【薄雲 12】世の人々、藤壺の宮の崩御を悲しむ 源氏、哀惜の歌を詠む

原文

かしこき御身のほどと聞こゆる中にも、御心ばへなどの、世のためにもあまねくあはれにおはしまして、豪家にこと寄せて、人の愁へとある事などもおのづからうちまじるを、いささかもさやうなる事の乱れなく、人の仕うまつることをも、世の苦しみとあるべきことをばとどめたまふ。功徳の方とても、勧むるによりたまひて、厳しうめづらしうしたまふ人なども、昔のさかしき世にみなありけるを、これはさやうなることなく、ただもとよりの財物、えたまふべき年官、年爵、御封のものの、さるべき限りして、まことに心深き事どものかぎりをしおかせたまへれば、何とわくまじき山伏《やまぶし》などまで惜しみきこゆ。

をさめたてまつるにも、世の中響きて悲しと思はぬ人なし。殿上人などなべて一つ色に黒みわたりて、ものの栄《はえ》なき春の暮なり。二条院の御前の桜を御覧じても、花の宴のをりなど思し出づ。「今年ばかりは」と独りごちたまひて、人の見とがめつべければ、御|念誦堂《ねんずだう》にこもりゐたまひて、日一日《ひひとひ》泣き暮らしたまふ。夕日はなやかにさして、山際《やまぎは》の梢あらはなるに、雲の薄くわたれるが鈍色《にびいろ》なるを、何ごとも御目とどまらぬころなれど、いとものあはれに思さる。

入日さすみねにたなびく薄雲はもの思ふ袖にいろやまがへる

人聞かぬ所なればかひなし。

現代語訳

藤壺の宮は、貴いご身分の方と申し上げる中にも、御気性などが、世のためにも万事情け深くいらっしゃって、世間で権力者というと、その権勢にこと寄せて、天下の人の迷惑となる事なども自然とまじってくるものだが、藤壺の宮はいささかもそうした乱れた事がなく、宮にお仕えする人々が宮へのご奉仕として行うことにおいても、世の人の迷惑となるようなことはお差し止めなさる。仏事供養の方面においても、人が勧めるのにお従いになって、昔の徳の高い君子が治めた時代においても、それを盛大に世に無いほど派手になさった人などもいくらもあったということだが、この宮はそうしたことはなく、ただもとからの財産、当然お受けになるべき年官、年爵、御封などのご給付の中から、さしつかえない分だけを、本当に心深いご配慮のぶんだけをご寄付なさっておかれたので、何の道理もわきまえられそうもないような山伏などまでも藤壺宮のご薨去を惜しみ申し上げる。

ご葬儀を執り行うにつけても、世の中は皆一様に悲しいと思わない人はない。殿上人などみな喪服の黒一色になって、ものの見映えがしない春の暮れである。

源氏の君は、二条院の御前の桜を御覧になっても、かつての花の宴の折のことなどをお思い出される。

「今年ばかりは」と一人つぶやかれて、あまりに悲しむと人が不審がるかもしれないので、御念誦堂にこもっていらして、一日中泣き暮らしていらっしゃる。

夕日がはなやかにさして、山際の梢がはっきりと見えるところに、鈍色の雲が薄く動いていくのが、何事にも御目引かれることのない折ではあるが、たいそうしみじみと胸打たれることにお思いになる。

(源氏)入日さす…

(夕日がさす峰にたなびく薄雲の色は、物思いに沈む私の喪服の袖の色に似ていようか)

誰も聞いていない所であるので、見事なお歌もかいのないことである。

語句

■かしこき御身のほどと… 以下、藤壺に対する総評。六国史などの体裁による。『吾妻鏡』北条政子薨去後の評もこれを思わせる。 ■功徳の方 仏事供養の方面。 ■年官、年爵、御封のもの 天皇・皇族・貴族などに与えられた俸禄。「年官」は毎年の除目で一定数の地方官や京官を任命することができ、その任料を収入とするもの。「年爵」は除目の際、一定数を叙爵させ、その叙位料を収入とするもの。「御封」は「封戸《ふこ》」の敬語。位階や官職に応じて賜った民戸。地租の半分、庸調は全部が封主の所得となる。藤壺は太上天皇に准ずるのでニ千戸(拾芥抄)を賜る(【澪標 11】)。 ■さるべき限り 仏事供養に使っても差し支えない分だけを。 ■花の宴のをり 十二年前の花の宴。源氏は当時二十歳。南殿において春鶯囀の舞を藤壺の御前で披露した(【花宴 01】)。 ■今年ばかりは 「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(古今・哀傷 上野岑雄)。 ■御念誦堂 二条院敷地内。 ■夕日はなやかにさして 源氏は西方極楽浄土の方向=西を向いている。 ■鈍色 喪服の薄墨色。 ■入日さす… 本巻名のゆらい。参考「昨年より薄鈍なる人に女院(東三条院詮子)かくれさせ給へる春いたう霞みたる夕暮れに人のさしおかせたる/雲の上も物思ふ春は墨染に霞む空さへあはれなるかな/かへし/なにかこの程なき袖をぬらすらん霞の衣なべて着る世に」(紫式部集)。

朗読・解説:左大臣光永

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