【夕顔 20】源氏、夕顔を夢に見る

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原文

かの夕顔の宿《やどり》には、いづかたにと思ひまどへど、そのままにえ尋ねきこえず。右近だに訪れねば、あやしと思ひ嘆きあへり。たしかならねど、けはひをさばかりにやとささめきしかば、惟光をかこちけれど、いとかけ離れ、気色なく言ひなして、なほ同じことすき歩《あり》きければ、いとど夢の心地して、もし受領《ずりやう》の子どものすきずきしきが、頭の君に怖《お》ぢきこえて、やがて率《ゐ》て下りにけるにやとぞ思ひよりける。この家主《いへあるじ》ぞ西の京の乳母《めのと》のむすめなりける。三人《みたり》その子はありて、右近は他人《ことひと》なりければ、思ひ隔てて、御ありさまを聞かせぬなりけりと、泣き恋ひけり。右近はた、かしがましく言ひ騒がれんを思ひて、君も今さらに漏らさじと忍びたまへば、若君の上をだにえ聞かず、あさましく行く方なくて過ぎゆく。君は夢をだに見ばやと思しわたるに、この法事したまひてまたの夜《よ》、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のさまも同じやうにて見えければ、荒れたりし所に棲みけん物の我に見入れけんたよりに、かくなりぬることと思し出づるにもゆゆしくなん。

現代語訳

あの夕顔の五条の家では、女君(夕顔)はどこに行ってしまわれたのかとうろたえるが、そのまま見つ出すことはできなかった。

右近さえ訪れなくなったので、家の人たちは不思議に思って嘆きあっている。はっきりしたことではないが、あの雰囲気からいって、あの男性は源氏の君ではなかったのかと家の人たちささやいていたので、惟光にこぼしたが、惟光は事実とはまるでちがうように、空とぼけて言いつくろって、やはり同じように好色に歩き回るので、家の人たちは、たいそう夢のような気持ちがして、もしかしたら、受領の子で好色なのが、頭の君(頭中将)に恐れ申して、そのまま女君をつれて田舎に下ったのかと想像するのであった。

この夕顔の宿の女主人こそが西の京の乳母の娘であったのだ。乳母の子は三人あって、右近はこの夕顔の宿の女主とは他人であったから、隠し事をしていて、女君の御ありさまを聞かせないのだと、女主人は泣いて恋しがった。

右近はまた、やかましく言い騒がれるだろうことを思い、源氏の君も、今さら人に漏らすまいとお隠しになっていたので、若君(夕顔の遺児)の噂さえ聞けず、あきれたことに、行方不明のまま日が過ぎていく。

源氏の君はせめて夢に夕顔を見たいとずっと思われていたところ、この法事をなさったあくる日の夜、ぼんやりと、あのいつぞや訪れた院のそのままに、枕元にすわっていた女のようすも同じように夢に見えたので、荒れた所に棲んでいたらしい物の怪が自分に見入ったついでに、このようになってしまったことと思い出されるにつけても不気味なことである。

語句

■けはい 雰囲気。 ■さばかり 夕顔のもとに通っていた男性は源氏の君ではないかと。 ■かこちけれど 「かこつ」はこぼす。愚痴をいう。 ■右近は他人 夕顔を育てた乳母がいて、その乳母の子が右近。だから夕顔と右近は乳姉妹にあたる。また夕顔には別の乳母「西の京の乳母」がいる。そして「西の京乳母」には三人の娘がいる。だから右近と「夕顔の宿の主人=西の京の娘」はともに夕顔に親しい立場といっても他人である。このあたりの複雑な人間関係は、右近の台詞の中でくわしく解説されている(【夕顔 17】)。 ■若君 西の京で生まれた夕顔の遺児。後の玉鬘。 ■添ひたりし女のさま 六条の御方の生霊(
【夕顔 12】
)。

朗読・解説:左大臣光永

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