【常夏 01】釣殿の納涼 源氏、内大臣の隠し子の噂に興味を持つ

いと暑き日、東《ひむがし》の釣殿《つりどの》に出でたまひて涼《すず》みたまふ。中将の君もさぶらひたまふ。親しき殿上人《てんじやうびと》あまたさぶらひて、西川《にしがは》より奉れる鮎《あゆ》、近き川のいしぶしやうのもの、御前《おまへ》にて調《ふう》じてまゐらす。例の、大殿の君達《きむだち》、中将の御あたり尋ねて参りたまへり。「さうざうしくねぶたかりつる。をりよくものしたまへるかな」とて、大御酒《おほみき》まゐり、氷水《ひみづ》召して、水飯《すいはん》などとりどりにさうどきつつ食ふ。

風はいとよく吹けども、日のどかに曇りなき空の、西日《にしび》になるほど、蝉の声などもいと苦しげに聞こゆれば、「水の上無徳《うへむとく》なる今日の暑かはしさかな。無礼《むらい》の罪はゆるされなむや」とて、寄り臥したまへり。「いとかかるころは、遊びなどもすさまじく、さすがに暮らし難きこそ苦しけれ。宮仕する若き人々たへ難からむな。帯も解かぬほどよ。ここにてだにうち乱れ、このごろ世にあらむ事の、すこしめづらしく、ねぶたさ醒めぬべからむ、語りて聞かせたまへ。何となく翁《おきな》びたる心地して、世間《せけん》の事もおぼつかなしや」などのたまへど、めづらしき事とて、うち出できこえむ物語もおぼえねば、かしこまりたるやうにて、みないと涼しき高欄《かうらん》に、背中押しつつさぶらひたまふ。

「いかで聞きしことぞや、大臣《おとど》の外腹《ほかばら》のむすめ尋ね出でてかしづきたまふなる、とまねぶ人ありしは、まことにや」と、弁《べんの》少将に間ひたまへば、「ことごとしく、さまで言ひなすべき事にもはべらざりけるを。この春のころほひ、夢語《ゆめがたり》したまひけるを、ほの聞き伝へはべりける女の、我なむかこつべきことあると、名のり出ではべりけるを、中将の朝臣《あそむ》なむ聞きつけて、まことにさやうに触《ふ》ればひぬべき証《しるし》やあると、尋ねとぶらひはべりける。くはしきさまはえ知りはべらず。げにこのごろめづらしき世語《よがたり》になむ人々もしはべるなる。かやうのことこそ、人のため、おのづから家損《けそん》なるわざにはべりけれ」と聞こゆ。まことなりけり、と思して、「いと多かめる列《つら》に離れたらむ後《おく》るる雁《かり》を、しひて尋ねたまふが、ふくつけきぞ。いと乏《とも》しきに、さやうならむもののくさはひ、見出でまほしけれど、名のりもものうき際《きは》とや思ふらん、さらにこそ聞こえね。さても、もて離れたる事にはあらじ。らうがはしく、とかく紛れたまふめりしほどに、底清くすまぬ水にやどる月は、曇りなきやうのいかでかあらむ」と、ほほ笑みてのたまふ。中将の君も、くはしく聞きたまふ事なれば、えしもまめだたず。少将と藤侍従《とうじじゅう》とは、いとからしと思ひたり。「朝臣《あそむ》や、さやうの落葉《おちば》をだに拾へ。人わろき名の後の世に残らむよりは、同じかざしにて慰めむに、なでふことかあらむ」と、弄《ろう》じたまふやうなり。かやうのことにてぞ、うはべはいとよき御仲の、昔よりさすがに隙《ひま》ありける。まいて中将をいたくはしたなめて、わびさせたまふつらさを思しあまりて、なまねたしとも漏《も》り聞きたまへかしと、思すなりけり。

かく聞きたまふにつけても、「対の姫君を見せたらむ時、また侮《あなづ》らはしからぬ方にもてなされなむはや。いとものきらきらしく、かひあるところつきたまへる人にて、よしあしきけぢめも、けざやかにもてはやし、またもて消《け》ち軽《かろ》むることも、人にことなる大臣なれば、いかにものしと思ふらむ。おぼえぬさまにて、この君をさし出でたらむに、え軽《かろ》くは思さじ。いときびしくもてなしてむ」など思す。

夕つけゆく風いと涼しくて、帰りうく若き人々は思ひたり。「心やすくうち休み涼まむや。やうやうかやうの中に厭《いと》はれぬべき齢《よはひ》にもなりにけりや」とて、西の対に渡りたまへば、君達《きむだち》みな御送りに参りたまふ。

