【椎本 02】宇治川沿いの遊興 匂宮、中の君と歌の贈答

所につけて、御しつらひなどをかしうしなして、碁《ご》、双六《すごろく》、弾棊《たぎ》の盤《ばん》どもなどとり出でて、心々にすさび暮らしたまひつ。宮は、ならひたまはぬ御|歩《あり》きになやましく思されて、ここにやすらはむの御心も深ければ、うち休みたまひて、夕つ方ぞ御|琴《こと》など召して遊びたまふ。

例の、かう世離れたる所は、水の音《おと》ももてはやして物の音澄みまさる心地して、かの聖《ひじり》の宮にも、たださし渡るほどなれば、追風に吹き来る響きを聞きたまふに昔の事思し出でられて、「笛をいとをかしうも吹きとほしたなるかな。誰ならん。昔の六条院の御笛の音聞きしは、いとをかしげに愛敬《あいぎやう》づきたる音にこそ吹きたまひしか。これは澄みのぼりて、ごとごとしき気《け》のそひたるは、致仕《ちじ》の大臣《おとど》の御|族《ぞう》の笛の音にこそ似たなれ」など独りごちおはす。「あはれに久しうなりにけりや。かやうの遊びなどもせで、あるにもあらで過ぐし来にける年月《としつき》の、さすがに多く数へらるるこそかひなけれ」などのたまふついでにも、姫君たちの御ありさまあたらしく、かかる山ふところにひきこめてはやまずもがなと思しつづけらる。宰相の君の、同じうは近きゆかりにて見まほしげなるを、さしも思ひ寄るまじかめり、まいて今様《いまやう》の心浅からむ人をばいかでかは、など思し乱れ、つれづれとながめたまふ所は、春の夜もいと明《あ》かしがたきを、心やりたまへる旅寝の宿《やどり》は、酔《ゑひ》の紛れにいととう明けぬる心地して、飽かず帰らむことを宮は思す。

はるばると霞《かす》みわたれる空に、散る桜あれば今開けそむるなどいろいろ見わたさるるに、川ぞひ柳の起き臥《ふ》しなびく水影などおろかならずをかしきを、見ならひたまはぬ人は、いとめづらしく見棄てがたし、と思さる。宰相は、かかるたよりを過ぐさずかの宮に参でばや、と思せど、あまたの人目を避《よ》きて独り漕ぎ出でたまはん舟渡《ふなわた》りのほども軽《かろ》らかにや、と思ひやすらひたまふほどに、かれより御文あり。

山風にかすみ吹きとく声はあれどへだてて見ゆるをちの白波

草《さう》にいとをかしう書きたまへり。宮、思すあたりと見たまへば、いとをかしう思《おぼ》いて、「この御返りは我せん」とて、

をちこちの汀《みぎは》に波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の川風

中将は参でたまふ。遊びに心入れたる君たち誘ひて、さしやりたまふほど酣酔楽《かんすいらく》遊びて、水にのぞきたる廊《らう》に造りおろしたる橋の心ばへなど、さる方にいとをかしうゆゑある宮なれば、人々心して舟より下《お》りたまふ。ここは、また、さま異《こと》に、山里びたる網代屏風《あじろびやうぶ》などの、ことさらにことそぎて、見どころある御しつらひを、さる心してかき払ひ、いといたうしなしたまへり。いにしへの、音《ね》などいと二《に》なき弾物《ひきもの》どもを、わざと設《まう》けたるやうにはあらで、次々弾き出でたまひて、壱越調《いちこつてう》の心に、桜人《さくらびと》遊びたまふ。主《あるじ》の宮の御|琴《きん》をかかるついでにと人々思ひたまへれど、箏《さう》の琴《こと》をぞ心にも入れずをりをり掻き合はせたまふ。耳馴れぬけにやあらむ、いともの深くおもしろし、と若き人々思ひしみたり。所につけたる饗《あるじ》いとをかしうしたまひて、よそに思ひやりしほどよりは、なま孫王《そんわう》めく賤《いや》しからぬ人あまた、王《おほきみ》、四位の古めきたるなど、かく人目見るべきをりと、かねていとほしがりきこえけるにや、さるべきかぎり参りあひて、瓶子《へいじ》とる人もきたなげならず、さる方に、古めきて、よしよししうもてなしたまへり。客人《まらうと》たちは、御むすめたちの住まひたまふらん御ありさま思ひやりつつ、心つく人もあるべし。

かの宮は、まいて、かやすきほどならぬ御身をさへ、ところせく思さるるを、かかるをりにだにと忍びかねたまひて、おもしろき花の枝を折らせたまひて、御供にさぶらふ上童《うへわらは》のをかしきして奉りたまふ。

