【橋姫 06】阿闍梨、八の宮の暮らしぶりを冷泉院に報ずる 薫、興味を抱く

この阿闍梨は、冷泉院《れぜいゐん》にも親しくさぶらひて、御経など教へきこゆる人なりけり。京に出でたるついでに参りて、例の、さるべき文《ふみ》など御覧じて問はせたまふこともあるついでに、「八の宮の、いとかしこく、内教《ないけう》の御|才悟《ざえさとり》深くものしたまひけるかな。さるべきにて生《む》まれたまへる人にやものしたまふらむ。心深く思ひすましたまへるほど、まことの聖の掟《おきて》になん見えたまふ」と聞こゆ。「いまだかたちは変へたまはずや。俗聖《ぞくひじり》とか、この若き人々のつけたなる、あはれなることなり」などのたまはす。

宰相《さいしやうの》中将も、御前にさぶらひたまひて、我こそ、世の中をばいとすさまじく思ひ知りながら、行ひなど人に目とどめらるばかりは勤《つと》めず、口惜しくて過ぐし来《く》れと人知れず思ひつつ、俗ながら聖になりたまふ心の掟やいかにと、耳とどめて聞きたまふ。「出家の心ざしはもとよりものしたまへるを、はかなきことに思ひとどこほり、今となりては、心苦しき女子《をむなご》どもの御|上《うへ》をえ思ひ棄てぬとなん、嘆きはべりたまふ」と奏す。

さすがに物の音《ね》めづる阿闍梨にて、「げに、はた、この姫君たちの琴弾《ことひ》き合はせて遊びたまへる、川波《かわなみ》に競《きほ》ひて聞こえはべるは、いとおもしろく、極楽《ごくらく》思ひやられはべるや」と、古代にめづれば、帝ほほ笑みたまひて、「さる聖のあたりに生《お》ひ出でて、この世の方ざまはたどたどしからむと推《お》しはからるるを、をかしのことや。うしろめたく思ひ棄てがたく、もてわづらひたまふらんを、もししばしも後《おく》れんほどは、譲《ゆず》りやはしたまはぬ」などぞのたまはする。この院の帝は、十《じふ》の皇子《みこ》にぞおはしましける。朱雀院の、故六条院にあづけきこえたまひし入道の宮の御|例《ためし》を思ほし出でて、「かの君たちをがな。つれづれなる遊びがたきに」などうち思しけり。

中将の君、なかなか親王《みこ》の思ひすましたまへらん御心ばへを対面《たいめん》して見たてまつらばやと思ふ心ぞ深くなりぬる。さて阿闍梨の帰り入るにも、「必ず参りてもの習ひきこゆべく、まづ内々にも気色《けしき》たまはりたまへ」など語らひたまふ。

現代語訳

この阿闍梨は、冷泉院にも親しくお仕えして、御経など教え申しあげる人なのであった。京に出た時のついでに冷泉院に参って、冷泉院がいつものようにしかるべき文などご覧になってご質問なさることもあるついでに、(阿闍梨)「八の宮は、実に賢く、仏教の御学問も悟りも深くていらっしゃいます。しかるべき前世の因縁があってお生まれになった方でいらっしゃるのでしょう。心深く思いすましていらっしゃる様子は、まことの聖のお心がまえとお見えになります」と申しあげる。(冷泉院)「いまだご出家されてはいらっしゃらないのか。俗聖とか、この院に仕える若い人々があだ名をつけたというが、尊いことであるな」などと仰せになる。

宰相中将(薫)も、冷泉院の御前に控えていらして、(薫)「自分こそは、世の中をひどくつまらないものと思い知ってはいるが、それでいて仏事の行いなどは人に注目されるほどには勤めず、むざむざ月日を過ごしてきたものだ」と人知れず思いつつ、(薫)「八の宮が、俗人のまま聖になっていらっしゃる心構えとはどんなものか」と、じっと耳を傾けてお聞きになる。

(阿闍梨)「八の宮は、出家したいというお気持ちはもともと持っていらっしゃいますが、『ちょっとしたことに躊躇して、今となっては、後が心配な娘たちの御身の上を諦めきれない』と、嘆いていらっしゃいます」と奏上する。

僧の身でありながら楽器の音を好む阿闍梨であって、(阿闍梨)「実際、また、この姫君たちが琴を合奏してお遊びになるのが、川波の音に競い合って聞こえますのは、まことに風情があり、極楽が想像されることでございまして」と、古めかしい言い方でほめるので、帝(冷泉院)はお微笑みになられて、「そうした聖(八の宮)のもとで育ったのでは、俗世のことには疎いだろうと思われるのに、おもしろいことであるよ。八の宮がその姫君たちのことを、心配で、思い棄てがたく、持て余していらっしゃるらしいが、もしほんの少しでも私が八の宮よりも長く生きているなら、後見人の地位を私に譲ってはくださるまいか」などとおっしゃる。この院の帝(冷泉院)は、桐壺院の第十皇子でいらっしゃるのだ。朱雀院が、故六条院(源氏)に預け申し上げられた入道の宮(女三の宮)の御先例をお思い出されて、(冷泉院)「その姫君たちを迎えたいものだ。所在ないときの遊び相手に」などお思いになるのだった。

中将の君(薫)のほうがかえって、親王(八の宮)の思いすましていらっしゃるご気性を対面して拝見しなくてはと思う気持ちが深くなった。それで阿闍梨が山に帰る際も、(薫)「必ず参ってお教えを請えますように、まずは内々にもご内意をいただいてください」などとお頼みになる。

語句

■八の宮 「八の宮の姫君にも、御心ざし浅からで」(【紅梅 08】)。 ■内教 仏教のこと。対して儒教などを外教という。 ■さるべきにて 仏の方面に進むべくして。 ■掟 心構え。 ■かたちは変へたまはずや 「かたちを変える」は僧形になって髪をおろすこと。 ■俗聖 在俗の仏教者。 ■この若き人々 冷泉院にお仕えする若い人たち。 ■宰相中将 薫。十九歳で三位宰相となり(【匂宮 08】)、冷泉院の寵愛を受けている。 ■俗ながら聖になりたまふ… 薫も俗世間にいながら心はそこから離れているので八の宮の心構えに興味を持つ。 ■はかなきこと 二人の姫君のこと。 ■げに 前の「心苦しき女子…え思ひ棄てぬ」を受ける。 ■極楽思ひやられ 極楽には妙なる音楽が鳴り響いているという。 ■この世の方ざま 音楽のことなどをいう。 ■うしろめたく… 前の八の宮の言葉「心苦しき女子…え思ひ棄てぬ」を受ける。 ■譲りやしたまはぬ 姫君たちの後見人の地位を私に譲ってくれないかの意。 ■朱雀院の、故六条院にあづけきこえたまひし入道の宮の御例 朱雀院が故六条院(源氏)に女三の宮を降嫁させた前例。当時、「後の世の例ともなるべき事」(【若菜上 07】)と言われていた。 ■なかなか 四十九歳の冷泉院が姫君たちに興味を持ち、若い薫がかえって八の宮に興味を持ったの意。

朗読・解説:左大臣光永