【蓬生 13】源氏、末摘花を庇護し、二条院に移す
祭、御禊《ごけい》などのほど、御いそぎどもにことつけて、人の奉りたる物いろいろに多かるを、さるべきかぎり御心加へたまふ。中にも、この宮には、こまやかに思しよりて、睦ましき人々に仰せ言《ごと》たまひ、下部《しもべ》どもなど遣はして、蓬《よもぎ》払はせ、めぐりの見苦しきに、板垣《いたがき》といふものうち堅《かた》め繕はせたまふ。かうたづね出でたまへりと聞き伝へんにつけても、わが御ため面目なければ、渡りたまふことはなし。御文いとこまやかに書きたまひて、二条院近き所を造らせたまふを、「そこになむ渡したてまつるべき。よろしき童《わらは》べなど、求めさぶらはせたまへ」など、人々の上まで思しやりつつ、とぶらひきこえたまへば、かくあやしき蓬のもとには置きどころなきまで、女ばらも空を仰ぎてなむ、そなたに向きてよろこびきこえける。 なげの御すさびにても、おしなべたる世の常の人をば目とどめ耳たてたまはず、世にすこしこれはと思ほえ、心地にとまるふしあるあたりを尋ね寄りたまふものと人の知りたるに、かくひき違《たが》へ、何ごともなのめにだにあらぬ御ありさまをものめかし出でたまふは、いかなりける御心にかありけむ。これも昔の契りなめりかし。
今は限りとあなづりはてて、さまざまに競《きほ》ひ散りあかれし上下《うへしも》の人々、我も我も参らむとあらそひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、埋れいたきまでよくおはする御ありさまに、心やすくならひて、ことなる事なきなま受領《ずりやう》などやうの家にある人は、ならはずはしたなき心地するもありて、うちつけの心みえに参り帰る。
君は、いにしへにもまさりたる御|勢《いきほひ》のほどにて、ものの思ひやりもまして添ひたまひにければ、こまやかに思しおきてたるに、にほひ出でて、宮の内やうやう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、前栽《せんざい》の本立《もとだ》ちも涼しうしなしなどして、ことなるおぼえなき下家司《しもげいし》の、ことに仕へまほしきは、かく御心とどめて思さるることなめりと見とりて、御気色たまはりつつ、追従《ついしよう》し仕うまつる。
二年《ふたとせ》ばかりこの古宮《ふるみや》にながめたまひて、東《ひむがし》の院といふ所になむ、後は渡したてまつりたまひける。対面したまふことなどは、いと難けれど、近き標《しめ》のほどにて、おほかたにも渡りたまふに、さしのぞきなどしたまひつつ、いとあなづらはしげにもてなしきこえたまはず。
かの大弐の北の方上《のぼ》りて驚き思へるさま、侍従が、うれしきものの、いましばし待ちきこえざりける心浅さを恥づかしう思へるほどなどを、いますこし問はず語りもせまほしけれど、いと頭《かしら》いたう、うるさくものうければなむ、いままたもついであらむをりに、思ひ出でてなむ聞こゆべきとぞ。
現代語訳
賀茂祭、斎院の御禊などの時、その準備になどにことよせて、人々が献上していた品物がいろいろと多いのを、源氏の君は、しかるべき方々
すべてに御心をこめてお贈りになる。中にもこの常陸宮邸へは、こまごまと御心遣いをなさって、親しい人々に仰せ言を賜り、下人たちなどを遣わして、蓬を払わせ、邸の周囲が見苦しかったので、板垣というものを固めて修繕させなさる。
このように源氏の君が常陸宮の姫君(末摘花)を探し出されたと世間が聞き伝えることにつけても、ご自分のために面目ないので、君は姫君のもとにお出でになることはない。お手紙を情こまやかにお書きになって、二条院に近い建物をお作らせになって、「そこにお移し申し上げましょう。しっかりした童たちなどを探して、お仕えさせなさいまし」など、姫君にお仕えする人々の身の上までお心遣いなさりつつ、お世話あそばすので、こんな見すぼらしい蓬のもとには源氏の君の御心遣いの置きどころもないほどのありがたさで、女房たちも空を仰いで、二条院の方に向いてお礼を申し上げる。
