【橋姫 08】薫、八の宮を訪れる 薫と八の宮の交流はじまる

げに、聞きしよりもあはれに、住まひたまへるさまよりはじめて、いと仮《かり》なる草の庵《いほり》に、思ひなし、ことそぎたり。同じき山里といへど、さる方にて心とまりぬべくのどやかなるもあるを、いと荒ましき水の音《おと》、波の響きに、もの忘れうちし、夜《よる》など心とけて夢をだに見るべきほどもなげに、すごく吹きはらひたり。「聖だちたる御ためには、かかるしもこそ心とまらぬもよほしならめ、女君たち、何心地して過ぐしたまふらむ。世の常の女《をむな》しくなよびたる方は遠くや」と推しはからるる御ありさまなり。

仏の御隔てに、障子《さうじ》ばかりを隔ててぞおはすべかめる。すき心あらん人は、気色ばみ寄りて、人の御心ばへをも見まほしう、さすがにいかがとゆかしうもある御けはひなり。されど、さる方を思ひ離るる願ひに山深く尋ねきこえたる本意《ほい》なく、すきずきしきなほざり言《ごと》をうち出であざればまむも事に違《たが》ひてや、など思ひ返して、宮の御ありさまのいとあはれなるをねむごろにとぶらひきこえたまひ、たびたび参りたまひつつ、思ひしやうに、優婆塞《うばそく》ながら行ふ山の深き心、法文など、わざとさかしげにはあらで、いとよくのたまひ知らす。

聖だつ人|才《ざえ》ある法師などは世に多かれど、あまりこはごはしうけ遠げなる宿徳《しうとく》の僧都、僧正の際《きは》は、世に暇《いとま》なくきすくにて、ものの心を問ひあらはさんもことごとしくおぼえたまふ、また、その人ならぬ仏の御|弟子《でし》の、忌《い》むことを保つばかりの尊さはあれど、けはひ卑しく言葉たみて、こちなげにもの馴れたる、いとものしくて、昼は公事《おほやけごと》に暇なくなどしつつ、しめやかなる宵のほど、け近き御|枕上《まくらがみ》などに召し入れ語らひたまふにも、いとさすがにものむつかしうなどのみあるを、いとあてに心苦しきさまして、のたまひ出づる言の葉も、同じ仏の御教をも、耳近きたとひにひきまぜ、いとこよなく深き御悟りにはあらねど、よき人はものの心を得たまふ方のいとことにものしたまひければ、やうやう見馴れたてまつりたまふたびごとに、常に見たてまつらまほしうて、暇なくなどしてほど経《ふ》る時は恋しくおぼえたまふ。

この君のかく尊がりきこえたまへれば、冷泉院《れぜいゐん》よりも常に御|消息《せうそこ》などありて、年ごろ音《おと》にもをさをさ聞こえたまはず、いみじくさびしげなりし御住み処《か》に、やうやう人目見る時々あり。をりふしにとぶらひきこえたまふこといかめしう、この君も、まづさるべき事につけつつ、をかしきやうにもまめやかなるさまにも心寄せつかうまつりたまふこと、三年ばかりになりぬ。

現代語訳

実際、八の宮のすまいは、聞いていたよりも胸にしみるような寂しさであり、お住まいのありさまをはじめとして、ひどく質素な草の庵であり、そう思うせいか、簡素な構えである。同じ山里といっても、そうした風情の面では心ひかれそうな、のんびりしたすまいもあるのに、ひどく荒々しい水の音、波の響きに、ふと物思いを忘れたりすることもなく、夜など落ち着いて夢さえも見れない感じで、風がすさまじく吹き払っている。「聖めいた方にとっては、こうした場所こそ、俗世への執着を断つ機縁ともなろうが、姫君たちは、どういう気持でお過ごしなのだろう。世の常の女らしく、ものやわなかなところからは、縁遠いのではないか」と推量される八の宮の暮らしぶりである。

