【澪標 10】五月雨のころ、源氏、花散里を訪ねる 五節・尚侍を思う

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原文

かくこの御心とりたまふほどに、花散里を離れはてたまひぬるこそいとほしけれ。公事《おほやけごと》もしげく、ところせき御身に、思し憚《はばか》るにそへても、めづらしく御目おどろくことのなきほど、思ひしづめたまふなめり。

五月雨《さみだれ》つれづれなるころ、公私《おほやけわたくし》もの静かなるに、思しおこして渡りたまへり。よそながらも、明け暮れにつけてよろづに思しやりとぶらひきこえたまふを頼みにて、過ぐいたまふ所なれば、今めかしう心にくきさまにそばみ恨みたまふベきならねば、心やすげなり。年ごろにいよいよ荒れまさり、すごげにておはす。女御の君に御物語聞こえたまひて、西の妻戸に夜更かして立ち寄りたまへり。月おぼろにさし入りて、いとど艶なる御ふるまひ尽きもせず見えたまふ。いとどつつましけれど、端《はし》近ううちながめたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。水鶏《くひな》のいと近う鳴きたるを、

水鶏だにおどろかさずはいかにして荒れたる宿に月をいれまし

いとなつかしう言ひ消《け》ちたまへるぞ、「とりどりに捨てがたき世かな。かかるこそなかなか身も苦しけれ」と思す。

「おしなべてたたく水鶏におどろかばうはの空なる月もこそいれ

うしろめたう」とは、なほ言《こと》に聞こえたまへど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年ごろ待ち過ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには思されざりけり。「空なながめそ」と、頼めきこえたまひしをりの事ものたまひ出でて、「などて、たぐひあらじ、といみじうものを思ひ沈みけむ。うき身からは同じ嘆かしさにこそ」とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。例のいづこの御言の葉にかあらむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえたまふ。

かやうのついでにも、かの五節《ごせち》を思し忘れず。また見てしがな、と心にかけたまへれど、いと難きことにて、え紛れたまはず。女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふこともあれど、世に経《へ》んことを思ひ絶えたり。心やすき殿造《とのづく》りしては、かやうの人集へても、思ふさまにかしづきたまふべき人も出《い》でものしたまはば、さる人の後見《うしろみ》にも、と思す。かの院の造りざま、なかなか見どころ多く、今めいたり。よしある受領《ずらう》などを選《え》りて、あてあてにもよほしたまふ。

尚侍《ないしのかむ》の君、なほえ思ひ放ちきこえたまはず。こりずまにたち返り、御心ばへもあれど、女はうきに懲りたまひて、昔のやうにもあひしらへきこえたまはず。なかなかところせう、さうざうしう世の中思さる。

現代語訳

源氏の君は、こうしてこの女君(紫の上)のご機嫌取りをなさっているうちに、花散里のもとから足がお離れになったのは不憫なことであった。

公務も忙しく、窮屈な御身なので、お出歩きを控えていらっしゃるのに加えて、むこうからも別段お気持ちを動かすことがないので、君も行動に移さず思いを静めていらっしゃるようである。

五月雨の、暇な時期に、公私にわたってのんびりしているので、思い立ちなさっておいでになる。

源氏の君の直接のご訪問はなくても、明け暮れにつけて万事気遣いをなさってご連絡なさるのを頼みにしてお過ごしになっている方でなので、今ふうに思わせぶりをしてすねたり恨んだりなさるはずもないので、源氏の君は落ち着けるようである。

ここ数年でいよいよひどく荒れて、恐ろしいまでに寂しげに過ごしておられる。

源氏の君は、まずは女御の君にお話しなさって、西の妻戸にことさら夜が更けてから立ち寄りなさる。月がおぼろにさし入って、たいそう優美な君の御ふるまいが余すところなくお見えになる。

女君(花散里)はひどく気が引けたが、君が端近くで物思いに沈んでいらしたその御姿のままで、ゆったりとしていらっしゃる気配は、とても見ばえがする。水鶏がとても近くで鳴いているのを、

(花散里)水鶏だに…

(せめて水鶏が戸を叩いて驚かさなければ、どうやってこの荒れた宿に月…貴方をお迎えしましょう)

たいそう優しく恨み言を言わずに抑えていらっしゃるので、「どの御方も、さまざまに捨てがたい仲であるよ。こうだからこそ、かえって私の身も苦しくなることよ」とお思いになる。

(源氏)おしなべて…

(いちいち水鶏が戸を叩くのにすべて驚いて迎え入れていたら、うはの空なる月…いい加減な浮気男までも迎え入れてしまいますよ)

