第三十段 人のなきあとばかり

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人のなきあとばかり悲しきはなし。中陰のほど、山里などにうつろひて、便(びん)あしく狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営みあへる、心あわたたし。日数のはやく過ぐるほどぞものにも似ぬ。果ての日は、いと情けなう、たがひに言ふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、更に悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、あとのため忌むなる事ぞ」など言へるこそ、かばかりのなかに何かはと、人の心はなほうたておぼゆれ。

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口語訳

人の亡くなった後ほど悲しいものはない。中陰の時期、山里などに移って、不便で狭い所に多くの人が同居して、仏事を営み合っているのは、心あわただしいものだ。日数の早く過ぎる具合は、似たものとて無いくらいだ。

最終日四十九日目は、たいそう冷淡で、(やっと終わったという感じで)お互いに言うこともなく、我こそかしこいといった顔で物を片付け、散り散りに分かれていく。もとの住家に帰ってからが、いっそう悲しいことが多いものだろう。「これこれのことは、生きている人のために忌むべき事だ」など言っているのは、このような悲しみの中に何たることを言うのかと、人の心というものはやはり情けなく思われる。

語句

■中陰 死後四十九日間。死者が生まれ変わるまでの最大期間。「中有」とも。この期間、生前の行いによって七日ごとに生まれ変わりの機会がある。もっとも遅い者でも四十九日目には生まれ変わるとされる。この期間、遺族は仏事を営む。 ■山里など 霊魂が山に向かうという信仰に基づいて遺族が山籠もりした習慣を指すようだが、不明瞭。 ■便あしく 不便な。 ■後のわざ 死後の仏事。中陰の間は七日ごとに行われた。「後のこと」とも。 ■ほど 具合。 ■果ての日 中陰の終わる四十九日目。 ■情なう 冷淡に。長く仏事が続く間に、弔いの気持ちよりもようやく義務から解放されたという開放感が強くなっている。 ■我かしこげに 自分こそ賢く分別があるという様子で。 ■ひきしたため 整理する。 ■あかる 「散る」「分る』散り散りになるさま。 ■更に 重ねて。その上にまた。 ■しかしかのこと これこれのこと。 ■あなかしこ 「あな」は感動詞。「かしこ」は「かしこし」の語幹。「ああ!慎むべきだ」。禁忌をおかした相手に対して、たしなめている。 ■あとのため 後に生き残っている人。 ■なほ やはり。 ■かばかりのなかに何かは 「あなかしこ」と言った人に対する批判なのか、言われた人(禁忌にふれた人)に対する批判なのか、説が分かれる。 ■うたてし 情けない。


年月へてもつゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎しと言へることなれば、さはいへど、その際(きわ)ばかりは覚えぬにや、よしなしごと言ひてうちも笑ひぬ。からは、気うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく卒塔婆も苔むし、木葉(このは)ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。思ひ出でてしのぶ人あらんほどこそあらめ、そも又ほどなくうせて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ心あらん人はあはれと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も千年(ちとせ)を待たで薪にくだかれ、古き墳(つか)はすかれて田となりぬ。そのかただになくなりぬるぞ悲しき。

口語訳

年月がたってもまったく故人を忘れてしまうということはないが、去る者は日々に疎しと言うことであるから、忘れないといっても、亡くなった当時ほどは悲しく思わなくなるのか、故人についてくだらないことを言って、笑ったりもするようになる。

亡骸は人気の無い山の中におさめて、しかるべき忌日のみ詣でつつ見れば、程なく卒塔婆も苔むし、木の葉がふり埋めて、夕べの嵐、夜の月だけが、故人を訪ねてくる縁者となる。

思い出してしのぶ人が生きているうちは、まだいい。それもまた、程なく消え失せて、聞き伝えるだけの子孫は、感慨深くその人物のことを思うだろうか。

そういうわけで、墓参りする人も絶えてしまうと、どこの人かと名前すら知らず、毎年の春の草だけは心ある人は感慨深く見るだろうが、果ては嵐にむせぶように立っていた松も、千年を待たずして薪に砕かれ、古い墓はすかれて田となってしまう。墓の形さえなくなってしまうのは、悲しいことだ。

語句

■去る者は日々に疎し 「去る者は日に以て疎く、来る者は日に以て親し」(文選十五・古詩十九首)」 ■さはいへど 忘れていないとはいっても。 ■から 亡骸。 ■気うとき 人気のない、さびしい。 ■さるべき日 しかるべき忌日。 ■こととふ 訪ねる。 ■よすが 縁者。 ■末々 子孫。 ■跡とふわざ 跡は墳墓。墓参りや仏事。松も千年を待たで薪にくだかれ 「古墓はスかれて田となり、松柏はクダかれて薪となる」(文選十五・古詩十九句首)による。

メモ

■「長からぬいのちのほどに忘るるはいかに短き心なるらむ」(伊勢物語 第百十三段)を思わせる。

朗読・解説:左大臣光永

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