第百八十八段 或者、子を法師になして

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或者、子を法師になして、「学問して因果(いんが)の理(ことわり)をも知り、説教などして世わたるたづきともせよ」と言ひければ、教へのままに、説教師にならんために、先(ま)づ馬に乗り習ひけり。輿(こし)・車は持たぬ身の、導師(どうし)に請(しょう)ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事ののち、酒などすすむる事あらんに、法師の無下(むげ)に能なきは、檀那(だんな)すさまじく思ふべしとて、早歌(そうか)といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説教習ふべき隙(ひま)なくて、年寄りにけり。

口語訳

ある者が、子を法師にして、「学問して因果の道理をも知り、説教などして生活の手段ともせよ」と言ったので、教えのままに、説教師になるために、まず馬に乗ることを習った。輿や車を持たない身で、仏事主催役の僧として招かれた時、馬などを迎えによこした場合、乗り方が下手で落馬しては心配だと思ったのだ。

次に、仏事の後、酒などすすめる事があるような場合、法師がまったく芸が無いのも、施主が興ざめに思うに違いないということで、早歌(そうか。当時東国を中心に流行った歌謡)を習った。

二つのわざが、だんだん熟練の境地に達したので、いよいようまくなりたく思って気合いを入れて稽古しているうちに、説教を習う暇がなくなり、年取ってしまった。

語句

■因果の理 すべての出来事は原因と結果が対応して起こっているという、仏教の根本原理。 ■説教 経文を解き明かすこと。 ■たづき 手段。方便。 ■説教師 説教を専門とする法師。「説教師は、かほよき。つとまもらへたるこそ説く事のたふとさもおぼゆれ」(『枕草子』)。 ■導師 仏事を取り仕切る僧。 ■請ぜられん時 招かれるような時。 ■桃尻 不安定で下手な乗り方。 ■檀那 施主。 ■早歌 鎌倉時代後期に東国を中心に流行した七五調を基本とする歌謡。宴会の席で歌われたので「宴曲」とも。 ■境 熟練の境地。 ■嗜む 心を入れて稽古する。


この法師のみにもあらず、世間の人、なべてこの事あり。若き程は、諸事(しょじ)につけて、身を立て、大きなる道をも成(じょう)じ、能をもつき、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心にはかけながら、世を長閑(のどか)に思ひてうち怠りつつ、先(ま)づ、さしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごと成す事なくして、身は老いぬ。終(つい)に物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるる齢(よわい)ならねば、走りて坂を下る輪のごとくに衰へゆく。

されば、一生のうち、むねとあらまほしからん事の中に、いづれかまさるとよく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事をはげむべし。一日の中(うち)、一時の中(うち)にも、あまたのことの来たらんなかに、少しも益(やく)のまさらん事を営みて、その外をばうち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方(いずかた)をも捨てじと心に執(と)り持ちては、一事も成るべからず。

口語訳

この法師に限ったことではない。世間の人は、おしなべてこういう事がある。若い時は、あらゆる物事について、立身出世をし、大きな事業を成し遂げ、技能も身につけ、学問もしようと、人生のずっと先までこうしたい、というさまざまな事を心にはかけながら、人生をのんびりしたものに思って怠っては、先ず、さしあたって目の前のことだけに紛れて月日を送れば、何事も成し遂げることはなく、身は老いてしまう。

結局、一芸にすぐれた者にもなれず、思ったように立身出世もできず、悔いても取返しのつく年齢ではなくなっているので、走って坂を下る車輪のように衰えゆくのだ。

であれば、一生のうち、特に望ましい事の中に、どれが勝っているかよく思い比べて、第一のことを心に決めて、その外は気持ちを捨てて、その一つの事だけを励むべきである。一日の中、一時の中にも、いろいろと為すべき用事が来る中に、少しでも有益である事を行って、その外の事を捨てて、大事を急ぐべきである。

あれもこれも捨てまいと心に執着していては、一つの事も成ることはなかろう。

語句

■なべて おしなべて。ひっくるめて。 ■あらます事ども 思いめぐらす色々な事。 ■ことごと どれもこれも。 ■物の上手 一芸にすぐれた者。 ■身を持つ 立身出世する。 ■むねとあらまほしからん事 特に望ましいこと。「むねと」は主として。「あらまほし」はそうありたい。 ■執り持つ 執着する。


たとへば、碁をうつ人、一手(ひとて)もいたづらにせず、人にさきだちて、小を捨て大につくが如し。それにとりて、三(み)つの石を捨てて、十(とお)の石につくことは易し。十を捨てて、十一に付く事は難し。一つなりともまさらんかたへこそつくべきを、十まで成りぬれば、惜しくおぼえて、多くまさらぬ石には換へにくし。是(これ)をも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、是(これ)をも失ふべき道なり。

京にすむ人、いそぎて東山に用ありて、既に行きつきたりとも、西山に行きてその益(やく)まさるべき事を思ひ得たらば、門(かど)より帰りて西山へ行くべきなり。ここまで来(き)つきぬれば、この事をば先(ま)づ言ひてん。日をささぬ事なれば、西山の事は、帰りて又こそ思ひ立ためと思ふ故に、一時の懈怠(けだい)、すなはち一生の懈怠となる。これを恐るべし。

