【明石 16】源氏に赦免の宣旨下る 明石の君、懐妊

年かはりぬ。内裏《うち》に御薬のことありて、世の中さまざまにののしる。当帝《たうだい》の御子《みこ》は、右大臣のむすめ、承香殿女御の御腹に男御子《をとこみこ》生まれたまへる、二つになりたまへば、いといはけなし。春宮にこそは譲りきこえたまはめ、朝廷《おほやけ》の御|後見《うしろみ》をし、世をまつりごつべき人を思しめぐらすに、この源氏のかく沈みたまふこといとあたらしうあるまじき事なれば、つひに后の御|諫《いさめ》を背きて、赦されたまふべき定め出で来《き》ぬ。去年《こぞ》より、后も御物の怪《け》悩みたまひ、さまざまの物のさとししきり、騒がしきを、いみじき御つつしみどもをしたまふしるしにや、よろしうおはしましける御目の悩みさへこのごろ重くならせたまひて、もの心細く思されければ、七月二十余日《にじふよにち》のほどに、また重ねて京へ帰りたまふべき宣旨くだる。

つひの事と思ひしかど、世の常なきにつけても、いかになりはつべきにかと嘆きたまふを、かうにはかなれば、うれしきにそへても、またこの浦を今はと思ひ離れむことを思し嘆くに、入道、さるべきことと思ひながら、うち聞くより胸ふたがりておぼゆれど、思ひのごと栄えたまはばこそは、わが思ひのかなふにはあらめなど、思ひなほす。

そのころは夜離《よが》れなく語らひたまふ。六月ばかりより心苦しきけしきありて悩みけり。かく別れたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけむ、ありしよりもあはれにおぼして、あやしうもの思ふべき身にもありけるかなと思し乱る。女はさらにもいはず思ひ沈みたり。いとことわりなりや。思ひの外《ほか》に悲しき道に出で立ちたまひしかど、つひには行きめぐり来《き》なむと、かつは思し慰めき。このたびはうれしき方の御|出立《いでたち》の、またやは帰りみるべきと思すに、あはれなり。

さぶらふ人々、ほどほどにつけてはよろこび思ふ。京よりも御迎へに人々参り、心地よげなるを、主《あるじ》の入道涙にくれて、月も立ちぬ。ほどさへあはれなる空のけしきに、なぞや心づから今も昔もすずろなることにて身をはふらかすらむと、さまざまに思し乱れたるを、心知れる人々は、「あな憎。例の御癖ぞ」と、見たてまつりむつかるめり。「月ごろは、つゆ人に気色《けしき》見せず、時々這ひ紛れなどしたまへるつれなさを、このごろあやにくに、なかなかの、人の心づくしに」と、つきしろふ。少納言、しるべして聞こえ出でしはじめの事などささめきあへるを、ただならず思へり。

現代語訳

年が改まった。宮中では帝のご病気のことがあって、世間はさまざまに騒ぐ。今上帝の御子は、右大臣のむすめ、承香殿《しょうきょうでんの》女御の御腹に男御子がお生まれになったのであるが、まだ二歳になられたばかりなので、とても幼い。

将来、東宮に御位を譲り申し上げることは問題ないとしても、朝廷の世話役をして、世のまつりごとを行う人をあれこれ考えてみるに、あの源氏の君がこうして逆境に立たされていらっしゃることは惜しいことで、ありえないことであるので、ついに帝は、大后(弘徽殿)のお諌めを背いて、源氏の君を赦免すべきという評定が行われる。

去年から、大后も御物の怪にお悩みになり、さまざまの物の啓示が多く、騒がしいのを、厳重な物忌などをなさったしるしであろうか、最近は少しよくなっていらした御目の悩みまでも、最近はまた重くおなりで、なんとなく心細く思われるので、7月二十日すぎごろに、また再び京にご帰還なさるべ宣旨がくだる。

源氏の君は、いつかはこうなると思っておられたが、世の無常であることにつけても、最後にはどうなるのであろうかとお嘆きになっていらしたところ、こうまで急に赦免ということになれば、うれしいのに加えて、また一方ではこの明石の浦を今はこれまでと離れることになるのを悲しんでいらっしゃると、入道は、こうなるのは当然と思いながら、そうはいってもご帰京と聞くとすぐに胸がつまる思いがするが、自分の希望どおり、源氏の君がお栄えになれば、それこそわが思いがかなったというものであろうなどと、思いなおす。

