【鈴虫 02】源氏と女三の宮、歌を贈答

堂飾りはてて、講師《かうじ》参うのぼり、行道《ぎやうだう》の人々参り集《つど》ひたまへば、院もあなたに出でたまふとて、宮のおはします西の廂《ひさし》にのぞきたまへれば、狭《せば》き心地する仮の御しつらひに、ところせく暑げなるまで、ごとごとしく装束《さうぞ》きたる女房五六十人ばかり集ひたり。北の廂の簀子《すのこ》まで童《わはり》べなどはさまよふ。火取どもあまたして、けぶたきまであふぎ散らせば、さし寄りたまひて、「空に焚《た》くは、いづくの煙《けぶり》ぞと思ひわかれぬこそよけれ。富士の嶺《みね》よりもけにくゆり満ち出でたるは、本意《ほい》なきわざなり。講説《かうぜち》のをりは、おほかたの鳴りをしづめて、のどかにものの心も聞きわくべきことなれば、憚《はばか》りなき衣《きぬ》の音なひ、人のけはひしづめてなんよかるべき」など、例のもの深からぬ若人どもの用意《ようい》教へたまふ。宮は、人気《ひとげ》に圧《お》されたまひて、いと小さくをかしげにてひれ臥したまへり。「若君、らうがはしからむ、抱《いだ》き隠したてまつれ]などのたまふ。

北の御障子《みさうじ》もとり放ちて御簾《みす》かけたり。そなたに人々は入れたまふ。しづめて、宮にも、ものの心知りたまふべき下形《したかた》を聞こえ知らせたまふ、いとあはれに見ゆ。御座《おまし》を譲りたまへる仏の御しつらひ見やりたまふも、さまざまに、「かかる方の御営みをも、もろともにいそがんものとは思ひ寄らざりしことなり。よし、後の世にだに、かの花の中の宿《やどり》に隔てなくとを思ほせ」とて、うち泣きたまひぬ。

はちす葉をおなじ台《うてな》と契りおきて露のわかるるけふぞ悲しき

と御|硯《すずり》にさし濡《ぬ》らして、香染《かうぞめ》なる御|扇《あふぎ》に書きつけたまへり。宮、

へだてなくはちすの宿を契りても君がこころやすまじとすらむ

と書きたまへれば、「言ふかひなくも思ほし朽《くた》すかな」と、うち笑ひながら、なほあはれとものを思ほしたる御気色なり。

現代語訳

堂を飾り終えて、講師が登壇し、行道をする人たちが参り集まっていらしたので、院(源氏)も供養が行われる場所にお出になるということで、宮(女三の宮)のいらっしゃる西の廂の間をお覗きになると、狭いような気がする仮のお部屋に、窮屈に、暑苦しいまでに、立派に着飾った女房五六十人ほどが集まっている。北の廂の簀子まで女童《めのわらは》などがうろうろしている。火取香炉をたくさん持ち出して、煙たいまでにあおぎ散らしているので、院(源氏)はお近づきになられて、(源氏)「空焚きというのは、どこから煙が漂ってくるかわからないていどに、かすかに炊くのがよいのですよ。富士の峰よりもたいそうに煙をいっぱいに吹き出しているのは、よくないことです。講師の説法の時には、そこらじゅうの音を沈めて、落ち着いて話の内容も聞かなくてはならないのですから、無遠慮な衣ずれの音や、人の気配を沈めるのがよいでしょう」など、例によって思慮の浅い若い女房たちに物の心得をお教えになる。宮(女三の宮)は人の気配に気圧されておしまいになって、ひどく小さく可愛らしくひれ伏していらっしゃった。(源氏)「若君(薫)が、うるさくするでしょうから、抱いてお隠し申されてください」などとおっしゃる。

北の御襖もとりはずして御簾をかけている。院(源氏)は、そちら(北廂)に女房たちをお入れする。それらを静かにさせて、宮(女三の宮)に対しても、法会の趣旨をよくご理解なさるようにと、予備知識をご教示なさるのは、まことに情愛ふかく見える。院(源氏)は、宮(女三の宮)の御帳台をお譲り申し上げた仏のお飾り付けを見やられるにつけても、さまざまな思いが去来し、「こうした方面の御勤めまでも、ご一緒に準備することになろうとは思いも寄らなかったことです。まあよいでしょう、せめて後の世で、あの蓮の花の中の宿に、隔てなく一緒になれるように、お思いください」とおっしゃって、お泣きになる。

(源氏)はちす葉を……

(蓮葉を同じ台として浄土での再会を約束するといっても、貴女と俗世でのお別れをする今日は、やはり悲しいです)

と御硯の水で筆先を濡らして、宮の、丁子染めの御扇にお書付けになった。宮は、

(女三の宮)へだてなく……

(へだてなく蓮の宿での再会を約束しても、貴方の御心は私を許しもしないし、一緒に住む気もないのでしょう)

とお書きになると、(源氏)「どうしようもなく私をお見下しになられるものですね」とお笑いになるものの、それでもやはり思い沈んでいらっしゃるご様子である。

語句

■堂飾りはてて 前行「飾られたまへり」からつづく。女三の宮の御帳台を持仏堂に仕立てたもの。寝殿の母屋の南廂の西の放出《はなちいで》にある(【若菜上 12】【同 12】)。 ■講師 仏典を講釈する僧。仏前に向かって左の高座に登り、右の高座の読師と向かい合って座る。 ■行道 仏像や仏堂の回りを右回りに巡り歩くこと。敬礼の意味がある。 ■仮の御しつらひ 廂の間に仮の部屋を作ってある。 ■ことごとしく装束きたる 唐衣に裳をつけた正装姿で。 ■北の廂の簀子まで 西の廂だけでは入り切らないから。 ■火取 薫物を炊く火取香炉。 ■空に炊く 空薫物。どこから漂ってくるかわからない程度に薫物の香をただよわせるもの。 ■講説 講師の説法。 ■用意教へたまふ 源氏の指示は微に入り細に入る。柏木の一件があってから女房たちにも厳しくなっている。 ■ひれ伏したまへり 幼稚な仕草。本来女三の宮は、主人として来客を接待すべき立場であるのに。 ■若君 薫。ニ歳と一、ニか月。 ■北の御障子 母屋の北側の襖。そちらにも女房たちを入れる。人数が多いので分散させるのである。 ■しづめて 北廂に移動させるために生じたざわめきを静めて。 ■下形 下地、素地。ここでは仏典などの前提知識。 ■御しつらひ 女三の宮の御帳台を持仏堂として飾り立ててある。 ■さまざまに 源氏はこの御帳台で女三の宮と夫婦の営みを行ったこと、柏木と女三の宮の密通が行われたことを思い出す。 ■かかる方の御営み 仏事供養。 ■もろともにいそがんものとは 源氏はまず自分が出家するなり死ぬなりして、その後に女三の宮が出家することを想定していた。女三の宮のほうが先に出家するとは思いもよらなかった。 ■かの花 極楽浄土の蓮の花。 ■はちす葉を… 上の句は一蓮托生の意。前の「これをだにこの世の結縁にて、…」(【鈴虫 01】)と響き合う。

朗読・解説:左大臣光永