【明石 15】明石の君、源氏の夜離れを嘆く 源氏、紫の上と心通いあう

女、思ひしもしるきに、今ぞまことに身も投げつべき心地する。行く末短げなる親ばかりを頼もしきものにて、何時《いつ》の世に人なみなみになるべき身とは思はざりしかど、ただそこはかとなくて過ぐしつる年月は、何ごとをか心をも悩ましけむ、かういみじうもの思はしき世にこそありけれど、かねて推《お》しはかり思ひしよりもよろづに悲しけれど、なだらかにもてなして、憎からぬさまに見えたてまつる。あはれとは月日にそへて思しませど、やむごとなき方のおぼつかなくて、年月を過ぐしたまふが、ただならずうち思ひおこせたまふらむが、いと心苦しければ、独り臥《ふ》しがちにて過ぐしたまふ。絵をさまざま描《か》き集めて、思ふことどもを書きつけ、返りごと聞くべきさまにしなしたまへり。見む人の心にしみぬべき物のさまなり。いかでか空に通ふ御心ならむ、二条の君も、ものあはれに慰む方なくおぼえたまふをりをり、同じやうに絵を描《か》き集めたまひつつ、やがてわが御ありさま、日記《にき》のやうに書きたまヘり。いかなるべき御さまどもにかあらむ。

現代語訳

女(明石の君)は、考えていたことがその通りになったので、今はほんとうに海に身を投げてしまおうかという気持になる。行く末短そうな親だけを頼りにして、いつになったら人並になるような身とは思わなかったが、ただなんとなく過ごしてきた年月は、何に心を悩ませることがあっただろうか。男女の関係とはこれほどまでにひどく心を悩ますものかと、かねて予想していたよりも万事にわたって悲しく思うが、なんでもないように振る舞って、嫌われることのないようすで、源氏の君にお逢い申し上げる。

源氏の君も、月日が重なるにつれて明石の君へのご愛情はつのっていかれるが、京の大切な方(紫の上)が不安な気持で年月をお過ごしになって、並々でなくこちらに思いを寄せていらっしゃるであろうことが、ひどく心苦しいので、独り寝の夜が多くてお過ごしになる。

絵をさまざまに描き集めて、それに多くの思っていることを書きつけ、姫君からの返事をきくような形で末尾に空白をもうけてお作りになる。

見る人の心にしみるに違いない物のようすである。いかにして空に通う御心であるのか、二条の君も、しみじみと慰めようもなく思われる折々、同じように絵を描き集められつつ、そのまま日記のようにお書きになる。さて御二人の行く末は、どうなるのであろうか。

語句

■思ひしもしるきに 予想したとおり、源氏が訪ねてこなくなったので。 ■今ぞことに身をも投げつべき 父入道が「この思ひおきつる宿世違はば、海に入りね」と言っていたように(【若紫 03】)。 ■絵をさまざま描き集めて 源氏が絵をたしなむことはこれまでも何度か語られている(【須磨 16】)。 ■思ふことどもを書きつけ 絵に和歌を添えた。 ■空に通ふ御心 「あひ知りてはべりける人のあづまの方へまかりけるを送るとて詠める/雲居にもかよふ心のおくれねば別ると人に見ゆばかりなり」(古今・羇旅 清原深養父)。 ■日記のやうに書きたまへり 絵の上に日記を書く。 ■いかなるべき… 草子文。語り部が読者に直接語りかけている部分。

朗読・解説:左大臣光永

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