【夕霧 16】夕霧、弔問を重ねるも落ち葉の宮、心開かず 夕霧、いらつく

山おろしいとはげしう、木《こ》の葉の隠ろへなくなりて、よろづのこといといみじきほどなれば、おほかたの空にもよほされて、干《ひ》る間もなく思し嘆き、命さへ心にかなはずと、厭《いと》はしういみじう思す。さぶらふ人々も、よろづにもの悲しう思ひまどへり。大将殿は、日々にとぶらひきこえたまふ。さびしげなる念仏の僧など慰むばかり、よろづの物を遣《つか》はしとぶらはせたまひ、宮の御前には、あはれに心深き言の葉を尽くして恨みきこえ、かつは尽きもせぬ御とぶらひを聞こえたまへど、取りてだに御覧ぜず、すずろにあさましきことを、弱れる御心地に疑ひなく思ししみて、消えうせたまひにし事を思し出づるに、後《のち》の世の御罪にさへやなるらむと胸に満つ心地して、この人の御事をだにかけて聞きたまふは、いとどつらく心憂き涙のもよほしに思さる。人々も聞こえわづらひぬ。一行《ひとくだり》の御返りをだにもなきを、しばしは心まどひしたまへるなど思しけるに、あまりにほど経《へ》ぬれば、「悲しきことも限りあるを。などか、かくあまり見知りたまはずはあるべき。言ふかひなく若々しきやうに」と恨めしう、「異事《ことごと》の筋に、花や蝶やとかけばこそあらめ、わが心にあはれと思ひ、もの嘆かしき方《かた》ざまのことをいかにと問ふ人は、睦《むつ》ましうあはれにこそおぼゆれ。大宮の亡《う》せたまへりしをいと悲しと母ひしに、致仕《ちじ》の大臣《おとど》のさしも思ひたまへらず、ことわりの世の別れに、おほやけおほやけしき作法《さはふ》ばかりの事を孝《けふ》じたまひしに、つらく心づきなかりしに、六条院のなかなかねむごろに後《のち》の御事をも営《いとな》みたまうしが、わが方ざまといふ中にも、うれしう見たてまつりし、そのをりに、故衛門督をばとりわきて思ひつきにしぞかし、人柄《ひとがら》のいたうしづまりて、ものをいたう思ひとどめたりし心に、あはれもまさりて人より深かりしがなつかしうおぼえし」など、つれづれとものをのみ思しつづけて明かし暮らしたまふ。

現代語訳

山おろしの風がとても激しく、葉の散り落ちた木々はあらわになり、万事まことに悲しい季節なので、ただでさえ気持ちを掻き立てられる空の風情にそそられて、宮(落葉の宮)は涙の乾く間もなくお嘆きになられては、自分の命すら思うようにならないと、厭わしく嫌にお思いになる。お仕えする女房たちも、万事もの悲しく思い迷っている。大将殿(夕霧)は、日々にお見舞いの使をお遣わしになる。さびしそうにしている念仏の僧なども慰められるほど、さまざまな物をお遣わしになっておねぎらいになり、宮(落葉の宮)の御前には、しみじみと心深い言葉を尽くして、返事のないことについての恨み言を申し上げて、その一方では尽きることのないお慰めの言葉を申し上げるが、宮は御手に取ってご覧になることもなく、なんとなくとんでもないことを、御息所が弱ったお気持ちの中に、疑いなくお思いこんだままお亡くなりになった事を思い出されるにつけ、そのことが今生において親不孝であっただけでなく、後生の御障りにまでなりはしないかと、胸がいっぱいになる気がして、この人(夕霧)の御事を耳になさるだけでも、いよいよつらく悲しみの涙をさそわれることにお思いになる。女房たちも何と申し上げてよいかわからず困っている。

わずか一行のご返事すらないことを、大将(夕霧)は、「宮もしばらくは困惑しておられるのだろう」など、お思いになっておられたが、あまりに音沙汰ないまま時が経つので、「悲しいことにも限りがあろうに。どうして、ここまで度を越して、私の気持ちをおわかりいただけないでよいものか。お話にならない、世間知らずのようではないか」と恨めしく、「悲しみを慰めるのとは別方向の、花や蝶やと浮ついた言葉をかけているなら避けられることもあろうが、自分の心に深い悲しみを抱いて、嘆かずにはいられないようなことがあったとき、いかがですかと尋ねてくれる人には、ふつうは親しみと感謝の念をこそ覚えるものだが。大宮がお亡くなりになった時、私はひどく悲しく思っていたが、致仕の大臣はそれほどはお思いにならず、この世の別れは当然の道理だとして、表向きの作法だけの孝行をなさったので、私は恨めしく気に入らなかったのだが、六条院(源氏)が、実の親でもないのに、かえって親身になって後のご法事までもお営みになられたことが、肉親とはいえ、うれしく存じ上げたものだった。その折に、故衛門督(柏木)をとくに気に入ったのだった。人柄がとても落ち着いていて、物事を深く心にとめる性質だったので、大宮の不幸を悲しむ気持ちも人より深かったのが、私は好ましく思われたのだ」など、所在のないままに物思いにくれつづけて明かし暮らしていらっしゃる。

語句

■山おろし 比叡山から吹き下ろす。 ■命さへ 落葉の宮は母御息所の後を追って死にたいとまで思い詰めたが、死ねなかった。「命だに心にかなふものならばなにか別れのかなしからまし」(古今・離別 白女)。 ■念仏の僧 喪中の供養にあたる僧。 ■あさましきこと 落葉の宮と夕霧が関係を持ったということ。 ■疑ひなく思ししみて 御息所は落葉の宮と夕霧が関係を持ったと信じ込んでいた。 ■後の世の御罪 御息所に、夕霧と自分が関係を持ったと確信させたことが今生においての親不孝であるし、後生においても往生のさまたげになると心配している。 ■この人の御事 落葉の宮は、夕霧の自分への強引な求婚がもとで、母御息所が死ぬことになったと思い恨んでいる。 ■若々しき 落葉の宮は柏木と結婚していたのだから、男女の情を知らないわけではなかろうに、という気持ち。 ■異事の筋 悲しみを慰めるのとは別方面のこと。 ■花や蝶や 浮ついた恋文めいた言葉。 ■あらめ 浮ついた文を送ってなら避けられるのも当然だが、自分はまじめな慰めの文を送っているのだから避けられる筋合はない、という気持ち。 ■わが心にあはれと思ひ… 自分の悲しみに共感してくれる人に親しみ深く思うのは当然ではないか、という一方的な理屈。 ■大宮 夕霧の祖母。致仕の大臣の母。大宮の死去については【藤袴 02】【藤裏葉 02】にある。しかしその際の事情についてはここに初出。 ■致仕の大臣 致仕の大臣は大宮の長男。 ■おほやけおほやけしき 表向きの。 ■孝じたまひし 「孝ず」は親のために追善供養をする。 ■六条院 源氏。大宮は源氏の姑。 ■後の御事をも 葬儀だけでなくその後の七七日の法事も。 ■わが方ざまといふ中にも 源氏は自分の実の父親で、身内という関係だとはいっても。たとえ身内でもうれしかったの意。 ■そのをりに… 柏木が祖母大宮の死を心から悲しんでいるので夕霧は好感を持った。 ■

朗読・解説:左大臣光永