源氏の君は、かりそめの御遊びであっても、世間並みの人に目をとめ聞き耳をお立てになることはなく、世に少しはこれはと思われ、気持ちにとまる所があるような方にお近づきになるものと世間の人は考えたいるのに、このようにまるで違って、何ごとも並の人にさえ及ばない姫君のご様子を一人前の人らしくお扱いになるのは、どういう御心なのだろう、これも前世からの因縁というものであろうか。
姫君のことを、「今はもう先が見えた」とすっかり見くびって、さまざまに競い合うように散り別れた身分が高い者も低い者も、我も我も参争って戻って参ろうとするのもある。
姫君は、ご気性などが、また、内気すぎるほどによくできていらっしゃるお人柄なので、それまで気楽に仕えることに馴れていた者が、なんという事もない中途半端な受領などいった者の家に鞍替えしていた人は、これまで経験したこともないようなばつの悪い思いをする者もあって、そういう現金な心を見られるためにわざわざ戻って参るのだ。
源氏の君は、以前にもまさって御権勢が盛んになられて、人に対する思いやりも増し加わっていらっしゃったので、こまごまとお指図をなさるので、常陸宮邸は活気が出て、邸内はしだいに人影が多くなって、木や草の葉もこれまではただ殺風景に気の毒に感じられていたのを、遣水をさらい、植込みの根本も涼しく手入れしたりなどするにつけ、別段誰からも御目をかけていただけない下家司で、なんとかしかるべき御方にお仕えしたいと思っていような者は、このように源氏の君が姫君に御心をとどめていらっしゃるようだと見て取って、姫君のご機嫌をうかがいながら、追従してお仕え申し上げる。
二年ほどこの古い宮邸に物思いの内にお過ごしになり、東の院という所に、後にはお移し申し上げなさった。源氏の君と直接お逢いになることなどはとても難しいが、二条院に近い領土の内なので、源氏の君が何かの用事でお出でになる時は、ちょっとお覗きなどなさりつつ、それほど姫君を軽んじたふうにもお取り扱いにならない。
あの大弐の北の方が上京して驚き思ったことや、侍従が、うれしくはあるものの、もう少しお待ち申し上げなかった思慮の浅さを恥ずかしく思った時のことなどを、もう少し問わず語りもしたいところであるが、ひどく頭が痛く、面倒で物憂いので、また別の機会がある折に、思い出してお話しするだろう、ということである。
語句
■祭 賀茂祭。葵祭。旧暦四月の中の酉の日。 ■御禊 斎院が賀茂祭にさきがけ賀茂河原で禊をする儀式。その後斎院は紫野斎院に入る。紫の斎院は現櫟谷七野(いちいだにななの)神社あたりとされる。 ■いそぎ 準備。 ■さるべきかぎり 源氏の主だった愛人たちすべて。 ■この宮 末摘花の住む故常陸宮邸。 ■わが御ため 天下の光源氏が末摘花のような女と関係があることが知れては外聞が悪い。 ■空を仰ぎて この巻のはじめに「待ち受けたまふ袂の狭きに、大空の星の光を盥の水に映したる心地して」(【蓬生 02】)とあったのに対応しているという説も。 ■なげの御すさび かりそめの御遊び。本気でない情事。「無げ」は実のない。かりそめの。 ■なのめ 普通程度であること。 ■ものめかし出でたまふ 「ものめかす」は一人前らしく取り扱う。 ■埋もれいたきまで 「埋もれいたし」は内気で引っ込み思案すぎること。 ■うちつけの心 落ちぶれたら遠ざかり、権勢が上がったらすり寄る、そうした現金な心。 ■おきてたるに 「掟《おき》つ」は指図する。 ■にほひ出でて 「にほふ」は美しく色づく。それまで寂れていた常陸宮邸に活気が出てきたことをいう。 ■本立ち 根本。 ■下家司 四・五位の上級の家司に対しそれ以下の者。 ■東の院 二条院の東に建てた別邸(【澪標 04】、【澪標 10】)。 ■標 領地。 ■おほかたにも 何かの用で。末摘花を訪ねる目的ではなく、一般的な用事で出かけ、そのついでに末摘花を訪ねるのである。 ■かの大弐の北の方 以下、草子文。