気がかりなことで」とは、やはり言葉だけではおっしゃるが、この女君は浮ついた方面のことなど、疑わしく思わせるような御気性ではない。何年も源氏の君をお待ちして過ごしていらした女君のお気持も、君は少しもおろそかにはお思いにならなかった。「空なながめそ」と、頼もしくおっしゃった折の事も女君はお話し出されて、(花散里)「どうしてあの時、こんな悲しみは他にあるまいと、ひどく物思いに沈んだのでしょう。つらいわが身にとっては、ご帰京された今も同じ嘆かしさでございますのに」とおっしゃるのも、おおらかで可愛げがある。例によって、どこから出てくる源氏の君の御言葉だろうか、尽きることなくお語らいになりお慰めなさる。

このような事のついでにも、あの五節を源氏の君はお忘れにならない。また逢いたいものだと気にしていらっしゃるが、それもたいそう難しいことなので、人目を避けての忍び通いもなさらない。

女(五節)は君を思うがゆえのもの思いが尽きない。親はさまざまに考えて、縁談をすすめることもあるのだが、女は世間並みの結婚をあきらめている。

君は、かしこまらない新邸を造営して、このような人を集めて、思うようにお育てすべき人もお生まれになったら、そういう人の世話役にも、この五節を取り立てようとお思いになる。

その院の造りようは、かえって二条院の御本殿よりも見どころが多く、今風に洒落た感じである。

風流を解する受領などを選んで、それぞれに分担させて新邸の造営を急がせなさる。

源氏の君は、尚侍の君(朧月夜)のことを、やはりまだお諦めきれずにいらっしゃる。性懲りもなく昔に立ち返って、御好意をお示しになるが、女はあの酷い一件に懲りてしまわれて、昔のようにもお相手申し上げない。君はそれがかえって窮屈で、この関係をもの寂しくお思いになる。

語句

■離れはてたまひぬる 「花散里」の縁として「離れ」に「枯れ」をひびかせる。 ■五月雨つれづれなるころ はじめて花散里のもとを「五月雨の空めづらしく晴れたる雲間」に訪れたのと同じ気節(【花散里 01】)。 ■年ごろに 三年ぶりの訪問である。その間、すっかり荒れている。 ■女御の君 花散里の姉。麗景殿女御。 ■西の妻戸に 花散里のすまいは建物の西側。 ■いとどつつましけれど 源氏の輝かしい姿に対して、零落した自分の見すぼらしい姿を恥じる。 ■水鶏だに… 水鶏が戸を叩くのを、誰かが尋ねてきたと間違って戸を開ける。それくらいのことでもないと、この荒れた宿で月=貴方を迎え入れる機会がないという歌。 ■言ひ消ちたまへる 長く訪れてくれなかったことに対する恨み言はもちろんあるが、それを抑えて喜びのほうを全面に出す。 ■かかるこそ 「かかる」は花散里が素直に君の来訪を喜んでいること。恨み言を言われたら嫌にもなろうが、こう素直に喜ばれるとかえって心苦しくなるという気持ち。 ■おしなべて そう水鶏が戸を叩くたびにいちいち戸を開けていたら上の空なる月…いい加減な浮気男を招き入れてしまいますよの意。 ■なほ言に聞こえたまへど 源氏は花散里の浮気を懸念する歌をよんだが、本心ではこの人が浮気するなどとは思っていない。 ■空なながめそ 源氏が須磨下向に際して花散里に送った歌。「行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らむ空なながめそ」(【須磨 04】)。 ■頼めきこえたまひし 「頼む」は頼みに思わせる。頼もしく思わせる。 ■同じ嘆かしさにこそ 源氏が帰京したからといって自分のもとに頻繁に訪ねてくれるわけもないから。 ■五節 大宰大弐の娘。花散里巻で話の中に登場し(【花散里 02】)、須磨巻では源氏と歌を贈答し(【須磨 17】)、帰郷後も源氏と歌を贈答(【明石 21】)。 ■世を経んこと 生活していくこと。結婚。 ■心やすき殿造りしては… 「条院の東なる宮、院の御処分なりしを、二なく改め造らせたまふ。」(【澪標 04】) ■出でものしたまはば 妻の誰かに子が生まれたら。 ■なかなか見どころ多く 別邸は本邸と違い実用向きのことを考える必要がなくとことん好きに作れるので凝った趣向になる。 ■こりずまに 「こりずまにまたもなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば」(古今・恋三 読人しらず)。上の句「こりずまに」を引用することで下の句「にくからぬ世にし住まへば」(愛しい人と同じ世に住んでいるので)の意味をにおわせた。 ■うきに懲りたまひて 以前も朧月夜が「いとうき御身なり」と悔やんでる場面があった(【澪標 02】)。 ■なかなかところせう もう都に帰ったのだから本来好きなだけ逢える状態なのに、会えない。それがもどかしいと。

朗読・解説:左大臣光永

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