【紅葉賀 12】源氏、紫の上と睦み合う

つくづくと臥《ふ》したるにも、やる方なき心地すれば、例の、慰めには、西の対《たい》にぞ渡りたまふ。しどけなくうちふくだみたまへる鬢《びん》ぐき、あざれたる袿《うちき》姿にて、笛をなつかしう吹きすさびつつ、のぞきたまへれば、女君、ありつる花の露にぬれたる心地して、添ひ臥したまへるさま、うつくしうらうたげなり。愛敬《あいぎやう》こぼるるやうにて、おはしながらとくも渡りたまはぬ、なまうらめしかりければ、例ならず背きたまへるなるべし、端《はし》の方《かた》についゐて、「こちや」とのたまへどおどろかず、「入《い》りぬる磯の」と口ずさみて、口おほひしたまへるさま、いみじうざれてうつくし。「あなにく。かかること口馴れたまひにけりな。みるめにあくは正《まさ》なきことぞよ」とて、人召して、御琴取り寄せて弾かせたてまつりたまふ。「箏《さう》の琴《こと》は、中《なか》の細緒《ほそを》のたへがたきこそところせけれ」とて、平調《ひやうでう》におしくだして調べたまふ。掻き合はせばかり弾きて、さしやりたまへれば、え怨《ゑ》じはてず、いとうつくしう弾きたまふ。ちひさき御ほどに、さしやりてゆしたまふ御手つき、いとうつくしければ、らうたしと思して、笛吹き鳴らしつつ教へたまふ。いとさとくて、かたき調子どもを、ただ一《ひと》わたりに習ひとりたまふ。おほかた、らうらうしうをかしき御心ばへを、思ひしことかなふ、と思す。保曾呂倶世利《ほそろぐせり》といふものは、名は憎けれど、おもしろう吹きすさびたまへるに、掻き合はせまだ若けれど、拍子《はうし》違《たが》はず上手めきたり。

大殿油《おほたなぶら》まゐりて、絵どもなど御覧ずるに、出《い》でたまふべし、とありつれば、人々声《こわ》づくりきこえて、「雨降りはべりぬべし」など言ふに、姫君、例の、心細くて屈《く》したまへり。絵も見さして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪《ぐし》のいとめでたくこぼれかかりたるを、かき撫でて、「ほかなるほどは恋しくやある」とのたまへば、うなづきたまふ。「我も、一日《ひとひ》も見たてまつらぬはいと苦しうこそあれど、幼くおはするほどは、心やすく思ひきこえて、まづくねくねしく怨むる人の心破らじと思ひて、むつかしければ、しばしかくもありくぞ。大人しく見なしてば、ほかへもさらに行くまじ。人の恨み負はじなど思ふも、世に長うありて、思ふさまに見えたてまつらんと思ふぞ」など、こまごまと語らひきこえたまへば、さすがに恥づかしうて、ともかくも答《いら》へきこえたまはず。やがて御膝によりかかりて、寝入りたまひぬれば、いと心苦しうて、「今宵は出でずなりぬ」とのたまへば、みな立ちて、御膳《もの》などこなたにまゐらせたり。姫君起こしたてまつりたまひて、「出でずなりぬ」と聞こえたまへば、慰みて起きたまへり。もろともに物などまゐる。いとはかなげにすさびて、「さらば寝たまひねかし」と、あやふげに思ひたまひつれば、かかるを見棄てては、いみじき道なりとも、おもむきがたくおぼえたまふ。

現代語訳

源氏の君は、つくづくと横になっていらしても、晴らしようのない気持ちがするので、いつものように、気晴らしには、西の対の姫君のもとにいらっしゃる。

源氏の君が、しどけなく、毛羽立っていらっしゃる鬢の毛筋と、うちとけた御袿姿で、笛を親しみ深い感じで気ままに吹きつつ、お覗きになると、女君(紫の上)が、さきほどの花が露に濡れたような風情で、物に寄りかかって横になっていらっしゃるさまは、可憐で可愛らしい。

女君(紫の上)は、愛らしさがあふれる様子で、源氏の君が邸に帰っていらっしゃるのに早く西の対にいらっしゃらないことが少々恨めしかったので、いつもと違って背を向けていらっしゃるらしい。

源氏の君が、部屋の端の方に膝をついて、(源氏)「こちらへ」とおっしゃっても、女君(紫の上)はそしらぬ体で、(紫)「入りぬる磯の」と口ずさんで、口をおおわれるさまは、たいそう機転がきいて可愛らしい。

「なんと憎いこと。そのようなことも言い馴れなさったのですな。あまりに見すぎるのはよくないことですよ」といって、人を召して、御琴を取り寄せて弾かせ申し上げなさる。

(源氏)「箏の琴は、中の細緒が切れやすいのがやっかいなのだ」といって、源氏の君は、平調《ひょうじょう》に調子を下げてお弾きになる。

掻き合わせだけを弾いて、姫君のほうに琴を押しやりなさると、姫君はすねることをおやめになって、たいそう可愛らしく琴をお弾きになる。

小さな御身丈で、背をのばして、弦を押さえてゆらし響かせなさる御手つきは、たいそう可愛らしいので、源氏の君は、かわいいとお思いになって、笛を吹き鳴らしつつお教えになる。

