【御法 09】即日葬儀 源氏、出家になおも慎重

やがて、その日、とかくをさめたてまつる。限りありける事なれば、骸《から》を見つつもえ過ぐしたまふまじかりけるぞ、心憂き世の中なりける。はるばると広き野の所もなく立ちこみて、限りなくいかめしき作法なれど、いとはかなき煙《けぶり》にてはかなくのぼりたまひぬるも、例のことなれどあへなくいみじ。空を歩《あゆ》む心地して、人にかかりてぞおはしましけるを、見たてまつる人も、さばかりいつかしき御身をと、ものの心知らぬ下衆《げす》さへ泣かぬなかりけり。御送りの女房は、まして夢路《ゆめぢ》にまどふ心地して、車よりもまろび落ちぬべきをぞ、もてあつかひける。

昔、大将の君の御母君亡せたまへりし時の暁《あかつき》を思ひ出づるにも、かれはなほものの覚《おぼ》えけるにや、月の顔の明《あき》らかにおぼえしを、今宵《こよひ》はただくれまどひたまへり。十四日に亡せたまひて、これは十五日の暁なりけり。日はいとはなやかにさし上《あが》りて、野辺《のべ》の露も隠れたる隈《くま》なくて、世の中思しつづくるにいとど厭《いと》はしくいみじければ、後《おく》るとても幾世《いくよ》かは経《ふ》べき、かかる悲しさの紛れに、昔よりの御|本意《ほい》も遂《と》げてまほしく思ほせど、心弱き後《のち》の譏《そし》りを思せば、このほどを過ぐさんとしたまふに、胸のせきあぐるぞたへがたかりける。

現代語訳

そのまま、その日に、とにかく葬儀を行い申し上げる。葬儀には決まった作法があるので、いつまでも亡骸を見つつお過ごしになることができないのが、つれない世の中であるのだった。はるばると広い野に所せましと人が密集して、限りなく仰々しい作法であはるが、まことにはかない煙となって、はかなく空にお上りになったのも、世の常のことであるがあっけなく悲ししものである。院(源氏)は、空を歩くような気がして、人によりかかっていらっしゃったのを、拝見する人も、あれほど威厳のある御身なのに…と、ものの道理を知らない身分卑しき者まで泣かぬ者はないのだった。野辺の御送りにきた女房は、院にもまして夢路に惑い歩く気持ちがして、車からも転がり落ちてしまいそうなのを、他の者がかばってやるのだった。

昔、大将の君(夕霧)の御母君(葵の上)が亡くなられた時の暁が思い出されるにつけても、あの時はそれでもやはり正気を保っていたのだろうか、月の面がはっきりとわかったが、今宵はただ目の前が真っ暗になって困惑していらっしゃる。十四日にお亡くなりになって、今は十五日の暁なのであった。日はとても明るくさし上がって、野辺の露も隠れている隅はなくて、世の中のことをお思いつづけなさると、いよいよ厭わしく悲しいお気持ちになるので、死に遅れるといっても、そう長い年月生きていられようかと、こうした悲しさに紛れて、昔からの御出家のご念願も遂げたいとお思いになるが、心弱さにまかせて出家したと後日、世間から非難されることをお思いになると、喪中の時期が過ぎたころにとお考えになるにつけ、胸にこみあげるのが、耐えがたいのであった。

語句

やがて 亡くなったその日に。 ■をさめたてまつる 葬儀を行う。 ■限りありける事なれば 悲しみは尽きないが葬儀には一定の決まった作法があるので。 ■骸を見つつも 「空蝉はからを見つつもなぐさめつ深草の山煙だに立て」(古今・哀傷 勝延)。 ■はるばると広き野 葬送の地のようす。愛宕か。現東山区鳥辺野付近、もしくは現吉田山から岡崎あたりとの説も。 ■空を歩む心地 上の空である様子。 ■いつかしき御身 威厳に満ちた源氏の御身。そんな源氏でさえ悲しみに打ちひしがれているの意。 ■車よりもまろび落ちぬべきをぞ 桐壺更衣の葬送の場面でも同種の描写があった(【桐壺 05】)。 ■昔 夕霧の母葵の上が死んだ時のこと。「八月廿余日の有明なれば、空のけしきもあはれ少なからぬに、…」(【葵 17】)。 ■月の顔の →【同上】。 ■十四日に亡せたまひて… 紫の上が亡くなったのは十四日の明け方。その日のうちに葬儀を行い、十四日夜は夜通し亡骸を火葬にして、十五日の暁に骨を拾って帰る。 ■昔よりの御本意 出家の念願。 ■心弱き後の譏り 「源氏は紫の上が亡くなったので気落ちして出家したのであって、真実の道心からではない」という世間からの避難。 ■このほどを過ぐさん 前述の非難が出なくなるまで時間を置こうとする。

朗読・解説:左大臣光永

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