蛇性の婬 十三

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又立ち出でて庄司にむかひ、「かう浅ましきものの添ひてあれば、ここにありて人々を苦しめ奉らんはいと心なきことなり。只今暇(いとま)給はらば、娘子(をとめ)の命も恙(つつが)なくおはすべし」といふを、庄司更(さら)に背(うけ)ず。「我(われ)弓の本末(もとすゑ)をも知りながら、かくいひがひなからんは大宅(おほや)の人々のおぼす心もはづかし。猶(なほ)計較(はかり)なん。小松原の道成寺に法海和尚(ほふかいをしやう)とて貴(たふ)とき祈(いのり)の師おはす。今は老(おい)て室(むろ)の外(と)にも出でずと聞(きけ)ど、我が為にはいかにもいかにも捨て給はじ」とて、馬にていそぎ出でたちぬ。道遥(はる)かなれば夜なかばかりに蘭若(てら)に到(いた)る。老(らう)和尚眠蔵(めんざう)をゐざり出でて、此の物がたりを聞きて、「そは浅ましくおぼすべし。今は老(おい)朽(くち)て験(げん)あるべくもおぼえ侍らねど、君が家の災(わざは)ひを黙(もだ)してやあらん。まづおはせ。法師も即(やがて)詣(まうで)なん」とて、芥子(けし)の香(か)にしみたる袈裟(けさ)とり出でて、庄司にあたへ、「畜(かれ)をやすくすかしよせて、これを持て頭(かしら)に打ちかづけ、力(ちから)を出して押しふせ給へ。手弱(たよわ)くあらばおそらくは逃げさらん。よく念じてよくなし給へ」と実(まめ)やかに教(をし)ふ。庄司よろこぼひつつ馬を飛ばしてかへりぬ。豊雄を密(ひそか)に招(まね)きて、「此の事よくしてよ」とて袈裟(けさ)をあたふ。豊雄これを懐(ふところ)に隠(かく)して閏房(ねや)にいき、「庄司今はいとまたびぬ。いざたまへ、出で立ちなん」といふ。いと喜(うれ)しげにてあるを、此の袈裟とり出でてはやく打ちかづけ、力をきはめて押しふせぬれば、「あな苦し、爾(なんぢ)何とてかく情なきぞ。しばしここ放(ゆる)せよかし」といへど、猶力にまかせて押しふせぬ。法海和尚の輿(こし)やがて入り来る。庄司の人々に扶(たす)けられてここにいたり給ひ、口のうちつぶつぶと念(ねん)じ給ひつつ、豊雄を退(しりぞ)けて、かの袈裟とりて見給へば、富子はうつつなく伏(ふ)したる上に、白き蛇(をろち)の三尺(たけ)あまりなる蟠(わだかま)りて動(うごき)だもせずてぞある。老和尚これを捉(とら)へて、徒弟(とてい)が捧(ささげ)たる鉄鉢(てつはち)に納(いれ)給ふ。猶念(ねん)じ給へば、屏風(びやうぶ)の背(うしろ)より、尺(たけ)ばかりの小蛇(こへび)はひ出づるを、是をも捉(とり)て、鉢に納(いれ)給ひ、かの袈裟をもてよく封じ給ひ、そがままに輿(こし)に乗(のら)せ給へば、人々掌(て)をあはせ涙を流して敬(うや)まひ奉る。

蘭若(てら)に帰り給ひて、堂の前を深く掘(ほら)せて、鉢のままに埋(うめ)させ、永劫(えうごふ)があひだ世に出ることを戒(いまし)め給ふ。今猶蛇(をろち)が塚(つか)ありとかや。庄司が女子(むすめ)はつひに病にそみてむなしくなりぬ。豊雄は命恙(つつが)なしとなんかたりつたへける。

