【若菜上 08】源氏、女三の宮の降嫁を打診されるも辞退し、帝への入内をすすめる

この宮の御こと、かく思しわづらふさまは、さきざきもみな聞きおきたまへれば、「心苦しき御事にもあなるかな。さはありとも、院の御代《みよ》の残り少なしとて、ここにはまたいくばく立ちおくれたてまつるべしとてか、その御後見のことをば承《う》けとりきこえむ。げに次第をあやまたぬにて、いましばしのほども残りとまる限りあらば、おほかたにつけては、いづれの皇女《みこ》たちをも、よそに聞き放ちたてまつるべきにもあらねど、またかくとり分きて聞きおきたてまつりてむをば、ことにこそは後見きこえめと思ふを、それだにいと不定《ふぢやう》なる世の定めなさなりや」とのたまひて、「ましてひとへに頼まれたてまつるべき筋に睦《むつ》び馴《な》れきこえむことは、いとなかなかに、うちつづき世を去らんきざみ心苦しく、みづからのためにも浅からぬ絆《ほだし》になむあるべき。中納言などは、年若く軽々《かろがろ》しきやうなれど、行く先遠くて、人柄も、つひに朝廷《おほやけ》の御後見ともなりぬべき生ひ先なんめれば、さも思しよらむに、などかこよなからむ。されど、いといたくまめだちて、思ふ人定まりにてぞあめれば、それに憚《はばから》らせたまふにやあらむ」などのたまひて、みづからは思し離れたるさまなるを、弁は、おぼろけの御定めにもあらぬを、かくのたまへば、いとほしくも口惜しくも思ひて、内《うち》々に思し立ちにたるさまなどくはしく聞こゆれば、さすがにうち笑みつつ、「いとかなしくしたてまつりたまふ皇女《みこ》なめれば、あながちにかく来《き》し方行く先のたどりも深きなめりかしな。ただ内裏《うち》にこそ奉りたまはめ。やむごとなきまづの人々おはすといふことは、よしなきことなり。それにさはるべき事にもあらず。必ず、さりとて、末の人おろかなるやうもなし。故院の御時に、大后《おほきさき》の、坊《ばう》のはじめの女御にていきまきたまひしかど、むげの末に参りたまへりし入道の宮に、しばしは圧《お》されたまひにきかし。この皇女《みこ》の御母女御こそは、かの宮の御はらからにものしたまひけめ。容貌《かたち》も、さしつぎには、いとよしと言はれたまひし人なりしかば、いづ方につけても、この姫宮おしなべての際《きは》にはよもおはせじを」など、いぶかしくは思ひきこえたまふべし。

現代語訳

この宮(女三の宮)の御ことを、院(朱雀院)がこうして思いわずらっていらっしゃることは、前々からみな聞いていらしたことなので、(源氏)「おいたわしい御ことではあるよ。そうはいっても、院の御寿命が残り少ないからといって、私とてどれほど院より長生き申しあげることができるつもりで、その御後見のことをお受け申しあげることができよう。いかにも順序を間違えず、私がもうしばらくの間も生きていられる期間があれば、大体においては、いずれの皇女たちをも、よそごとに聞いて突き放し申しあげるべきではないのだが、またこうして格別に院のご意向をうかがってしまった女宮(女三の宮)については、とくに大切に後見申し上げようと思うのだが、それすら、まことに不定で世の定めのないことなので」とおっしゃって、(源氏)「まして一途に頼みにしていただくような向きで、お近づき申し上げることは、まことにかえって、朱雀院につづいて私も世を去る時は、女宮にもお気の毒で、また私自身のためにも、浅からずこの世に縛られる枷となるにちがいない。中納言(夕霧)などは、年若く身分は軽々しいようだが、先が長くて、人柄も、最終的には朝廷の御後盾ともなれそうな見込みがあるようなので、中納言を婿にとお考えになられたら、ふさわしくないことであろう。しかし、中納言はひどくまじめ一方で、大切にする妻(雲居雁)が定まっているようであるので、朱雀院は、それにご遠慮なさってのことであろうか」などとおっしゃって、六条院は、ご自分はそのお気がおありにならないごようすであるので、弁は、院(朱雀院)がいい加減なお気持ちで御決めになられたことでもないのに、六条院がこのようにおっしゃるので、院(朱雀院)に対して気の毒にも残念にも思って、院(朱雀院)が内々に思い立たれた経緯などくわしく申し上げると、六条院はさすがに笑いつつ、(源氏)「まことに可愛がっていらっしゃる女宮のようだから、ひたすらこうやって、過去未来にわたって深くお考えをめぐらしていらっしゃるのであろうな。ならばずばり、帝に差し上げなさるのがよいのだ。しっかりした前々からの方々がいらっしゃるということは、入内を断念する理由にはならない。そのために差し障りがあるはずもない。必ずしも、後から入内した人が粗略に扱われるというわけでもない。故院(桐壺院)の御年に、大后(弘徽殿大后)が、故桐壺院が皇太子であられた時の最初の女御だということで大したご威勢であられたが、一番最後に参内なさった入道の宮(藤壺)に、しばらく圧倒されていらしたではないか。この皇女(女三の宮)の御母女御こそは、かの入道の宮(藤壺)の御妹宮でいらっしゃったはずではある。容貌も、入道の宮に次いでは、まことに良いと言われなさった方であったので、どちらの血筋を考えても、この姫宮(女三の宮)は、並大抵のご器量では、まさかいらっしゃらないだろうに」などと、姫宮のご容姿に御心を動かしていらっしゃるらしい。

語句

■さはありとも 朱雀院からの、女三の宮の後見人になってほしいというご意向を受けて。 ■ここにはまたいくばく 朱雀院四十二歳。源氏三十九歳。 ■次第 年長者から年少者にかけて順々に死んでいくこと。 ■おほかたにつけては 夫婦になるわけではなく、ただ叔父と姪という関係だけでも。 ■いづれの皇女たちをも 朱雀院には女一の宮、女二の宮、女三の宮の三人の皇女がいる。 ■いと不定なる世の定めなさ 「不定」と「世の定めなさ」と同じ意味をかさねる修辞。 ■まして ただの後見人ということでさえ気の毒なのに、まして夫婦の関係になれば。 ■頼まれたてまつるべき筋 夫婦関係をいう。 ■うちつづき 朱雀院が出家した後、自分も世を去るの意。 ■きざみ 時。 ■絆 この世に意識を引き付けて離さないもの。往生の妨げ。 ■年若く軽軽しきやうなれど 前に朱雀院が夕霧を評して「この権中納言の朝臣の独りありつるほどに、うちかすめてこそ心みるべかりけれ。若けれど、いと警策に、生ひ先頼もしげなる人にこそあめるを」(【若菜上 04】)と。 ■こよなからむ 「こよなし」はかけ離れている。 ■いといたくまめだちて 前も乳母の夕霧評に「もとよりいとまめ人」(【若菜上 04】)とあった。 ■さりとて 人より後れて入内したからといって。 ■坊のはじめの女御 「坊」は皇太子。故桐壺院が皇太子であった頃、弘徽殿女御ははじめて入内し権勢をふるった(【桐壺 02】)。 ■しばしは圧されたまひにきかし 【桐壺 12】。 ■御母女御 女三の宮の母、藤壺女御(【若菜上 01】)。 ■いづ方につけても 父桐壺院の方からいっても、母藤壺女御の方からいっても。

朗読・解説:左大臣光永