【夕霧 15】御息所の葬儀 夕霧の尽力
常にさこそあらめとのたまひける事とて、今日やがてをさめたてまつるとて、御甥の大和守《やまとのかみ》にてありけるぞ、よろづに扱《あつか》ひきこえける。骸《むくろ》をだにしばし見たてまつらむとて、宮は惜しみきこえたまひけれど、さてもかひあるべきならねば、みな急ぎたちて、ゆゆしげなるほどにぞ大将おはしたる。「今日より後《のち》、日次《ひついで》あしかりけり」など、人聞きにはのたまひて、いとも悲しうあはれに宮の思し嘆くらむことを、推《お》しはかりきこえたまうて、「かくしも急ぎ渡りたまふべきことならず」と、人々諫《いさ》めきこゆれど、強《し》ひておはしましぬ。
ほどさへ遠くて、入りたまふほどいと心すごし。ゆゆしげにひき隔てめぐらしたる儀式《ぎしき》の方は隠して、この西面《にしおもて》に入れたてまつる。大和守出で来て、泣く泣くかしこまり聞こゆ。妻戸《つまど》の簀子《すのこ》に押しかかりたまうて、女房呼び出でさせたまふに、あるかぎり心もをさまらず、ものおぼえぬほどなり。かく渡りたまへるにぞ、いささか慰めて、少将の君は参る。ものもえのたまひやらず。涙もろにおはせぬ心強さなれど、所のさま、人のけはひなどを思しやるもいみじうて、常なき世のありさまの人の上《うへ》ならぬもいと悲しきなりけり。
ややためらひて、「よろしうおこたりたまふさまに承《うけたまは》りしかば、思《おも》たまへたゆみたりしほどに。夢も醒《さ》むるほどはべなるを、いとあさましうなむ」と聞こえたまへり。思したりしさま、これに多くは御心も乱れにしぞかし、と思すに、さるべきとはいひながらも、いとつらき人の御契りなれば、答《いら》へをだにしたまはず。「いかに聞こえさせたまふとか、聞こえはべるべき」「いと軽《かる》らかならぬ御さまにて、かくふりはへ急ぎ渡らせたまへる御心ばへを、思しわかぬやうならむも、あまりにはべりぬべし」と、口々聞こゆれば、「ただ推しはかりて。我は言ふべきこともおぼえず」とて、臥《ふ》したまへるもことわりにて、「ただ今は、亡き人と異《こと》ならぬ御ありさまにてなむ。渡らせたまへるよしは、聞こえさせはべりぬ」と聞こゆ。この人々もむせかへるさまなれば、「聞こえやるべき方もなきを。いますこしみづからも思ひのどめ、またしづまりたまひなむに参り来《こ》む。いかにしてかくにはかにと、その御ありさまなむゆかしき」とのたまへば、まほにはあらねど、かの思ほし嘆きしありさまを、片はしづつ聞こえて、「かこち聞こえさするさまになむなりはべりぬべき。今日はいとど乱りがはしき心地どものまどひに、聞こえさせ違《たが》ふることどももはべりなむ。さらば、かく思しまどへる御心地も、限りあることにて、すこししづまらせたまひなむほどに、聞こえさせ承らん」とて、我にもあらぬさまなれば、のたまひ出づることも口塞《くちふた》がりて、「げにこそ闇《やみ》にまどへる心地すれ。なほ聞こえ慰めたまひて、いささかの御返りもあらばなむ」などのたまひおきて、立ちわづらひたまふも軽々《かるがる》しう、さすがに人騒がしければ、帰りたまひぬ。
今宵しもあらじと思ひつる事どものしたため、いとほどなく際々《きはぎは》しきを、いとあへなしと思《おぼ》いて、近き御庄《みさう》の人々召し仰《おほ》せて、さるべき事ども仕うまつるべく、掟《おき》て定めて出《い》でたまひぬ。事のにはかなればそぐやうなりつる事ども、いかめしう人数《ひとかず》なども添ひてなむ。大和守も、「あり難き殿の御心おきて」などよろこびかしこまりきこゆ。なごりだになくあさましきことと、宮は臥《ふ》しまろびたまへどかひなし。親と聞こゆとも、いとかくはならはすまじきものなりけり。見たてまつる人々も、この御事を、また、ゆゆしう嘆ききこゆ。大和守、残りの事どもしたためて、「かく心細くてはえおはしまさじ。いと御心の隙《ひま》あらじ」など聞こゆれど、なほ峰の煙《けぶり》をだにけ近くて思ひ出できこえむと、この山里に住みはてなむと思《おぼ》いたり。御|忌《いみ》に籠《こも》れる僧は、東面《ひむがしおもて》、そなたの渡殿《わたどの》、下屋《しもや》などに、はかなき隔てしつつ、かすかにゐたり。西の廂《ひさし》をやつして、宮はおはします。明け暮るるも思しわかねど、月ごろ経《へ》ければ、九月になりぬ。
現代語訳
