吉備津の釜 六

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時うつりて生(いき)出づ。眼(め)をほそくひらき見るに、家と見しはもとありし荒野(あらの)の三昧堂(さんまいだう)にて、黒き仏のみぞ立たせまします。里遠き犬の声を力に、家に走りかへりて、彦六にしかじかのよしをかたりければ、「なでふ狐に欺かれしなるべし。心の臆れたるときはかならず迷(まよ)はし神の魘(おそ)ふものぞ。足下(そこ)のごとく虚弱(たよわき)人のかく患(うれひ)に沈(しづ)みしは、神仏に祈りて心を収(をさ)めつべし。刀田(とだ)の里にたふとき陰陽師(おんやうじ)のいます。身禊(みそぎ)して厭符(えんふ)をも戴(いただ)き給へ」と、いざなひて陰陽師の許(もと)にゆき、はじめより詳(つばら)にかたりて此の占(うら)をもとむ。

陰陽師占(うら)べ考(かうが)へていふ。「災(わざはひ)すでに窮(せま)りて易(やす)からず。さきに女の命をうばひ、怨(うら)み猶尽(つき)ず。足下(そこ)の命も旦夕(あさゆう)にせまる。此の鬼、世を去るぬるは七日前(さき)なれば、今日より四十二日が間、戸を閉(たて)ておもき物(もの)斎(いみ)すべし。我が禁(いま)しめを守らば九死を出でて全(まつた)からんか。一時を過(あやま)るともまぬがるべからず」と、かたくをしへて、筆をとり、正太郎が背(せ)より手足におよぶまで、篶籀(てんりう)のごとき文字を書く。

猶朱符(しゆふ)あまた紙にしるして与(あた)へ、「此の呪(じゆ)を戸毎(とごと)に貼(おし)て神仏を念ずべし。あやまちして身を亡(ほろ)ぶることなかれ」と教ふるに、恐(おそ)れみかつよろこびて家にかへり、朱符(しゆふ)を門(かど)に貼(おし)、窓に貼(おし)て、おもき物斎(ものいみ)にこもりける。
其の夜三更(さんかう)の比(ころ)おそろしきこゑして「あなにくや。ここにたふとき符文(ふもん)を設けつるよ」とつぶやきて復(ふたた)び声なし。おそろしさのあまりに長き夜をかこつ。

程(ほど)なく夜明けぬるに生(いき)出でて、急ぎ彦六が方(かた)の壁(かべ)を敲(たた)きて夜(よべ)の事をかたる。彦六もはじめて陰陽師が詞(ことば)を奇(き)なりとして、おのれも其の夜は寝ずして三更(さんかう)の比(ころ)を待ちくれける。松ふく風物を僵(たふ)すがごとく、雨さへふりて常(ただ)ならぬ夜のさまに、壁(かべ)を隔(へだ)てて声をかけあひ、既に四更(しかう)にいたる。下屋(しもや)の窓(まど)の紙にさと赤き光(ひかり)さして、「あな悪(にく)やここにも貼(おし)つるよ」といふ声、深き夜にはいとど凄(すざま)しく、髪(かみ)も生毛(うぶげ)もことごとく聳立(そばだち)て、しばらくは死に入りたり。

現代語訳

(正太郎は)しばらくしてから息を吹き返し、目を細めて周囲を見ると、家と見えたものは、もともとそこにあった荒野の三昧堂であった。黒く煤けたように古い仏像だけが立っているのであった。遠い人里で吼える犬の声でさえ、今は気を取り直す頼りなのである。その声を便りに家に走って帰り、彦六にしかじかのことを話すと、「なあに多分狐に騙されたんだろう。臆病になっているときは必ず迷わし神が襲うものだ。そこもとのようにこんなにひ弱い人がこのように意気消沈しているときは、神仏に祈って心を落ち着かせるがいい。刀田(とだ)の里に名の知れた陰陽師がいるのだ。川に入って身を清め、魔除けの御札をもらいなさい」と、陰陽師の所へ(正太郎を)案内し、初めから詳しいきさつを説明し、占ってくれるよう頼んだ。

陰陽師は、占いをし、(少し)考えてから言った。「災いはもうそこに迫っており、簡単にはいかないぞ。最初に女(袖)の命を奪い、それでも恨みは尽きず、(その怨霊の祟りによって)そこもとの命も直ぐに尽きるだろう。此の怨霊が世を去ったのは、七日前なので今日から四十二日の間、戸を閉め、家に閉じこもり謹慎していなされ。私の戒めを守らなければ九死に一生を得ることはできないであろう。一時過ちを犯してもこの怨霊から逃れることはできないであろう」と、厳しく教えて、筆を取るや、正太郎の背中から手足に及ぶまで全身に篶籀(てんりう)のような漢字を書き、(隙間なく)埋め尽くした。

