【末摘花 14】源氏、門外で末摘花の鼻を思い出す

御車寄せたる中門《ちゆうもん》の、いといたうゆがみよろぼひて、夜目《よめ》にこそ、しるきながらも、よろづ隠ろへたること多かりけれ、いとあはれにさびしく荒れまどへるに、松の雪のみあたたかげに降りつめる、山里の心地してものあはれなるを、かの人々の言ひし葎《むぐら》の門《かど》は、かうやうなる所なりけむかし、げに心苦しくらうたげならん人をここにすゑて、うしろめたう恋しと思はばや。あるまじきもの思ひは、それに紛れなむかしと、思ふやうなる住み処《か》にあはぬ御ありさまは、とるべき方なしと思ひながら、我ならぬ人は、まして見忍びてむや、わがかうて見馴れけるは、故親王《こみこ》のうしろめたしとたぐへおきたまひけむ魂《たましひ》のしるべなめりとぞ、思さるる。

橘《たちばな》の木の埋もれたる、御随身《みずいじん》召して払はせたまふ。うらやみ顔に、松の木のおのれ起きかへりて、さとこぼるる雪も、名にたつ末《すゑ》のと見ゆるなどを、いと深からずとも、なだらかなるほどに、あひしらはむ人もがなと見たまふ。御車出づベき門《かど》は、まだ開けざりければ、鍵の預り尋ね出でたれば、翁《おきな》のいといみじきぞ出で来たる。むすめにや、孫《むまご》にや、はしたなる大きさの女の、衣《きぬ》は雪にあひて煤《すす》けまどひ、寒しと思へる気色《けしき》ふかうて、あやしきものに、火をただほのかに入れて袖ぐくみに持《も》たり。翁《おきな》、門《かど》をえ開《あ》けやらねば、寄りてひき助くる、いとかたくななり。御供《とも》の人寄りてぞ開けつる。

「ふりにける頭《かしら》の雪を見る人もおとらずぬらす朝の袖かな

幼《わか》き者は形蔽《かく》れず」とうち誦《ず》じたまひても、鼻の色に出でて、いと寒しと見えつる御面影、ふと思ひ出でられて、ほほ笑まれたまふ。頭中将にこれを見せたらむ時、いかなることをよそへ言はむ、常にうかがひ来れば、いま見つけられなむと、すべなう思す。

現代語訳

御車を寄せている中門が、たいそうひどくゆがみ弱っていて、夜に見てこそ、荒れていることはっきりと見えはしても、万事隠されていることが多かったのだが、(夜が明けてくると)たいそう哀れに寂しく酷く荒れている所に、松にかかった雪だけが暖かそうに降り積もっているようで、山里の風情が身にしみてしみじみと趣深い。

あの人々が言った「葎の門」というのは、このような所であるに違いない、なるほど気がかりな、可愛らしい人をここに住まわせて、いつも会えないことが残念だ、恋しいという、そんな気持ちを抱きたいものだ。

あってはならない物思いは、それで紛れてしまうだろうに、そんな理想的なこの場所にはふさわしくない姫君のご様子は、何のとりえもないと源氏の君はお思いになる。

まして自分でない他の男なら、あの姫君との関係を続けることが我慢できるだろうか、私がこうやって姫君と見馴れた縁となったのは、故親王が姫君のことを心配に思われて、姫君のおそばに留め置かれた魂の案内ではないかと、源氏の君は、思われる。

源氏の君は、橘の木が雪に埋もれているのを、御随身に命じて払わせなさる。それをうらやんでいるように、松の木がひとりで自身を起き返って、さっとこぼれる雪も、評判にきく末の松山と見えることなどを、源氏の君は、そう深い心てなくても、ある程度のところまで、相手をしてくれる人もほしいものだとご覧になる。

御車を出すことになっている門はまだ開けていないので、鍵の預かり人を探しだしたところ、たいそう年を取った翁が出てきた。

娘だろうか、孫だろうか、中途半端な年頃の女が、衣は雪にぬれてひどく煤けて、あきらかに寒そうな様子で、変な入れ物に火をほんの少し入れて袖で包んで持っている。

翁が、門を開けることができないので、この女がそばに寄って、門を引くのを手伝っているさまは、たいそう不格好だ。御供の人がそばに寄って、門を開けた。

(源氏)ふりにける…

(老人の頭に雪が降っているのを見る私も、それに劣らず涙で袖を濡らしていることよ)

若い者は姿を隠せない…と源氏の君は詠じられて、その詩句から、姫君の鼻の色が色づいて、たいそう寒そうに見えた御ようすが、ふと思い出されて、微笑なさる。

頭中将にこの姫君を見せた時、どんなことにたとえて言うだろう、いつも様子を見にやって来るので、いまに見つけられるだろうと、打つ手がなく思われる。

語句

■まどふ 動詞について、「ひどく~する」。 ■かの人々の言ひし葎の門 「雨夜の品定め」のくだりの左馬頭の言葉「さて世にありと人に知られず、さびしくあばれたらむ葎《むぐら》の門《かど》に、思ひの外にらうたげならん人の閉ぢられたらんこそ限りなくめづらしくはおぼえめ」(【帚木 04】)。 ■あるまじきもの思ひ 藤壺への恋慕。この頃、源氏は藤壺と密通し、その結果、藤壺は懐妊していた(【若紫 14】)。 ■見忍びてんや 「見忍ぶ」は我慢して結婚生活を続ける。 ■かうて 「かくて」の音便。 ■故宮 故常陸宮。 ■たぐへおきたまひけむ 「類ふ」は添わせる。 ■名にたつ末の 「わが袖は名に立つ末の松山か空より波の越えぬ日はなし」(後撰・恋二 土佐)。私の袖は評判にきく末の松山だろうか。空から波が越えない日はないというくらい、いつも涙にくまれている。「末の松山」は宮城県の歌枕。「契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは」(清原元輔)。 ■あやしきもの 暖を取るための火入れ。 ■ふりにける… 「ふり」は「経る」と「降る」を掛ける。 ■幼き者は形蔽れず 「夜深ウシテ煙火尽キ 霰雪白紛々 幼キ者ハ形蔽(かく)レズ 老イタル者ハ躰ニ温ナシ 悲喘(ひぜん)寒気ト併セテ鼻中ニ入ツテ辛タリ」(白氏文集巻ニ・秦中吟・重賦)。 ■すべなし 「せむすべなし」。打つ手がない。

朗読・解説:左大臣光永

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