現代語訳

とても暑い日、源氏の大臣は東の釣殿にお出ましになってお涼みになる。中将の君(夕霧)もお供していらっしゃる。親しい殿上人が多くお控えして、西川から差し上げる鮎や、近い川の石伏というような魚を、殿の御前で調理しておすすめする。いつものように、内大臣のご子息たちは、中将のいらっしゃる所を尋ねて、こちらに参っておられる。(源氏)「退屈で眠たかったところだ。折よくいらしたものだね」といって、お酒をお出しし、氷水をお取り寄せになり、水飯などさまざまにはしゃぎながら食べる。

風はとてもよく吹くけれど、日も長く、雲ひつとない空が、西日になる頃には、蝉の声などもひどく暑苦しそうに聞こえるので、(源氏)「水の上にいる意味がない今日の暑さだな。無作法の罪は許してくれようか」といって、物に寄りかかって横になられる。(源氏)「まったくこんな時分には、管弦の遊びなども興ざめで、そうはいっても何もしないでいてはなかなか日が暮れないのが辛いことであるよ。宮仕えする若い人々は耐え難いだろうな。その間は帯も解けないのだから。せめてここではくつろいで、このごろ世間にあるような事で、すこし珍しく、眠たさも醒めるような話も、話してお聞かせください。なんとなく年寄りじみた気持ちになって、世間のこともよく知らないのですよ」などとおっしゃるが、これが珍しい事だといって、進んで申し上げるような話も思いつかないので、恐縮しているようすで、皆まことに涼しい高欄に、それぞれ背中を押し付けては控えていらっしゃる。

(源氏)「どこでどう耳にしたことだったか、『内大臣が外腹の娘を探し出して大切になさっているという噂です』と私に伝える人があったのは、本当だろうか」と、弁少将にご質問になると、(弁少将)「おおげさに、そこまで吹聴すべき事でも全くございません。今年の春の頃、夢に見た話をなさいましたのを、人づてに小耳にはさみました女が、『私こそ内大臣にその件についてお話しなければならならいことがある」と名乗り出てきましたのを、中将の朝臣(柏木)が耳にして、『本当にそのようにつながりがあるという証拠があるのか』と、尋ねてやりました。詳しい事情はわかりかねます。仰せの通り、近頃めずらしい世間の語り草に人々もしていると聞いています。このようなことは、父内大臣のため、またおのずからわが家の名誉を傷つけることにございました」と申し上げる。本当だったのだ、とお思いになって、(源氏)「内大臣は多くの御子たちがいらっしゃるようなのに、その列から離れて後れた雁を、しいてお捜しになるのは欲深ですよ。私のほうこそ子はとても少ないので、そのようなものの類を見つけ出したいが、名乗り出るのも残念なところとでも思っているのだろうか、まったく聞いたことがない。まあそうやって名乗り出てきたからには、その娘もまったく内大臣と無関係ということはないでしょう。内大臣は好き放題にあちこちで隠れ遊びをなさっていたようだから、底が清く澄んでいない水に宿る月は、曇りがないというわけにはいかぬでしょう」とほほ笑んでおっしゃる。

中将の君(夕霧)も、くわしくお聞きになっていらっしゃる事なので、まじめくさった顔もしていられない。弁少将と藤侍従とは、とてもつらいと思っている。(源氏)「朝臣(夕霧)や、そのような落葉をせめて拾え。人聞きの悪い評判が後の世に残るよりは、同じ姉妹を妻として心を慰めるのに、何の問題があろうか」と、おからかいになるようである。このようなことに関しては、表面上はとてもよい親子の御仲だが、それでもやはり、昔からぎくしゃくしたところがあるのだった。まして源氏の君は、内大臣が中将(夕霧)をひどく侮辱して、中将につらい思いをおさせになる内大臣の心の冷たさを胸にしまっておくことがおできにならず、たとえ内大臣が小憎いと思っても、今の話を漏れ聞きなさったらよいと、お思いになっていらっしゃるのだった。

源氏の大臣は、こうお聞きにつけても、(源氏)「対の姫君(玉鬘)を内大臣にお見せした時、けしてまた軽いお扱いをなさることはあるまいよ。内大臣はまったく何もかもよく折り目をつけて、甲斐性のある人でいらっしゃって、善悪のけじめも、はっきりとつけ、褒めたり、けなしたり、軽んじたりすることも、人と格別な大臣であるので、私が対の姫君をひそかに養育していることをお知りになったら、どんなに恨めしいと思うだろう。思いがけず立派に成長したさまで、この姫君(玉鬘)を差し出ししたら、軽くお思いになることはおできにならないだろう。まことに心してこの姫君を躾けておかなくては」などとお思いになる。

