【明石 07】入道、源氏に親しむも娘のことは言い出せず
明石の入道、行ひ勤めたるさま、いみじう思ひすましたるを、ただこのむすめ一人をもてわづらひたるけしき、いとかたはらいたきまで、時々もらし愁へ聞こゆ。御心地にもをかしと聞きおきたまひし人なれば、かくおぼえなくてめぐりおはしたる身も、さるべき契りあるにやと思しながら、なほかう身を沈めたるほどは、行ひよりほかの事は思はじ、都の人も、ただなるよりは、言ひしに違《たが》ふと思さむも心恥づかしう思さるれば、気色《けしき》だちたまふことなし。事にふれて、心ばせありさまなベてならずもありけるかなと、ゆかしう思されぬにしもあらず。
ここにはかしこまりて、みづからもをさをさ参らず、もの隔たりたる下《しも》の屋《や》にさぶらふ。さるは明け暮れ見たてまつらまほしう、飽かず思ひきこえて、いかで思ふ心をかなへむ、と仏神をいよいよ念じたてまつる。年は六十ばかりになりたれど、いときよげに、あらまほしう、行ひさらぼひて、人のほどのあてはかなればにやあらむ、うちひがみほれぼれしきことはあれど、古昔《いにしへ》のことをも見知りて、ものきたなからず、よしづきたる事もまじれれば、昔物語などせさせて聞きたまふに、すこしつれづれの紛れなり。年ごろ公私《おほやけわたくし》御|暇《いとま》なくて、さしも聞きおきたまはぬ世の古事《ふるごと》どもくづし出でて、かかる所をも人をも、見ざらましかばさうざらしくやとまで、興ありと思すこともまじる。
かうは馴れきこゆれど、いと気高う心恥づかしき御ありさまに、さこそ言ひしか、つつましうなりて、わが思ふことは心のままにもえうち出で聞こえぬを、心もとなう口惜しと、母君と言ひあはせて嘆く。正身《さうじみ》は、おしなべての人だにめやすきは見えぬ世界に、世にはかかる人もおはしけりと見たてまつりしにつけて、身のほど知られて、いとはるかにぞ思ひきこえける。親たちのかく思ひあつかふを聞くにも、似げなきことかな、と思ふに、ただなるよりはものあはれなり。
現代語訳
明石の入道が、仏事のおつとめにはげんでいるさまは、たいそう熱心であるが、ただこの娘ひとりをどうしていいかわからない様子は、傍目にも気の毒なほどで、時々愚痴をこぼして源氏の君のお耳に入れるのだ。
源氏の君の御気持ちとしても、以前から美しい人と聞きおぼえていらっしゃる人であるので、こうして思いもかけず巡り逢われたのも、「しかるべき前世からの契りがあるのだろうか」とお思いになりながら、「やはりこうして謹慎しているうちは、仏事のおつとめ以外のことは思うまい、都の人(紫の上)も、いつもとちがって、『言ったことと行動が違う』とお思いになるだろう。それも恥ずかしい」と源氏の君はお思いになるので、そのような素振りをお見せになられることもない。
ただ何かにつけて、ご気性や容姿が、並々でないお方であるのだなと、ご興味を抱かれないわけではない。
入道は、源氏の君の御座所には、畏れ多く思って、自身では滅多なことでは参上せず、だいぶ離れた下の屋に控えている。
そうはいっても明け暮れに源氏の君を拝見したく、ものたりない気持なので、どうやって思う心をかなえよう、と仏神をいよいよ念じ申し上げる。
年は六十ばかりになっているが、たいそうさっぱりして、好ましいふうにお勤めに励んだために痩せていて、人柄が上品だからだろうか、一徹者で、ぼけているところはあるが、故実にも通じて、むさ苦しい感じはなく、教養が身についているような所もちょくちょく見えるので、源氏の君は入道に昔物語などさせてお聞きになると、すこし所在なさが紛れるのである。
源氏の君が長年、公私にわたり暇のないせいで、それほど十分に聞きおかれなかった世の古い色々な事を、入道はぽつぽつと話し出して、源氏の君は、このような場所も人も、出逢うことがなかったらさぞ物足りないことだったろうとまで、おもしろくお思いになられることもあった。
入道はこうして源氏の君に馴れ申し上げたが、君のたいそう気高くこっちが恥ずかしくなるほどの御ようすに、ああは言ったものの、恐縮して、自分が思っていることは心のままにも打ち明け申し上げることができずにいるのを、「じれったい。残念だ」と、母君と言い合って嘆く。
姫君本人は、「いちおうの身分の人でさえ、見苦しくない男は見えない世の中に、世にはこんな人もいらっしゃったのだ」と拝見したのにつけても、身のほどが思い知られて、源氏の君のことを、ひどく遠い御方と思い申し上げる。
両親がこう思って準備しているのを聞くにつけ、不釣り合いなことだと思うので、何事もなかった以前に比べてなんとなく悲しい気持になるのだ。
語句
■このむすめ一人をもてわづらひたるけしき 明石入道が娘の将来について苦慮していることは若紫巻で噂話として語られている。その話に源氏が興味を抱いたことも(【若紫 03】)。 ■下の屋 小さな小屋。 ■さるは 前文を受けて、「そうはいっても実は…」。 ■飽かず 源氏の君を明け暮れ拝見できないことが入道は物足りない。 ■あらまほしう 「あらまほし」は好ましい。理想的である。入道が仏事に励んで痩せていることが。 ■さらぼひて 「さらばふ」は「曝《さ》る」から。雨露にさらされて骨だけになること。やせ衰えていること。 ■人のほど 明石入道は大臣の子、按察使大納言の甥。桐壷更衣の従兄。「故母息所《こははみやすどころ》は、おのかをぢにものしたまひし抜察大納言《あぜちのだいなごん》のむすめなり。」(【須磨 20】) ■うちひがみ 「ひがむ」は一徹者であること。悪い意味ではない。 ■ほれぼれしき 「惚《ほ》る」はぼけている。 ■古昔のことをも見知りて 入道は昔、近衛中将であった。「世のひがものにて、交らひもせず、近衛中将《このゑのちゆうじやう》を棄てて、…」(【若紫 03】)。 ■さこそ言ひしか 入道が、娘を源氏の君に奉ろうと言ったこと。言った相手は妻=明石の尼君。「吾子《あこ》の御宿世《みすくせ》にて、おぼえぬことのあるなり。いかでかかるついでに、この君に奉らむ」(【須磨 19】)。 ■母君 娘の母。明石の入道の妻。明石の尼君。 ■わが思ふこと 源氏に娘を奉ろうと思っていること。 ■正身 娘本人。 ■見たてまつりしにつけて 娘は岡辺の宿におり、そんな機会はなさそうなので、源氏の君を拝見したというのは不審。 ■身のほど 源氏の君の高い身分に対して、自分は国司の娘にすぎず身分差は歴然としている。 ■親たちのかく思ひあつかふ 両親が自分を源氏の君に奉ろうとしていること。 ■ただなるよりは 源氏の君との縁談などまったくなかった以前よりは。そういう話が出てきたのでかえって自分の身の程が思い知られ、悲しくなるのである。