そのころは一晩も欠かさず明石の君とお逢いになる。六月あたりから女君は心苦しいようすがあって悩んでいた。源氏の君は、こうして女君とお別れなさらねばならない時であるので、意地悪くかえって女君への執着が出てこられたのだろうか、以前より愛しくお思いになって、「私は不思議にも物思いを尽くさねばならない身の上であったことよ」と思い悩んでいらっしゃる。

女は言うまでもなく思い沈んでいる。しごく当然のことであるよ。

源氏の君は、京を離れたときは思いもかけず悲しい旅に出で立たれたが、結局は廻り廻って京に帰ってくるだろうと、一方ではお心を慰めてもいらした。今回はうれしい帰京のご出立であり、二度とふたたび戻ってこの地を見ないかもしれないとお思いになるにつけ、しみじみと感慨深くお思いになる。

お仕えする人々は、それぞれ身分の程度に応じて嬉しく思っている。京からも御迎えに人々が参って、嬉しそうにしているのを、主人の入道は涙にくれる中、七月も暮れた。

気節がらも感慨深い空のけしきに、源氏の君は、(源氏)「どうして我ながら今も昔も、分別のない色恋沙汰に身を放り出すのだろう」と、さまざまに思い悩んでおられるのを、事情を知っている人々は、「ああ困ったことだ。いつもの悪い御癖だ」と拝見して、ぶつぶつ言っているようである。

(供人)「ここ幾月かは、女君に対してまるでそうしたそぶりも見せず、時々お忍びでお通いになっていらしたほどに冷淡であられたのに、いよいよ帰京するという最近になって、意地悪にも熱心におなりなのは、かえって女君にとって物思いの種になるではないか」と、つつき合っている。少納言は、源氏の君に女君のことを取り持ってお話し申し上げたはじめのいきさつなどを、人々がこそこそ言い合っているのを、いたたまれなく思っている。

語句

■年かはりぬ 源氏ニ十八歳。 ■御薬のこと 天皇のご病気。主に眼病。 ■右大臣 後に登場する髭黒の大将の父。 ■承香殿女御 「承香殿《しょうきょうでん》」は清涼殿の東北、仁寿殿とはつながって北。 ■あたらしう 「あたらし」は惜しい、もったいない。 ■后の御諌 弘徽殿大后が「罪に怖《お》ぢて都を去りし人を、三年《さんねん》をだに過ぐさず赦《ゆる》されむことは、世の人もいかが言ひ伝へはべらん」などと言っていたこと(【明石 11】)。 ■よろしう 「よろし」は「よし」より低いが悪くはない状態。 ■かうにはかなれば ニ年四ヶ月での赦免は異例のこと。 ■思ひのごと 入道の希望どおり。源氏の希望どおりという説も。 ■夜離れ 男が女のもとから足が遠のくこと。 ■心苦しきけしき 妊娠の兆候。 ■あやにくなるにや 「あやにく」は意地が悪い。帰る段になって愛情がましてはお互いに辛いから。 ■ありしよりも 妊娠する以前よりも。 ■つひには行きめぐり 源氏は離京前に花散里によんだ。「行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らむ空なながめそ」(【須磨 04】)。 ■涙にくれて 「くれて」は涙に暮れてと、月が暮れての意をかける。 ■月も立ちぬ 七月が終わり八月となる。 ■ほどさへ 帰京の時期であることを抜きにしても中秋という気節がらからいってもしみじみと感慨深いのである。 ■すずろなる 深い思慮もなく。 ■心知れる人々 惟光や良清といった源氏に近しい従者。 ■むつかるめり 「憤《むつか》る」は不快に思う。腹を立てる。源氏と従者たちとの関係からいって怒るということではないが、腐ってぶつぶつと陰口を言う感じか。 ■這ひ紛れ 「這ひ紛る」は人目を紛らす。こっそり行動する。 ■心づくし 物思いの限りを尽くすこと。 ■少納言 良清のこと。はじめに明石の君のことを源氏に話した(【若紫 03】)。 ■

朗読・解説:左大臣光永

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