それに加え、多くの朱符(しゆふ)を紙に書いて与え、「此の御札(おふだ)を戸毎に貼り付け神仏に念じなさい。間違って身を滅ぼすことがないようにしなさい」と教えると、一方では恐れ一方では喜んで、家にかえり、(貰ってきた)朱符を門に貼り、窓に貼って家に閉じこもった。
其の夜、真夜中に恐ろしい声がして、「ああ憎らしや、ここに尊い符文を貼っていることよ」とつぶやき、(その夜は)二度と同じ声はしなかったが、恐ろしさのあまり長い夜を嘆いた。

まもなく夜が明けたので、ほっと生き返った思いで、急いで彦六の家の壁をたたいて彦六を起し、昨晩の事を話した。彦六もこれを聞いて、初めて陰陽師の詞が的中したことを不思議に思い、彦六自身も其の夜は眠らず、真夜中になるのをいまやおそしと待ち暮らした。松に吹き付ける風が物を吹き倒すかと思われるほど激しく、雨まで降りだし、何か異常なことが起こりそうな夜の気配に、壁を通して声を掛け合い、どうやら四更の頃になった。突然、下屋の窓の障子にさっと赤い光が走り、「ああ憎らしやここにも貼っていることよ」と言う声が聞こえる。深夜の静けさの中で、その声はひどく凄まじく、髪も産毛もすべて逆だって、(二人とも)しばらく気を失ってしまった。

語句

■三昧堂(さんまいだう)-ここは墓地にある慰霊堂。■里遠き犬の声を力に-遠い人里で吼える犬の声でさえ、今は気を取り直す頼りなのである。■黒き仏のみぞ云々-堂は荒廃して何もないのであろう。「仏」も尊崇の対象となっていない。■なでふ-どんな。どのような。■なでふ狐に欺かれしなるべし-なあに多分狐に騙されたんだろう。■迷わし神-狐狸。土地神など人を惑わす精霊。■魘(おそ)ふ-襲う。■足下(そこ)-「そこもと」の約。同輩に対する敬称。■虚弱(たよわき)人-ひ弱い人。■刀田の里-加古川市、北在家の刀田山鶴林寺精霊院の辺り。荒井から東約四キロメートル。■陰陽師-陰陽道の術者で、天文暦数、占筮方術、厄徐加持などをした。なお播磨国と古代陰陽道とは深いつながりがあり、すぐれた陰陽師を生んだ土地柄である。■身禊(みそぎ)-川につかって身を清めること。■厭符(えんふ)-魔除けのお符(ふだ)。護符。■窮(せま)りて易(やす)からず-身辺近く切迫して容易な事ではない。■さきに女の云々-この「女」とは「袖」のこと。■旦夕(あさゆう)にせまる-そのことが非常に近接した状態を示す表現。■鬼-磯良の怨霊。■四十二日が間云々-仏教では人の死後四十九日を忌中(きちゅう)といい、四十九日目を忌明けとする。その間、死者の霊魂は中有に彷徨(さまよ)うとされている。■おもき-厳重な。■物(もの)(いみ)-家に閉じこもり謹慎して、悪霊を避けること。「物」とは「鬼」、「斎」はいみ慎むなり。■九死を出でて全(まつた)からんか-九死に一生を得ることができるかもしれない。■一時-「いっとき」。少しの時間を違えても。後の正太郎の惨死への伏線である。■まぬがるべからず-死を免れないであろう。■篶籀(てんりう)-古代中国の漢字書体。■朱符(しゆふ)-朱で書いた護符。■呪(じゆ)-まじないをした符(ふだ)。■恐(おそ)れみかつよろこびて-一方では恐れ、また一方では喜んで。■かこつ-嘆く。■生(いき)出(い)でて-蘇生した思いで。■三更-およそ午前零時から二時までの間。■符文-護符と同じ。■奇なり-的中したことをいかにも不思議だと思って。■常(ただ)ならぬ夜のさま-何か異常なことが起こりそうな夜の気配。■四更(しかう)-およそ午前二時~四時にあたる。■下屋-前出の「破屋」を指す。■赤き光さして-出所不明ながら、備後の国の伝説に夜中に怪光と共に目に見えない神が訪れ、一人の男が行方不明になる話がある。また渡辺綱で知られる鬼の伝説でも、鬼は光りながら、飛ぶ。その連想があるか。■髪(かみ)も生毛(うぶげ)もことごとく聳立(そばだち)て-身の毛もよだつ。

備考・補足

■魔除け、厄除けに護符を貼る風習は一般的であった。
■怪異出現に先立って、「風」、「雨」、「夜」を描写することが多い。不安と期待と迫真力を創る修辞である。

朗読・解説:左大臣光永

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