常日頃から御息所がぜひそうしてほしい、とおっしゃっていた事なので、今日このまますぐにご遺体を葬り申し上げようと、御甥の大和守であった人が、万事手配し申し上げる。せめて亡骸を拝見したいと、宮は別れを惜しみ申し上げなったるが、いつまでもそうしているわけにもいかないので、みな急いで出発して、て出棺としいう時に大将(夕霧)はご到着された。(夕霧)「今日から後は、日柄が悪かったのだ」など、人に聞かせる向きにはそうおっしゃって、ひどく悲しくいたましく宮の思い悩んでいらっしゃるだろうことを、ご推察申し上げて、「こんなに急いでおいでになることもありますまい」と、女房たちが諌め申し上げるが、強いていらっしゃった。
小野までの道のりさえ遠く感じられて、山荘にお入りになる時はひどく身にしみるような寂しさである。忌中らしく、幕を引きめぐらしている儀式の場所は隠して、この西面にお入れ申し上げる。大和守が出てきて、泣く泣くかしこまってご挨拶を申し上げる。大将は妻戸の前の簀子に高欄によりかかっておすわりになり、女房をお呼び出させになるが、その場にいる女房たちはみな、心も定まらず、正気を保っていられないほどである。こうして大将がおいでくださったことで、いささか心を慰めて、少将の君は参る。大将はなにもおっしゃることがおできにならない。涙もろくはなく心強くていらっしゃるが、場所柄、宮のご様子などをお思いやるにもたまらないお気持ちになられて、無常な世の中のありまさが他人事でなく身近な人に起こったこともひどく悲しくお思いになるのであった。
大将はしばらく黙っていて、(夕霧)「ご体調が回復なさったようすをうかがっておりましたので、油断しておりましたところ、夢も醒めるまでに間があるといいますが、これはひどく驚き呆れたことで」と申し上げられる。宮(落葉の宮)は御息所がご心痛でいらっしゃったご様子、それは、だいたいはこの人(夕霧)のために御心をお悩ませになられたのだとお思いになるにつけ、人の生死は定めがあることとはいっても、ひどく恨めしいこの方(夕霧)とのご縁なので、答えることさえなさらない。(女房)「どう申し上げられましたと、申し上げればよろしいでしょうか」「たいそう軽くないご身分でありながら、こうしてわざわざ急いでおいでくださった御心ざしを、おわかりにならないようなのも、あまりといえばあまりでございましょう」と、口々に申し上げると、(落葉の宮)「ただ私の気持ちを汲み取って申し上げなさい。私は言うべきことも思いつきません」といって、横になっていらっしゃるのも当然で、(小少将)「ただ今は、亡き人と変わらぬご様子でして。おいでくださったことは、お耳に入れ申しておきました」と申し上げる。この女房たちも涙にむせ返るようすなので、(夕霧)「私とて宮に対して慰め申し上げるべき言葉もないのです。もう少し私自身、気持ちを落ち着かせて、宮もまた落ち着かれてから、ふたたび参りましょう。それにしても、どのようにしてこう突然亡くなったのかと、その御様子が知りたいものです」とおっしゃるので、小少将は、はっきり詳しくではないが、御息所のあの思い嘆いていらしたご様子を、断片的に申し上げて、(小少将)「これでは非難がましいことを申し上げるようなことになりそうです。今日はひどく気持ちが混乱しておりますので、間違ったことを申し上げることも多くございましょう。それでしたら、宮がこうして思い惑っていらっしゃるお気持ちにも限度があることですので、すこし落ち着かれたころで、宮に申し上げて、また宮からお言葉を承りましょう」といって、自分を失っているような様子なので、大将はおっしゃろうとしていらしたことも言い出せずに口が塞がって、(夕霧)「まことに闇に迷っている気がする。やはり貴女(小少将)が宮(落葉の宮)をお慰め申し上げて、すこしでもお返事がいただけるなら」など言いおかれて、退出せずにぐずぐずしていらっしゃるのも軽率で、さすがに皇女の母だけあって葬儀の参列者は多く騒がしかったので、お帰りになられた。
まさか今宵ではあるまい、と思っていた葬儀のさまざまのことが、短時間で手際よくすすむので、大将は、ひどくあっけないこととお思いになって、近くの荘園の人々を召して仰せになって、しかるべき用事の数々をお手伝い申し上げるようご命令になってから、お帰りになった。事が急なので簡略化していた葬儀を、立派に人数なども増して行うのだった。大和守も、「めったにない殿の御心遣い」などと喜んで恐れ入って申し上げる。御息所のご生前の名残さえまったくなくなってしまったことに呆然として、宮は悲しみのあまり寝込んでしまわれるが、そのかいもない。親と申し上げても、まことにこうまでいつも親しく暮らしているべきではなかったのである。お世話申し上げている女房たちも、この御事を、また、縁起でもないこととお嘆き申し上げる。大和守は、そのほか葬儀のさまざまな雑用を処理して、(大和守)「こんなにも心細いのでは生きていかれますまい。まったく御心に余裕がない」など申し上げるが、宮は、やはりせめて峰の煙を近くに見て御息所をお偲び申し上げようと、この山里に最期まで住みたいとお思いになっていらっしゃる。喪中に籠もっている僧は、寝殿の東面や、あちらの渡殿、下屋などに、形ばかりの間仕切りをしては、ほそぼそと控えている。西廂の部屋を簡素にして、宮はお住まいになられる。日が明けるも暮れるもおわかりにならないが、日数もたって、九月になった。
