ふたたび思うには、今ではもう我慢できない、たとえこの餌を呑んでも愚かにも捕らわれることがあろうか。以前から文四とは顔見知りであり、何の遠慮をする必要があろうかと終に餌を呑みこんだ。文四は素早く釣り糸を巻き上げ、私を捕えた。『これはどうしたことか』と叫んでみたが、文四はまるで知らぬが顔で、縄で私の鰓(えら)を貫き、芦間に船を繋ぎ、私を籠に押し入れて、貴殿の門に入った。貴殿は、弟君と南向きの面座敷で碁を打っておられた。掃守(かもり)はその傍に座って果物を食べていた。

文四が持って来た大魚を見て、(そこにいる)人たちはたいへんお褒めになられた。わたしは其の時、皆さんに向って大声をあげ、『皆さんは(この)興義をお忘れになったか。寺に帰してくれ』と、繰り返し叫んだが、皆さんは知らぬ顔にあしらい、ただ手を打って喜んでおられた。料理人がまず、私の両目を左手の指で強くおさえ、右手に研ぎ澄ませた包丁を取って、俎板に(私を)のせ、今にも切ろうとしたとき、私は苦しさのあまり大声を上げ、『仏さまに仕える僧を殺すことがあるものか。私を助けてくれ、助けてくれ』と哭き叫んでみたが、聞いてはもらえなかった。終に切られると思ったら夢が覚めたのじゃ」と語った。

人々は、大いに感じ入って、「師僧のお話を思い合わせてみると、(声をたてられたという)その度ごとに口が動くのを見ましたが、いっこうに声を出すことはありませんでした。このような事を目の前で見たということこそ、たいへん不思議な事だ」といって、(助の殿は)供の者を家に走らせ、残りの鱠(なます)を残らず捨てさせたのであった。

興義はこうして病気が完治してからずっと後に天寿を全うして亡くなった。其の臨終に際して、(いままでに)画いた鯉の絵数枚をとって湖に散らせると、画かれた鯉は絵絹から離れ、水の中で泳ぎ回るのであった。そういうわけで、興義の絵は世に伝わらず、その弟子の成光というものが興義の名人技を伝えて、その時代に有名であった。(成光)が閑院の御殿の襖(ふすま)に鶏を画いたら、生きている鶏がこの絵を見て、蹴ったという話しが古い物語の中に載っている。

