【橋姫 13】薫、弁の昔語りに興味を持ち再会を約束する

あやしく、夢語《ゆめがたり》、巫女《かむなぎ》やうのものの問はず語りすらむやうにめづらかに思さるれど、あはれにおぼつかなく思しわたる事の筋を聞こゆれば、いと奥ゆかしけれど、げに人目もしげし、さしぐみに、古物語にかかづらひて夜を明かしはてむも、こちごちしかるべければ、「そこはかと思ひわくことはなきものから、いにしへの事と聞きはべるも、ものあはれになん。さらば必ずこの残り聞かせたまへ。霧晴れゆかばはしたなかるべきやつれを、面《おも》なく御覧じ咎められぬべきさまなれば。思うたまふる心のほどよりは、口惜しうなむ」とて立ちたまふに、かのおはします寺の鐘の声、かすかに聞こえて、霧いと深くたちわたれり。

現代語訳

中将(薫)は、弁の話を、不思議に、夢語りか巫女のようなものが問わず語りをするように珍しくお思いになるが、胸がしめつけられるようにずっと気になっていらした事の筋を弁が申し上げるので、とても気になった。しかし実際人目も多いし、唐突に、弁の昔話につきあって夜を明かしてしまうのも、姫君たちに対して無礼であろうから、(薫)「それだとはっきり思い当たることはないのですが、昔の事をお聞きいたしますのも、興味を惹かれます。それなら必ずこの続きをお聞かせください。霧が晴れてゆけば見苦しいにちがいないやつれた姿を、決まりの悪いものとお咎めになるような格好ですので。もっとお話していたい気持ちからすると、残念ですが」といってご出発なさる時、かの八の宮がいらっしゃる寺の鐘の音が、かすかに聞こえて、霧がとても深くあたり一面にたちこめた。

語句

■あやしく 「あやしく」「夢語」「巫女」と現実的でないという意味の言葉を重ねる。 ■あはれにおぼつかなく… 薫は自分の出生の秘密についてそれとなく察知していた。「幼心地にほの聞きたまひしことの、をりをりいぶかしうおぼつかなう思ひわたれど、問ふべき人もなし」(【匂宮 05】)。 ■さしぐみに 唐突なさま。 ■こちごちしかる 無礼であること。 ■そこはかと思ひわくことはなきものから 薫は弁がはっきり何を言っているかわからなかったが、自分の出生に関係することだと察知している。 ■ものあはれになん 弁の言葉「あはれなる昔の御物語」(【橋姫 12】)に対応。 ■はしたかなる 「やつしたまへると見ゆる狩衣姿のいと濡れしめりたる」(【同上】)とあった。 ■面なく 「面なし」は人に合わせる顔がない。恥ずかしい。面目ない。 ■思うたまふる心のほどよりは もっとここにいたい気持ちはあるが、帰らなければいけないので残念だの気持ち。 ■かのおはします寺 八の宮がお勤めをしている寺。 ■かすかに聞こえて 霧深い宇治の山里に響く鐘の声。薫の心をも象徴する。

朗読・解説:左大臣光永