語句
■さこそあらめ 御息所は死後すぐに葬送するように希望していた。当時は死後も蘇生する可能性を考えて葬送は何日かのばすのが普通(【葵 17】)。 ■さてもかひあるべきならねば いくら名残を惜しんでもどうにもならない。 ■ゆゆしげなるほど いよいよ出棺という時に。 ■日次あしかりけり 親族でもない御息所の葬儀に赴くのは人目が悪いので、その言い訳。雲居雁の嫉妬を避ける意図もある。 ■かくしも急ぎ渡りたまふべき事ならず 親族でもない夕霧があわてて小野の山荘を訪れて死の穢れにふれることを諌めた。 ■ほどさへ遠くて 洛中から小野の里までの距離が夕霧には遠く感じられる。 ■心すごし 身にしみる寂寥感。 ■ゆゆしげに… 忌中らしく幕を引きめぐらしてある。 ■この西面 落葉の宮の部屋。 ■妻戸の簀子に押しかかりたまうて 妻戸(両開きの戸)の前の簀子に、高欄にもたれかかって座る。 ■少将の君 小少将。落葉の宮つきの女房。 ■ややためらひて しばらく心を落ち着かせるべく黙っている。 ■よろしうおこたりたる 御息所の病状が小康状態に入ったこと。 ■夢も醒めるほどはべるなるを 夢さえも醒めるまである程度の時間があるというのに、今回は夢以上に急であったことをいう。 ■聞こえたまへり 小少将を介して落葉の宮に申し上げる。 ■さるべきとはいひながらも 人の生死は定めがあることとはいっても。 ■人の御契 夕霧との縁。 ■いと軽らかならぬ御さま 夕霧は近衛大将という軽くない身分である。その夕霧がわざわざ弔問に訪れたことを女房たちはいう。 ■ふりはへ 「ふりはふ」はわざわざ…する。 ■ただ推しはかりて 下に「答えよ」などを補い読む。落葉の宮は母を死に追いやった原因の多くは夕霧にあると思うので対面する気になれない。 ■いかにしてかくにはかにと 御息所はどうしてこう急に亡くなったのかと。 ■まほにはあらねど 詳しく語ると夕霧を非難する結果につながるから。 ■乱りがはしき心地どものまどひに 御息所の急逝という事態のため冷静な判断力を失っているという弁解。 ■さらば 夕霧の「いますこしみづからも思ひのどめ、またしづまりたまひなむに参り来む」を受ける。 ■かく思しまどへる御心地も… 落葉の宮の心痛も限度のあることだから。 ■げにこそ 小少将の「乱りがはしき心地どものまどひに」「かく思しまどへる御心地も」を受けて、自分も貴女と同じく困惑しているの意。 ■聞こえ慰めたまひて 小少将が落葉の宮の傷心を慰めて。 ■御返りもあらばなむ 下に「いかにうれしからん」などを補い読む。 ■軽々しう 葬儀の場からなかなか立ち去らずぐずぐずしているのは近衛大将という立場上、軽率であると夕霧は判断した。 ■さすがに人騒がしければ 御息所はしっかりした家柄ではないが、それでも皇女の母なので、それなりに葬儀の参列者は多い。それを「さすがに」といった。 ■したため 葬儀の処理。 ■いとほどなく際々しく 葬儀が簡略に行われた。 ■あへなし あっけない。 ■近き御荘 小野の里に近い夕霧の荘園。「来栖野の庄」とあった(【夕霧 03】)。 ■さるべき事ども 御息所の葬儀にふさわしい立派な葬儀にした。 ■人数なども添ひてなむ 下に「行わせた」などの意を補い読む。 ■あり難き殿の 大和守は落葉の宮と夕霧の経緯をしらない。ただひたすらに親切な心遣いと思っている。 ■なごりだになく 御息所の遺骸は火葬にされた。 ■この御事 御息所の異常なまでの落胆のさま。 ■ゆゆしう嘆ききこゆ 落葉の宮が御息所の後を追って死ぬのではないかという心配。 ■残りの事ども 葬儀のその他の雑用。 ■かく心細くては 一条宮への帰還をすすめる。 ■峰の煙をだに 御息所を荼毘に付した山里の煙を見るたびに御息所を思い出そうとして。 ■御忌 喪中の七七日(四十九日)間。 ■下屋 召使いの住む小屋。 ■はかなき隔てしつつ 几帳や屏風で簡単な間仕切りをする。 ■西の廂 落葉の宮の部屋。西の母屋から西廂の間に移った。死の穢れを避ける意味かと思われる。