口語訳

たとえば、碁を打つ人が、一手も無駄にせず、人に先立って、利益の少ない石を捨てて利益の大きな石を取るようなものである。それに関して、三つの石を捨てて、十の石を取ることは簡単である。十を捨てて、十一を取ることは難しい。一つでさえも勝っている方につくべきであるのに、十まで成っているから、惜しく思えて、多く勝っている石には換えにくいのだ。

これをも捨てず、あれをも取ろうと思う心では、あれをも得ず、これをも失うのは当然の道理だ。

京にすむ人が、急いで東山に用があって、既に行き着いたといっても、西山に行ってその利益が勝るに違いない事を気づき得たなら、門から引き返して西山へ行くべきなのだ。ここまで来たのだから、この事をまず言おう。日を指定した事でもないし、西山の事は、帰ってまた思い立とうと思うために、一時の怠りが即座に一生の怠りとなる。これを恐れるべきだ。

語句

■それにとりて それに関して。 ■東山 京都鴨川の東に南北につらなる丘陵。古くは「ひんがしやま」といった。 ■西山 京の西。嵯峨から大原野にかけて。 ■思ひ得たらば 気づき得たら ■日をささぬ 日を指定しない。 ■懈怠 怠り。

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。人の嘲りをも恥づべからず。万事にかへずしては、一(いつ)の大事成るべからず。人の数多(あまた)ありける中にて、ある者、「ますほの薄(すすき)、まそほの薄などいふ事あり。わたのべの聖、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師(とうれんほうし)、その座に侍りけるが聞きて、雨の降りけるに、「蓑笠やある、貸し給へ。かの薄の事習ひに、わたのべの聖のがり尋ねまからん」と言ひけるを、「あまりにも物騒がし。雨やみてこそ」と人の言ひければ、「無下(むげ)の事をも仰せらるるものかな。人の命は、雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつつ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゆしくありがたう覚ゆれ。「敏(と)きときは則(すなわ)ち功あり」とぞ、論語と言ふ文(ふみ)にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。

口語訳

一つの事を必ず成就させようと思うなら、他の事が失敗することを嘆いてはならない。人の嘲りをも恥じてはならない。他のあらゆることと引き換えにしなくては、一つの大事が成就するはずがない。人が大勢いる中に、ある者が、「ますほの薄、まそほの薄などいう言葉があります。渡辺の聖が、この事を伝え知っております」と語ったのを、その座におりましたが登蓮法師が聞いて、雨が降っているところを、「蓑笠はありますか、お貸しください。その薄の事を習いに、わたなべの聖のもとへ質問しに行ってまいります」と言ったのを、「あまりにもあわただしいです。雨がやんでからお行きなさい」と人が言った所、「とんでもない事を仰せられますな。人の命は、雨の晴れ間を待つものでしょうか。我も死に聖も死んでしまえば、尋ね聞くことができますか」といって、走り出して渡辺の聖のもとに行って、習いましたと申し伝えておりますことは、滅多にない立派なことに思われます。

「すばやくやれば成功する」と論語という書物にもあるということでございます。登蓮法師がこの薄のことを知りたいと思ったように、人生の一大事である仏道に入り悟りを開くことの機縁を、思うべきであったのです。

語句

■破るる 失敗する ■いたむ 悲しむ。嘆く。 ■ますほの薄・まそほの薄 鴨長明『無名抄』にもう一つ「ますうの薄」とともに言及がある。歌語。「ますほ」「まそほ」は顔料に用いる赤土を指す言葉。その色のように穂先が赤く染まった薄。登蓮法師は歌語の意味を知りたくて、雨もかまわず飛び出していった。 ■渡辺の聖 「渡辺」は摂津渡辺。聖は隠遁者。 ■登蓮法師 中古六歌仙の一人。俊恵法師の歌林苑のメンバー。『詞華集』以下の勅撰集に入集。 ■がり その人の居る所。「かあり」の略。 ■まからん 行ってまいります。「まかる」は「行く」の謙譲語。 ■物騒がし あわただしい。 ■雨やみてこそ行 「こそ」の後に「行き給へ」などが省略されている。 ■無下の事 とんでもない事。 ■走り出でて行きつつ 走り出して、渡辺の聖のもとに行って。「つつ」は前の「て」と反復を避けたものと思われる。意味的には「て」と同じ。 ■ゆゆし 立派だ。 ■敏きときは則ち功あり 「敏なれば則ち功有り」(論語・陽貨第十七)。 ■いぶかしく 疑わしく知りたく思う。 ■一大事の因縁 仏道に入り悟りを開くという人生で一番大事なことのきっかけ。

メモ

●シナリオライター志望者の空回り。
●登蓮法師は「好奇者」。歌語の意味を知りたいために、雨も構わず飛び出していく。松尾芭蕉に通じる感性。
●漫画。文法。色彩。デッサン。空回りばかり。笑えない。
●会社はなるべく早くやめるべきもの。
●兼好はやりはどうも、勝負事が好きなようだ。よく譬えに出てくる。

朗読・解説:左大臣光永

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