現代語訳

そこで再び部屋を出て、庄司に向い、「このような浅ましいものが私につきまとっている以上、ここにとどまってあなた方をお苦しめするのはあまりにも非道なことです。今離別していただければ、お娘御の命も無事にいられるでしょう」と話したが、庄司は一向に承知しようとしない。「私は武道の誉れ高い家の生れながら、こう附甲斐なくては大宅家の方々に面目もありません。なお考えてみましょう。小松原の道成寺に法海和尚という尊い祈祷僧がおられます。今は年をとり部屋の外にも出ないと聞いていますが、私の為にはどのようにしても放ってはおかれますまい」といって、馬で急いで出発した。遠い道のりで夜中に寺に着いた。老和尚は寝間からいざり出て、此の話を聞き、「それは浅ましくお思いであろう。私はもう年老いてしまって、祈りの効験があるとも思えないが、貴方の家の災難を黙って見ているわけにもまいりません。まづ先にお帰り為され。私もすぐに参りましょう」といって、芥子の臭いが染み込んだ袈裟を取り出して、庄司に与え、「その畜生をうまくだまして、この袈裟を頭に打ちかぶせ、力いっぱい押し伏せなさい。力が弱ければおそらく逃げてしまうであろう。よく念を入れてしっかりとおやりなさいよ」と心を込めて教えた。庄司は教えを受け、喜んで馬を飛ばして帰って行った。帰り着くと、庄司は、豊雄を密かに呼び、「此の事をうまくやってください」と言って、和尚から与えられた袈裟を渡した。豊雄はこれを懐に隠して寝屋に行き、「庄司殿が今、暇をくだされた。さあ、来なさい。出発しよう」と言う。真女児はこれを聞いてとても嬉しそうにしているのを、渡された袈裟を取り出して、すぐに真女児の頭からすっぽりと蔽いかぶせ力をこめて押し伏せると、「ああ、苦しい。おまえはどうしてこんなにも情ないの。少し此処を緩めておくれ」と言うが、更に、力をこめて押し伏せた。法海和尚の輿が少しして入って来た。庄司の人々の助けで、ここまで来て、口の中でぶつぶつと呪文を念じながら豊雄を部屋から退出させ、あの袈裟を剥がして見ると、富子は正体を失くして伏せており、その上に白蛇が三尺余りのとぐろを巻いて動きもしない。老和尚はこれを捉え、弟子が差し出した鉄の鉢に入れた。更に、念じると、屏風の陰から一尺ほどの小さな蛇がはい出てきたので、是をも捉え鉢に入れて、あの袈裟でぐるぐる巻きにして封じ込んでしまい、そのまま輿に乗せると、人々は手を合わせ涙を流して和尚を敬(うやま)った。

和尚は寺に帰り着くと、お堂の前を深く掘らせて、鉄鉢をそのまま埋め、永遠に世の中に出てこないよう法力によって封じ込めた。今でも蛇(をろち)が塚(つか)があるという。庄司の娘はついに病気にかかり死んでしまった。一方で豊雄は命永らえたと言い伝えられている。

語句

■浅ましきもの-情けないもの。蛇の本性を現した真女児を指す。■心なきこと-思いやりのない、非道なこと。■暇給はらば-芝家からの離縁をいう。■娘子-富子を指す。■弓の本末(もとすゑ)をも知りながら-弓矢の道に長ずること、ひいては、部門の誉れ高い家。■いひがひなからんは-意気地がない。■小松原-道成寺への道筋の地名。和歌山県御坊市湯川町小松原。■道成寺-御坊市近傍の日高郡川辺町にある天台宗の大寺。道成寺の安珍清姫の伝説は有名。■法海和尚-架空の人物。■道遥かなれば-芝の里から道成寺までは約40キロメートル。■眠蔵(めんざう)-寺の寝室。■災い-災難。■おはせ-「行きなさい」の意。■芥子(けし)-真言密教で護摩壇修法の時に焚く草の実。■袈裟(けさ)-僧侶が肩からかける法衣の一種。芥子の香の染み込んだ袈裟は、救済の功徳のあらたかなものである。■やすくすかしよせて-うまくだまして。■念じて-この「念じ」は、文脈の上から、後出の「念じ」と違って、用意周到に、念を入れて、の意であろう。仏の称名を唱える、という解も成り立つが。
■よろこぼふ-「よろこぶ」の古い形。■てよ-{てよ」は完了助動詞「つ」の命令形。■たびぬ-「賜ぶ」の連用形。■はやく-すばやく。■かづく-かぶる。■輿(こし)-貴人の乗り物で肩にかついで運ぶ。■つぶつぶと-物をつぶやく様。■念じ-呪文を唱えること。■現(うつつ)なく-正体なく。■蟠(わだかま)りて-とぐろを巻いて。■尺(たけ)ばかりの-一尺あまりの。■封じる-仏力によって閉じ込める。■永劫-永遠。「劫」は仏教では、非常な長期間を表す時間の単位。■戒める-禁ずるという意味の他に、呪力によって束縛するという意味がある。■蛇が塚-現在でも清姫伝説に基づく「蛇塚」が、寺の西方100メートルの所にある。■むなしくなりぬ-死去した。■恙(つつが)なし-無事であった。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永

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