夕暮れ近くの風がまことに涼しく、帰るのが惜しいと若い人々は思っている。(源氏)「気軽に休んで涼んだらどうですか。だんだんこうした若い人たちの中にあっては嫌われかねない年齢になってしまいましたよ」といって、西の対におでましになると、君達はみな御送りにお供なさる。

語句

■釣殿 池に面した殿舎。東西の廊の南端に位置する。 ■西川 大堰川・桂川のこと。京極川の二条以上を「中川」、賀茂川を「東川」というのに対応。夏、鮎を宮中に供御する。 ■近き川 賀茂川。 ■いしぶし 石伏。川鰍《かわかじか》。石の間にひそんでいるため。 ■大殿の君達 内大臣の子息たち。ただし柏木不在であることが後述される。 ■氷水 氷室に保管していた雪を、夏に酒や水にひたしたもの。 ■水飯 乾飯や飯に氷水をかけたもの。 ■さうどき 「騒動く」は、はしゃぐ、さわぐ。 ■のどかに 一日中日が照っているさま。 ■蝉の声なども 「かは虫は声もたえぬに蝉の羽のいと薄き身も苦しげになく」(『河海抄』、花散院御集)。 ■無徳 とりえがない。役に立たない。価値がない。 ■宮仕する若き人々 殿上人が宮中に上がるときは束帯を着なければならない。 ■ねぶたさ醒めぬべからむ 前に「さうざうしくねぶたかりつる」といったのに対応。 ■翁びたる  源氏三十六歳。当時、一般に四十歳以上を「翁」といった。参考「長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」(徒然草第七段)。 ■外腹の娘 正妻以外の女が生んだ娘。近江の君のこと。 ■まねぶ そっくりそのまま語り伝える。 ■弁少将 内大臣の子息。柏木の弟。後の紅梅の大臣。 ■はべらざりけるを 「を」は強意の間投助詞。 ■夢語したまひける 【螢 12】。 ■かこつ 「かこつ」の原義は、関係づけて言う。 ■朝臣 本来は姓の一だが、この頃は三位・四位・五位などに対する敬称。 ■触ればひぬべき 「触ればふ」は、関係する。つながりがある。血縁関係がある。 ■くはしきさまはえ知りはべらず 弁少将は近江の君についてあまり喋りたくないらしい。 ■ことこそ 底本「ことにぞ」。 ■いと多かめる列 内大臣の子ら。 ■後るる雁 近江の君。 ■ふくつけき 「ふくつけし」は欲深い。貪欲だ。 ■いと乏しきに 源氏の子は冷泉帝をのぞけば夕霧と明石の姫君の二人だけ。 ■さても 「さ」は「ほの聞き…名のり出ではべる」を受ける。 ■らうがはしく 「乱《らう》がはし」は、みだらであること。内大臣の女遊びが盛んであったことを言う。 ■底清くすまぬ水 内大臣が関係を持った素性の知れない女。 ■やどる月 内大臣の隠し子。近江の君をさす。 ■くはしく聞きたまふ 近江の君の件を。 ■えしもまめだたず つい吹き出してしまう。 ■藤侍従 内大臣の三男。 ■朝臣 ここでは相手を呼ぶ敬称。本来は天武天皇のとき八種の姓で定められた姓の一。真人につぐ第二位。 ■さやうの落葉 近江の君のことをいう。源氏は内大臣が夕霧と雲居雁の仲を裂いたことを根に持っている。 ■人わろき名 夕霧が、内大臣にさげずまれて雲居雁の婿になることができなかったという評判。 ■同じかざしにて 雲居雁と姉妹である近江の君と結婚して、の意。「わがやどと頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ」(後撰・恋四 伊勢)による。 ■かく聞きたまふにつけても 近江の君を尋ね出した一件をお聞きになるにつけても。 ■また侮らはしからぬ 玉鬘を大切に扱うだろうの意。 ■はや 感動詠嘆。 ■ものきらきらしく 「きらきらし」は威厳がある。端正で美しい。 ■この君をさし出でたらむに 玉鬘を立派に養育して内大臣に差し出せば、内大臣はかえって感謝すると思っている。このあたり源氏の感性を疑わざるを得ない。本来、一にも二にも実親に連絡するのが筋であろう。

朗読・解説:左大臣光永

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