【薄雲 13】僧都、冷泉帝に出生の秘密をばらす
御わざなども過ぎて、事ども静まりて、帝もの心細く思したり。この入道の宮の御|母后《ははきさき》の御世《みよ》より伝はりて、次々の御|祈禱《いのり》の師にてさぶらひける僧都《そうづ》、故宮にもいとやむごとなく親しき者に思したりしを、おほやけにも重き御おぼえにて、厳《いかめ》しき御|願《ぐわん》ども多く立てて、世にかしこき聖《ひじり》なりける、年七十ばかりにて、いまは終りの行ひをせむとて籠りたるが、宮の御事によりて出でたるを、内裏《うち》より召しありて常にさぶらはせたまふ。このごろは、なほもとのごとく参りさぶらはるべきよし、大臣《おとど》もすすめのたまへば、「今は夜居《よゐ》などいとたへがたうおぼえはべれど、仰せ言のかしこきにより、古き心ざしを添へて」とてさぶらふに、静かなる暁《あかつき》に、人も近くさぶらはず、あるはまかでなどしぬるほどに、古代《こだい》にうちしはぶきつつ世の中の事ども奏したまふついでに、「いと奏しがたく、かへりては罪にもやまかり当らむと思ひたまへ憚る方多かれど、知ろしめさぬに罪重くて、天の眼《まなこ》恐ろしく思ひたまへらるることを、心にむせびはべりつつ命終りはべりなば、何《なに》の益《やく》かははべらむ。仏も心ぎたなしとや思しめさむ」とばかり奏しさして、えうち出でぬことあり。 上《うへ》、「何ごとならむ。この世に怨み残るべく思ふことやあらむ。法師は聖《ひじり》といへども、あるまじき横さまのそねみ深く、うたてあるものを」と思して、「いはけなかりし時より隔て思ふことなきを、そこにはかく忍び残されたることありけるをなむ、つらく思ひぬる」とのたまはすれば、「あなかしこ。さらに仏のいさめ守りたまふ真言《しんごん》の深き道をだに、隠しとどむることなく弘《ひろ》め仕うまつりはべり。まして心に隈《くま》あること、何ごとにかはべらむ。これは来《き》し方行く先の大事とはべることを、過ぎおはしましにし院|后《きさい》の宮、ただ今世をまつりごちたまふ大臣の御ため、すべてかへりてよからぬことにや漏《も》り出ではべらむ。かかる老法師《おいほふし》の身には、たとひ愁《うれ》ヘはべりとも何の悔かはべらむ。仏天《ぶつてん》の告げあるによりて、奏しはべるなり。わが君孕まれおはしましたりし時より、故宮の深く思し嘆くことありて、御|祈禱《いのり》仕うまつらせたまふゆゑなむはべりし。くはしくは法師の心にえさとりはべらず。事の違《たが》ひ目ありて、大臣横さまの罪に当りたまひし時、いよいよ怖《お》ぢ思しめして、重ねて御禱ども承りはべりしを、大臣も聞こしめしてなむ、またさらに事加へ仰せられて、御位に即《つ》きおはしまししまで仕うまつる事どもはべりし。その承りしさま」とて、くはしく奏するを聞こしめすに、あさましうめづらかにて、恐ろしうも悲しうも、さまざまに御心乱れたり。とばかり御答へもなければ、僧都、進み奏しつるを便《びん》なく思しめすにやとわづらはしく思ひて、やをらかしこまりてまかづるを、召しとどめて、「心に知らで過ぎなましかば、後の世までの咎めあるべかりけることを、今まで忍びこめられたりけるをなむ、かへりてはうしろめたき心なり、と思ひぬる。またこのことを知りて漏らし伝ふるたぐひやあらむ」とのたまはす。「さらに。なにがしと王命婦《わうみやうぶ》とより外《ほか》の人、この事のけしき見たるはべらず。さるによりなむ、いと恐ろしうはべる。天変頻《てんぺんしき》りにさとし、世の中静かならぬはこの気《け》なり。いときなく、ものの心知ろしめすまじかりつるほどこそはべりつれ、やうやう御|齢足《よはひた》りおはしまして、何ごともわきまへさせたまふべき時にいたりて、咎をも示すなり。よろづの事、親の御世よりはじまるにこそはべるなれ。何の罪とも知ろしめさぬが恐ろしきにより、思ひたまへ消《け》ちてし事を、さらに心より出だしはべりぬること」と、泣く泣く聞こゆるほどに明けはてぬればまかでぬ。