姫君(紫の上)はたいそう賢くて、難しいさまざまな調子を、ただ一度だけで習得してしまわれる。

源氏の君は、姫君のいったいに物事に巧みで、すぐれているご気性を、この姫君によって思っていたことがかなう、と思われる。

保曾呂倶世利《ほそろぐせり》という曲は、曲名が変な感じだが、おもしろく、思いのままにお吹きになるにつけ、姫君の技量はまだ未熟だが、拍子をはずさず、将来上手になりそうである。

大殿油《おほとなぶら》を召し寄せて、たくさんの絵などを御覧になると、源氏の君は前もって、今夜は外出すると言われていたので、供の人々が咳払いなどで合図して、「雨が降るようです」など言うと、姫君はいつものように、心細くてふさぎんでおしまいになる。

絵も見ることをやめて、うつ伏せになっておられると、それがたいそう可愛らしくて、御髪がたいそう美しくこぼれかかるのを源氏の君はかき撫でて、(源氏)「私が他所にいる時は恋しいかい」とおっしゃると、姫君はうなづかれる。

(源氏)「私も、一日でも貴女を拝見しないのはとても辛いのだけれど、貴女が幼くいらっしゃる間は、気安く思い申し上げて、まずは、ひねくれて怨むような人の心を損ねまいと思って、その女たちが厄介なので、時々こうやって出歩くのですよ。貴女が大人になったと見たら、けして他所へは行きませんよ。人の怨みを負うまいと思うのも、長生きして、思いどおり、貴女と一緒にいたいと思うからこそですよ」など、こまごまとお話申し上げなさると、姫君はそう言われるとかえって恥ずかしくて、何ともお答え申し上げない。

姫君はそのまま源氏の君の御膝によりかかって、寝入ってしまわれると、源氏の君はひどく意地らしく思われて、(源氏)「今宵の外出はやめた」とおっしゃると、女房たちはみな立って、お食事などをこちらに差し上げた。

源氏の君は姫君をお起こし申し上げられて、(源氏)「外出しないことになりました」と申し上げなさると、姫君はご機嫌を直して起きられた。

源氏の君と姫君はご一緒にお食事などなさる。

姫君はほんの少しだけ箸をおつけになって、「それでは、おやすみなさい」と、心配そうに思っていらっしゃったので、源氏の君は、このような御方を見捨てては、必ず行くことになる死出の旅路にさえ、おもむきがたいと思われる。

語句

■ふくだみたまへる 「ふくだむ」はけば立って、ぼさぼさになる。 ■あざれたる うちとけた。ラフな着方ということ。 ■ありつる花 先程の歌に詠まれた「常夏」=撫子の花。 ■ついゐて 膝を立てて。 ■入りぬる磯の 「潮満てば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き」(万葉1394、古今六帖六、拾遺・恋五、夫木抄二十六)。歌意は、「潮が満ちると水面下に沈んでしまう草なのだろうか私の恋心は。逢うのは少なく、恋することばかり多い」。紫の上は源氏になかなか逢えずに逢いたい気持ちばかりがつのる、その恨みを古歌にたくして訴える。 ■みるめにあくは正なきことぞよ 「伊勢の海人(あま)の朝な夕なにかづくてふみるめに人を飽くよしもがな」(古今・恋四 読人しらず)。歌意は、「伊勢の海人が朝な夕なに頭にかぶるという海藻。その「みる」という言葉ではないが、あなたを飽きるほど見る方法があればよいのだが」。ずっと見ていたい、逢っていたという気持ちを歌う。源氏はこの歌を逆にとり、いつもいつも満足するほど見るのはよくないのだ、たまに見るからこそ喜びも大きいのだという理屈を取る。 ■箏の琴 十三絃。外側の第一弦から第五弦までを太緒、第六弦から第十弦までを中緒、第十一弦から第十三弦まで(手前側三弦)を細緒という。「中の細緒」は細緒の中央の弦とするのが定説。 ■平調 低い調子。高い調子だと「中の細緒」が切れやすい。 ■掻き合はせ 調子をあわせるための簡単な曲。 ■ゆしたまふ 「ゆす」は左手で弦を押さえてゆすって音を響かせること。 ■らうらうしう 「らうらうし」は巧みだ。物慣れている。 ■思ひしことかなふ 源氏は二条院に理想の女性(藤壺)を住まわせたいと思い(【桐壺 16】)、藤壺のかわりに紫の上を理想の女性に仕立てようと考えた(【若紫 06】)。その願いが順調に叶えられつつある。 ■保曾呂倶世利《ほそろぐせり》 壱越調の楽曲。 ■名は憎けれど 曲名が変な感じだが。 ■くねくねしく 「くねくねし」はねじまがっている。 ■大人しく見なしてば 源氏が、紫の上を大人だと認識できるようになったら。「なす」は動詞につけて、「意識的に~する」。 ■はかなげにすさびて ちょっとだけ箸をつけて。源氏は今夜は外出しないときいても、なお紫の上は不安で落ち着かないようすをあらわしている。 ■いみじき道 ここでは死後必ずおむもくことになる、死出の旅路。

朗読・解説:左大臣光永

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