第百二段 尹大納言光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに、

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尹大納言(いんのだいなごん)光忠入道(みつただのにゅうどう)、追儺(ついな)の上卿(しょうけい)をつとめられけるに、洞院右大臣殿(とういんのうだいじんどの)に次第を申し請けられければ、「又五郎男(またごろうおのこ)を師と するより外の才覚候はじ」とぞ、のたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士(えじ)の、よく公事(くじ)になれたる者にてぞありける。近衛殿(このえどの)着陣し給ひける時、軾(ひざつき)を忘れて、外記(げき)を召されければ、火たきて候ひけるが、「先(ま)づ軾(ひざつき)を召さるべきや候ふらん」と、しのびやかにつぶやきける、いとをかしかりけり。

口語訳

弾正台の長官の光忠(みつただの)入道が、追儺式を取り仕切る長官をお勤めになった時、洞院右大臣殿に式の順番について教えを請われた時、「又五郎男を師とするより外の知恵はありません」と、おっしゃった。

その又五郎というのは、年老いた衛士で、よく宮中の儀式になれている者であった。 近衛殿が所定の位置にご着席なさる時、軾(ひざつき。膝の下にしく敷物)を忘れて、外記を召された所、(又五郎男は)火をたいて参上したが、「外記よりも、まず軾をお召しになるべきではないでしょうかと、忍びやかにつぶやいたのは、たいそう味のあることであった。

語句

■尹大納言 弾正尹大納言源光忠。「弾正尹」は弾正台の長官。「弾正台」は風紀粛清を行った役所。源光忠は元徳元年(1329年)弾正尹。翌年権大納言。元徳3年(1332年)没。48歳。 ■追儺 大晦日の夜、朝廷で行われる鬼やらいという儀式。悪疫を追い払うのが目的。 ■上卿 儀式を取り仕切る長官。 ■洞院右大臣殿 洞院右大臣公賢(きんかた)。建武二年(1335年)右大臣。または「右」を「左」の間違いとして、洞院左大臣実泰。 ■次第 式の順序。 ■又五郎男 伝不詳。「男」は目下の男につける。 ■才覚 知恵。分別。 ■衛士 衛門府に属し宮中を警護しかがり火をたく。百人一首「御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ」 ■公事 宮中の儀式。 ■近衛殿 近衛家の大臣以上の者。誰を指すかは未詳。
近衛家平か、その長男経忠と見られているが、家平の弟経平も候補に入る。 ■着陣 内裏で儀式がある時、公卿が所定の場所に着席すること。 ■軾 地面にひざまづく時に膝の下に敷く敷物。半畳くらいの大きさであった。着座する者は官人を呼び、まず軾を敷いてから進行係の外記に準備完了を知らせる習わしだった。

メモ

●みがきもりえじ

朗読・解説:左大臣光永

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