現代語訳
ご法要などもすんで、いろいろな事が落ち着いてくると、帝は何となく心細いお気持ちになられる。この入道の宮(藤壺の宮)の御母后の御世から続いて、代々の御祈祷僧としてお仕えしてきた僧都で、故宮におかれてもたいそう尊く昵懇の者とお思いになっていらっしゃったが、帝におかれてもたいそうご信用なさっていて、荘厳な御勅願を多く立てて、まことに尊い聖である者が、年七十ばかりで、いまは人生最後の勤行をしようと山に籠もっていたのだが、藤壺の宮の病気平癒を祈るために下山してきていたのを、宮中よりお召しがあって、いつもおそばにお仕えさせなさる。
源氏の大臣も、このごろはやはりもとのように参内しお仕えなさるべきことを僧都におすすめなさるので、(僧都)「今は夜居のお勤めなどもひどくたえがたく存じますが、仰せ言の畏れ多いことでございますから、昔からの感謝の気持ちを添えまして」といってお仕えしていたが、静かなる暁に、帝のおそば近くに誰もお仕えしておらず、宿直の者は退出していた時に、時代かがった咳払いなどしつつ、いろいろと世の中の事を奏上なさるついでに、(僧都)「ひどく奏上しがたく、かえって罪に当たりますかと存じまして憚るところが多いのですが、帝がこれをご存知あそばされぬことは罪が重いことで、天の眼も恐ろしく存じられますことを、心の中
に嘆きつつ命を終わってしまいましたら、何の益がございましょう。仏も私めのことを心汚いとおぼしめすでしょうか」とだけ奏上しかけて、言い出しかねていることがある。
帝は、「何事だろう。この世に怨みが残るような心配事でもあるのだろうか。法師というものは聖といっても、ありえないほど酷い妬みが深く、いやらしいものだから」とお思いになって、(帝)「幼少の時から分け隔てしたことはなかったのに、御坊におかれてはこうして隠しておかれたことがあったことを、恨めしく思いますぞ」と仰せになると、(僧都)「これは恐縮でございます。まったく仏が戒めてお守りなさっている真言の奥深い道さえも、隠しだて申すことなくお伝え申し上げてございます。まして心に隠し事があるなど、何事でございましょう。これは過去未来の大事でございますことでして、すでにお隠れになられました院(桐壺院)、后の宮(藤壺)と、ただ今世の政を執りしきっておられます源氏の大臣の御ために、すべて、このまま隠しておきますと、かえって良くないことでも世間の噂として漏れきこえてしまうのではないでしょうか。このような老法師の身には、たとえ災難がございましても、何の悔がございましょうか。御仏のお告げがあるので、奏上いたすのでございます。わが君がまだご胎内にいらした時から、故宮(藤壺)が深く思い嘆かれることがあって、私に御祈祷をおさせなさいましたいきさつがございました。詳しい事は法師の心では存じかねます。事の行き違いがあって、源氏の大臣が言われもない罪に問われなさった時、故宮はいよいよお怖れなさり、重ねて多くの御祈祷を私に仰せつけられましたが、源氏の大臣もそれをお聞きになられては、またさらに加えてご祈祷をお命じになって、わが君が御即位あそばすまで、いろいろとお勤め申し上げることがございました。