語句

■長等-三井寺背後の山。歌枕。■志賀の大湾(おほわだ)-大津北部の入り江を指す。■裳-上古、女子正装の時、腰から下を覆うもの。ここでは着物の裾。■比良-琵琶湖西部、比叡山東北方の連峰。■かくれ堅田(かただ)-「かくれがたし」と「堅田」を掛ける。「堅田」は琵琶湖西岸にあり。■よるぞうつつなき-引き寄せられるのも夢心地で。■ぬば玉の-「夜」の枕詞。■夜中の潟-琵琶湖西岸の地名だが、深夜の意味も掛けてある。■やどる月-影を映している月。■鏡山-琵琶湖東南岸の山。歌枕。■八十(やそ)の湊(みなと)の八十隈(やそくま)もなく-あちこちの多くの湊のすみずみまで明るく照らして。「八十」は数が多いこと。「隈」は物陰。■おもしろ-趣深い。■沖津島山-琵琶湖中の島。■竹生島-琵琶湖内北方の島。弁財天を祀る。■朱(あけ)の垣(かき)-弁財天の垣。■さしも-そのようにして。■旦妻船(あさづまぶね)-琵琶湖東岸の朝妻郷(今、坂田郡米原町朝妻)の入り江にあった渡し船。「旦妻」に「朝」を掛けて夜が明けて朝になったことを暗示した。■
矢橋(やばせ)の渡りする人-「矢橋」は、近江の国(滋賀県)草津市矢橋。琵琶湖の南東岸にあって、対岸の大津まで船で渡った。■水なれ棹-水に慣れた棹のことで、船頭の水さばきも鮮やかな棹さばきのこと。■瀬田の橋守-「瀬田橋」は琵琶湖の南端にあって、大津市の瀬田川にかかる。「橋守」は橋の番人。■いくそたびか追はれぬ-幾度追い払われたことか。■千尋(ちひろ)-水が非常に深いこと。「一尋」は大人が両手を左右に広げた長さ。■急(には)かにも-急に。「も」は強意の係助詞。■求食(あさ)り得ずして-餌を求めることができなくて。■河伯の戒-「河伯(かわかみ)」は河川を支配する神。前出の「海若(わたつみ)」と同じ。その戒めは、「只餌の香しきに眩まされて、釣りの糸にかかり身を滅ぼすことなかれ」と戒められたこと。■なぞもあさましく魚の餌を飲むべき-どうしてあさましくも魚の餌を飲むことができようか。「べき」は当然の意にもとれるが、可能の助動詞とする。連体形になっているのは、反語の副詞「なぞ」をうけたため。■鳴呼(をこ)に捕(とら)れんやは-愚かにも捕えられるものか。「や」は反語。「やは」となって反語を一層強調する。■何のはばかりやあらん-何の遠慮することがあろうか。「か」は反語の係助詞。「か…ん」で係り結び。■糸を収めて-釣り糸を引き上げて。■こは-「これは」の略。■かって-下に打消しの語「聞かず」を伴って、「全く」「まるで」の意の副詞。■腮(あぎと)-魚のえら。■芦間-芦の生えている間。湖岸である。■感る。-賞賛する。■旁(かたがた)等-おのおの方。■既に(切るべし)-すんでのことに。■仏弟子(ぶつでし)を害(がい)する-僧を殺すのは、仏経では大罪の一つである。■天年(よはひ)-天寿。■終焉(をはり)-臨終。■紙繭(しけん・かみぎぬ)-絵の料紙。絵絹(えぎぬ)。■神妙(しんめう)-名人芸。■閑院(かんゐん)の殿(との)-京都二条の南、西洞院(にしのとういん)にあった御殿。もと藤原冬嗣(ふゆつぐ)の邸。■障子-襖(ふすま)。■古き物がたり-『古今著聞集』。建長六年(1254)成。橘成季の編んだ説話集。

備考・補足

<参考文献一覧>

本資料作成にあたり以下の文献を参考にしました。

・英草紙 西山物語・雨月物語・春雨物語

  一九九五年十一月十日 第一版第一冊発行
  ニ〇〇三年七月二〇日第一版第三冊発行
  発行所 小学館

・古典新釈シリーズ25 雨月物語

  一九七八年四月二十五日 初版発行
  ニ〇〇余年       重版発行
  著者 太刀川 清
  
・三省堂 全訳 読解古語辞典

  二〇十三年一月十日 第一冊発行

・完訳 日本の古典 第五十七巻 雨月物語 春雨物語

  昭和58年9月30日初版発行
  発行所 小学館

・マンガ 日本の古典 雨月物語

  一九九六年十二月十日初版印刷
  一九九六年十二月二十日初版発行
  著者 木原敏江
  発行所 中央公論社  

・図説日本の古典17 上田秋成   

  一九八九年八月二十三日 新装第一刷発行
  著者代表 松田 修
  発行所 株式会社 集英社

・雨月物語

  一九七六年三月三十日 初版発行
  一九九七年四月十日  5版発行
  原本所蔵者 国立国会図書館
  発行者   池嶋洋次
  発行所   (株)勉誠社

・日本の名作映画集28 雨月物語
 
  監督 溝口 健二
  出演 京マチ子/森雅之

・雨月物語(上)

  著者 青木政次
  1981年6月10日 第1冊発行
  1994年12月20日 第21冊発行
  発行所 株式会社講談社

・改訂版雨月物語

  発行者 青木誠一郎
  発行所 角川学芸出版
  平成十八年七月二十五日 初版発行
  平成十九年十月十五日  三版発行
  
・雨月物語

  校訂者 高田 衛・稲田篤信
  発行所 株式会社 筑摩書房
  一九九七年十月九日 第一刷発行

・雨月物語精読

  編者 稲田篤信
  発行所 勉誠出版(株)
  ニ〇〇九年四月一日 初版発行

・水木しげるの【雨月物語】

  著者 水木しげる
  一九八五年七月二十日初版発行
  一九九二年八月二五日六版発行
  発行所 河出書房新社

朗読・解説:左大臣光永

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