【若菜下 31】源氏、柏木の文を発見 女三の宮、不義の露呈を知って泣く

まだ朝涼みのほどに渡りたまはむとて、とく起きたまふ。「昨夜《よべ》のかはほりを落として。これは風ぬるくこそありけれ」とて、御|扇《あふぎ》置きたまひて、昨日《きのふ》うたた寝したまへりし御座《おまし》のあたりを立ちとまりて見たまふに、御|褥《しとね》のすこしまよひたるつまより、浅緑《あさみどり》の薄様《うすやう》なる文《ふみ》の押しまきたる端《はし》見ゆるを、何心もなく引き出でて御覧ずるに、男の手なり。紙の香《か》などいと艶《えん》に、ことさらめきたる書きざまなり。二重《ふたかさ》ねにこまごまと書きたるを見たまふに、紛るべき方なくその人の手なりけり、と見たまひつ。御鏡などあけてまゐらする人は、なほ見たまふ文にこそはと心も知らぬに、小侍従《こじじゆう》見つけて、昨日の文の色と見るに、いといみじく胸つぶつぶと鳴る心地す。御|粥《かゆ》などまゐる方に目も見やらず、「いで、さりとも、それにはあらじ、いといみじく、さることはありなむや、隠《かく》いたまひてけむ」と思ひなす。宮は、何心もなく、まだ大殿籠れり。「あないはけな、かかる物を散らしたまひて。我ならぬ人も見つけたらましかば」と思すも、心劣りして、「さればよ、いとむげに心にくきところなき御ありさまをうしろめたしとは見るかし」と思す。
出でたまひぬれば人々すこし散《あか》れぬるに、侍従寄りて、「昨日の物はいかがせさせたまひてし。今朝《けさ》、院の御覧じつる文の色こそ似てはべりつれ」と聞こゆれば、あさましと思して、涙のただ出《い》で来《き》に出《い》で来《きた》れば、いとほしきものから、言ふかひなの御さまや、と見たてまつる。「いづくにかは置かせたまひてし。人々の参りしに、事あり顔に近くさぶらはじと、さばかりの忌《いみ》をだに、心の鬼に避《さ》りはべしを、入らせたまひしほどは、すこしほど経はべりにしを、隠させたまひつらむとなむ思うたまへし」と聞こゆれば、「いさとよ。見しほどに入りたまひしかば、ふともえ起きあがらでさしはさみしを、忘れにけり」とのたまふに、いと聞こえむ方なし。寄りて見ればいづくのかはあらむ。「あないみじ。かの君もいといたく怖《お》ぢ憚《はばか》りて、けしきにても漏り聞かせたまふことあらば、とかしこまりきこえたまひしものを。ほどだに経《へ》ず、かかることの出でまうで来るよ。すべていはけなき御ありさまにて、人にも見えさせたまひければ、年ごろさばかり忘れがたく、恨み言ひわたりたまひしかど、かくまで思ひたまへし御事かは。誰が御ためにもいとほしくはべるべきこと」と憚《はばか》りもなく聞こゆ。心やすく若くおはすれば、馴れきこえたるなめり。答《いら》へもしたまはで、ただ泣きにのみぞ泣きたまふ。いと悩《なや》ましげにて、つゆばかりの物も聞こしめさねば、「かく悩ましくせさせたまふを、見おきたてまつりたまひて、今は、おこたりはてたまひにたる御あつかひに、心を入れたまへること」と、つらく思ひ言ふ。

現代語訳

院(源氏)は、まだ朝の涼しいうちにお出かけになろうとして、はやくお起きになられる。(源氏)「昨夜の扇を落としてしまって。これは風がぬるいので」といって、今の御扇をお置きになられて、昨日うたたねをなさった御座のあたりに立ちどまってお探しになると、御褥のすこし乱れている端から、浅緑の薄様の文の巻いているものの端が見えるので、何の気もなく引き出してご覧になると、男の筆跡である。紙に焚きしめた香などもたいそう色めいて、わざわざかしこまって書いたようなさまである。ニ枚にわたってこまごまと書いているのを見ると、紛れようもなくその人の筆跡ではないか、とご覧になる。御鏡などあけてお見せ申し上げる役の女房は、殿(源氏)がご覧になるべき文なのかしらと、事情も知らないでいるが、小侍従はこれを目にとめて、昨日の文と同じ色と見ると、あまりのことに、ひどく胸がどきどきと鳴る気がする。御粥などさしあげる方には目もやらず、(小侍従)「いや、いくら似ているといっても、まさかその文ではないだろう。ひどく大変なこと。そんなことがあるだろうか。さすがにお隠しになられているだろう」と、思い込もうとする。宮(女三の宮)は、何という気もなく、まだお休みになっていらっしゃる。(源氏)「なんと幼いこと。こんな物をお散らかしになられて。もし私以外の人が見つけたりしたら」とお思いになるにつけても、見劣りするお気持ちになられて、「こういうことなのだ。じっさいまるで奥ゆかしさの足りないご様子を、気がかりとは思っていたのだ」とお思いになられる。