その承りました事情と申しますのは…」といって、くわしく奏上することを帝はお聞きあそばすと、呆然として、ありえないことと思われ、恐ろしくも、悲しくも、さまざまに御心を乱していらっしゃる。しばらくお返事もなかったので、僧都は、進んで奏上したのを不都合なこととおぼしめされたのかと、まずいことに思って、すぐに恐縮して退出しようとするのを、帝は召しとどめて、(帝)「もしそのことに気づかずに過ごしていれば、後の世までの罪障となるに違いなかったことを、今まで秘密にしておられたことを、かえって御坊の後ろ暗い御心と思いますぞ。他にこのことを知って人に漏らしたり伝えたりする人はあるのだろうか」と仰せになる。(僧都)「まったくそのようなことは。それがしと王命婦の他の人は、この事の事情を知っている者はございません。だからこそ、ひどく恐ろしいのでございます。天変がしきりに戒めをあらわし、世の中が静かならぬのはこのせいでございます。まだ御幼少で、ものの情理をご存知であられなかった頃こそご無事でございましたが、しだいにご成長なさって、何ごともおわきまえなさる時に至って、天はお咎めを示すのでございます。万事は、親の御時からはじまるのでございます。わが君が何の罪ともご存知ないのが恐ろしいので、考えぬようにしてまいりましたことを、あらためて口外いたしましたことです」と、泣く泣く申し上げているうちにすっかり夜が明けてしまったので、僧都は退出した。
語句
■御わざ 藤壺の中陰(四十九日)の間の諸法要。 ■入道の宮の御母后 藤壺の母は、桐壷院の先帝の后。桐壺院と先帝の続柄は物語中では明示されていない。 ■次々の御禱の師 藤壺の御母后の時から代々お仕えした御祈祷僧。 ■御願ども 天皇がこう願ってほしいということ(勅願)を、僧都に依頼して祈祷せたのである。 ■終りの行ひ 人生の終焉にあたって自身の後世菩提を祈る勤行。 ■宮の御事によりて 藤壺宮の病気平癒を祈るために。 ■参りさぶらはるべきよし 天皇の御持僧として清涼殿の夜御殿(よるのおとど)の東側の部屋にお仕えすべきこと。 ■夜居 僧が夜通し天皇のお側近くにいて加持祈祷すること。 ■いとたへがたう 老齢のため。 ■かへりては 奏上したらかえって。 ■まかり当たらむ 「まかる」は謙遜の意をこめる。 ■天の眼 天眼。天のご照覧。 ■何の益かははべらむ 帝のためにならない。 ■仏天 仏の尊称。 ■故宮の深く思し嘆くこと 源氏との密通
よって冷泉帝が誕生したいきさつは【若紫 14】に。 ■事の違ひ目ありて 源氏が須磨に下向することになったこと。 ■御位に即きおはしまししまで 冷泉帝の即位は十一歳の時だから藤壺の祈祷は十一年続いた。 ■その承りしさま 以下、帝の実父は源氏である経緯が詳しく語られる。 ■とばかり しばらくの間。 ■王命婦 源氏と藤壺の密通のなかだちをした女房(【賢木 16】)。 ■さるによりてなむ 秘密を知るのは男では自分一人なので、結局、秘密を帝に話すかどうかは自分一人の責任になる。そこで話さないでいると、天変地異が続き、帝に仏罰が落ちることになる。僧都は苦しい立場なのである。 ■天変頻りにさとし 「その年、おほかた世の中騒がしくて、公ざまにもののさとししげく、のどかならで…」(【薄雲 10】)。 ■御齢足りおはしまして 冷泉帝十四歳。 ■何の罪とも知ろしめさぬが恐ろしき 天変地異は君子の徳の至らぬせいという考えがあった。今、冷泉帝が出生の秘密を知らぬままでは、何が原因で天変地異が起こっているかわからず、帝は罪を重ねることになる。