仏間との御境には、姫君たちは、襖一つを隔てて住んでいらっしゃるようだ。好色な心があるような人なら、色めいたしぐさで近寄り、姫君たちの御気性をも見たいと思うような、中将もいくら姫君たちに興味がないといっても、どんなものだろうと興味を惹かれるご様子である。しかし、「そうした色めいた気持から離れたいという願いで山深く尋ね申し上げたのに、そのかいもなく、好色めいたいいかげんなことを言い出して戯れるのも、目的とちがっているだろう」と思い直して、八の宮のお暮らしぶりが実に風情あるのを熱心にお訪ねり申し上げなさり、たびたびお参りなさっているうちに、願っていたとおりに、在俗ながら山にこもって修行することの深い意義や経文のことなどを、ことさら賢こぶったふうではなく、実によく中将(薫)にお教えなさる。

聖めいた学問ある法師などは世に多いが、あまり堅苦しく近づきがたい徳の高い僧都、僧正といった身分の僧は、世に重く用いられて忙しく、無愛想で、ものの道理を質問しあきらかにするのも仰々しいとお思いになる。

また、それほどではない身分の仏の弟子で、戒律を守るていどの尊さはあっても、人柄が卑しく言葉になまりがあり、無骨に物馴れしているような僧は、ひどくいやなもので、昼は公務で暇もなく忙しくしていて、もの静かな宵のころ、枕元近くなどに僧を召し入れてお語らいになるにしても、実にやはり何となく不快であったりなどばかりするのだが、この八の宮は、たいそう品があり、いたわしい物腰で、口に出される言葉も、同じ仏の御教をも、耳に馴染みのあるたとえ話をおりまぜて、中将(薫)は、たいそう熱心な御道心というわけではないが、身分の高い人はものの道理を理解する方面がとても上手でいらっしゃるので、しだいに八の宮に見馴れ申し上げられるたびごとに、いつも八の宮を拝見したくて、公務で暇がない時など長く訪ねられない時は、八の宮のことを恋しくお思いになる。

この君(薫)がこうして八の宮を尊がり申し上げられるので、冷泉院からもいつも御連絡などがあって、長年噂にもめったにお聞きにならず、ひどく寂しげであった御住まいに、ようやく人影を見る時々もあるのだった。折につけて冷泉院からの御使が八の宮をご訪問なさるさまは仰々しく、この君(薫)も、まずしかるべき機会のたびに、風流の方面でも、生活向きの面でも、八の宮に心をお寄せ申し上げなさることが、三年ほどになった。

語句

■げに なるほど阿闍梨の報告どおり。 ■思ひなし 隠者のすまいと見るせいか、いよいよそのように見えるの意。 ■もの忘れうちし… 「もの忘れうちすべきほどもなげに」と続くべきところ。 ■心とまらぬもよほし 俗世への執着が切れる機縁。仏道修行には宇治の環境は最適と薫は思う。 ■仏の御隔てに… 仏間と襖ひとつ隔てて姫君たちが住んでいる。 ■さすがにいとどゆかしうも 薫は姫君たちに感心はないが、そんな薫でもさすがに心惹かれるの意。 ■優婆塞 在俗で仏門に帰依する男子。前に「俗聖」「俗ながら聖」(【橋姫 06】)とあった。「優婆塞が行ふ山の椎がもとあなそばそばし常にしあらねば」(宇津保物語・嵯峨院)。女子は優婆夷という。 ■山の深き心 「山の深き」と「深き心」にまたがる。 ■聖たつ才… 以下、一般論として馴染みにくい僧の人物像。 ■こはごはしう かたくるしく親しみづらいかんじ。 ■宿徳 徳が長けていること。 ■僧都僧正 僧の位としては僧正が上で僧都が下。 ■世に暇なく 高僧なのであちこちから呼ばれて忙しい。 ■きすく きまじめで親しみにくいさま。 ■その人ならぬ 前に挙げたニ例以外の。 ■こちなげに 無骨に。 ■昼は公事に暇なくなど… 薫は近衛中将としての公務に昼は忙しい。前に「公私に暇なく…」(【橋姫 07】)とあった。 ■いとあてに… ここまで述べてきた好ましくない僧の例から一転して、八の宮がいかにすばらしいかを述べる。 ■耳近きたとひにひきまぜ 薫にとって身近な例をおりまぜて仏教の教えを語る。 ■よき人 貴人。薫のこと。 ■暇なくなどして 前に「昼は公事に暇なく…」とあった。 ■冷泉院よりも 冷泉院は薫を寵愛しているので。 ■まめやかなるさま 主に経済的援助のことをいう。 ■三年ばかり 薫二十~ニ歳。

朗読・解説:左大臣光永