殿(源氏)がお帰りになられると女房たちも少し退がっていったので、小侍従が宮(女三の宮)のもとに寄って、「昨日の物はどうなさいましたか。今朝、院がご覧になっていらした文の色が、あれと似てございましたが」と申し上げると、宮は驚き呆れなさって、涙がひたすら出てくるので、小侍従は気の毒には思うのだが、言っても仕方ないご様子だと拝見する。(小侍従)「どこにあの手紙をお置きになられましたか。女房たちが参ったときに、わけあり顔で近くに私が控えていてはと、そうしたちょっとした憚り事でさえ、気がとがめてお側から離れておりましたのに、まして院がおいでになられた時は、すこし時間が経ってございましたから、お隠しになられただろうと思ってございましたが」と申し上げると、(女三の宮)「ちがうのです。あの手紙を見たときにちょうど院が入ってこられたので、すぐに隠してしまうことができずに褥にはさんでいたのを、忘れていたのです」とおっしゃるので、小侍従は、まったく何と申し上げようもない。

寄って見れば、あの手紙がどこにあろうはずもない。もう何もない。(小侍従)「ああひどい。あの方(柏木)もたいそう恐れて憚って、院(源氏)が、ほんのそぶりにでも漏れ聞こえなさることがあればと、慎み申し上げていらしたのに。それほど時も経たないのに、こうした事が発覚したことですよ。すべて幼いご様子で、人に姿をお見せになられたりもしたので、あの方(柏木)は、長年あのように忘れがたく、私に恨み言をずっと言い続けていらっしゃいましたが、まさかこんなことになるまで思っていらっしゃるとは。誰の御ためにも気の毒なことになりましょう」と、憚りもなく申し上げる。宮(女三の宮)が、気のおけない、若々しい方でいらっしゃるので、小侍従は、憚りなく申し上げるようだ。宮はお答えにもならないで、ただ泣いてばかりいらっしゃる。ひどくご気分が悪そうで、まるで何も召し上がらないので、(女房たち)「宮(女三の宮)は、こんなにもご気分を悪くしていらっしゃるのに、院(源氏)はご看病もなさらないで、今はもうすつかり良くなっていらっしゃる御方(紫の上)のお世話に、熱心でいらっしゃること」と、女房たちは恨めしく思い、またそう言う。

語句

■かはほり 「蝙蝠扇《かはほりあふぎ》」の略。せんす。 ■御扇 檜扇と思われる。 ■御褥のすこしまよひたるつまより 前に「えよくも隠したまはで、御褥の下にさしはさみたまひつ」(【若菜下 30】)とあった。 ■男の手なり 以下、まず男の筆跡であることがわかり、次に焚きしめた香から艶書であることがわかり、内容から柏木からの文であることがわかる。少しずつ真実が明らかにされていく話法。 ■御鏡などあけてまゐらする人 源氏の朝の身繕いを担当する女房。 ■見たまふ文にこそ 源氏が見るべき文だろうと思って注意を抱かない。 ■胸つぶつぶと鳴る 恐ろしくて動悸を打つ。 ■いで… まさかいくら思慮の浅い女三の宮でも艶書を見つかるほどのへまはするまいと、自分に言い聞かせる。 ■さればよ 前々から懸念していたことが起こったの意。 ■昨日の物 柏木からの手紙。 ■文の色 「浅緑の薄様なる文」とあった。 ■あさまし 源氏に文を見つかったことがわかって驚愕する。 ■忌 嫌い避けること。密通の後ろめたさを漂わせる語。 ■いさとよ 否定・ためらいの意。 ■置きあへで 「あふ」は完全に…しきる。 ■寄りてみれば 褥のそばに寄って文の有無を確認する。 ■かの君もいといたく怖ぢ憚りて 柏木は密通の直後から源氏への露呈を怖れていた(【若菜下 27】)。 ■ほどだに経ず 露見するにしてもあまりにも早すぎるという気持ち。 ■人にも見えさせたまひ 春の蹴鞠の遊びの折、女三の宮が柏木に姿を見られたこと。 ■年ごろ 六年余り。 ■誰が御ためにも 女三の宮のためにも、柏木のためにも、源氏のためにも。 ■

朗読・解説:左大臣光永