「山桜にほふあたりにたつねきておなじかざしを折りてけるかな

野をむつましみ」とやありけん。御返りは、いかでかはなど、聞こえにくく思しわづらふ。「かかるをりのこと、わざとがましくもてなし、ほどの経《ふ》るも、なかなか憎き事になむしはべりし」など、古人《ふるびと》ども聞こゆれば、中の君にぞ書かせたてまつりたまふ。

「かざしをる花のたよりに山がつの垣根を過ぎぬ春の旅人

野をわきてしも」と、いとをかしげにらうらうじく書きたまへり。

げに川風も心わかぬさまに吹き通ふ物の音《ね》どもおもしろく遊びたまふ。御迎へに、藤《とう》大納言仰せ言にて参りたまへり。人々あまた参り集《つど》ひ、もの騒がしくて競ひ帰りたまふ。若き人々、飽かず、かへりみのみせられける。宮は、またさるべきついでして、と思す。花盛りにて、四方《よも》の霞もながめやるほどの見どころあるに、漢《から》のも大和《やまと》のも歌ども多かれど、うるさくて尋ねも聞かぬなり。

現代語訳

こういう場所なりに、風情あるふうにお支度を調えて、碁、双六、弾棊《たぎ》の盤を何枚も取り出して、心々に一日中気の向くままのことをしていらっしゃった。宮(匂宮)は不慣れでいらっしゃる御外出に疲れたとお思いになられて、ここでしばらく滞在しようというお気持ちも深かったので、お休みになって、夕方に御琴など召して演奏なさる。

いつものように、このような浮世離れした所では、水の音も音色を引き立たせて、楽器の音がいちだんと澄んで響くように感じられ、あの聖の宮(八の宮)の対岸の御邸までほんの棹一さしで渡るような距離なので、宮(八の宮)は、追風に乗って吹き来る響きをお聞きになるにつけ昔の事をお思い出しになられて、「笛をとても上手に吹き通しているようであるよ。誰であろう。昔の六条院(源氏)の笛の音を聞いたところは、とても風情があり愛嬌のある音で吹いていらしたことだ。これは六条院のそれよりも澄んでいて、仰々しい音が加わっているのは、致仕の大臣の御一族の笛の音に似ているようだ」など独り言をおっしゃる。(八の宮)「なんとまあ久しくもなったものよ。こうした管弦の遊びなどもせずに、取るに足らないような身で過ごしてきた年月が、そうはいっても多く数えられるようになったのは、ふがいのないことよ」などとおっしゃるにつけても、姫君たちの今のご様子がもったいなく、こんな山里に引き込めたままでは終わるまいとお思いつづけになられる。宰相の君(薫)は、どうなら近い縁者にしたいようなお人柄だが、(八の宮)「君(薫)にはまさかそのようには期待を寄せてはなるまい。まして今風の気持ちの軽薄な人をどうして姫君たちの夫にできようかなどとお思い乱れ、ぼんやりと物思いにふけっていらっしゃるこの場所(八の宮邸)は、春の短夜もたいそう明かしがたいのだが、(対岸の)興が乗っていらっしゃる旅寝の宿では、酔に紛れて夜がとても早く明けてしまった気持ちがして、もっとこの場に滞在したいと宮(匂宮)はお思いになる。

はるばると一面に霞がかかっている空に、散る桜もあれば今開き始めたのなどいろいろとあちこちに見える中に、川沿いの柳が起きたり伏したりして風になびいている姿が水に映っている影など、並々でなく風情があるのを、こうした景色を見慣れていらっしゃらない宮(匂宮)は、とても珍しく見過ごしがたいとお思いになる。宰相(薫)は、こうした機会をのがさずかの宮(八の宮)に参らなくては、とお思いになるが、多くの人目を避けて独り漕ぎ出しなさる舟渡りのようすも軽薄に見えるのではないか、と思って躊躇していらっしゃるうちに、あちらから御文がとどいた。

(八の宮)山風に……

(山風に乗って霞を吹き解く楽器の音は響いてくるが、はるか遠くの白波は私たちを隔てているように見えます。お訪ねくださらないのが恨めしゅうございます)

草仮名でとても風情あるようすに書いていらっしゃる。宮(匂宮)は、お考えになっていたあたり(八の宮邸)から寄越してきたのだとお思いになるので、とても御心をお惹かれになって、(匂宮)「この御返事は私がしよう」とおっしゃって、

(匂宮)をちこちの……

(あちらの岸とこちらの岸とに波が立って、私たちの間を隔てているとしても、それでもやはり対岸までこの便りを吹きとどけておくれ宇治の川風よ)

中将(薫)は対岸にお参りになる。管弦の遊びに夢中になっている君たちを誘って、舟をお渡しになる時、酣酔楽《かんすいらく》を演奏して、水に面した廊からおりられるように作った橋の趣向など、それなりにたいそう風情があり奥ゆかしい御邸(八の宮邸)なので、人々は心して舟からお下りになる。ここ(八の宮邸)は、また対岸とは様子がちがって、山里めいた網代屏風などの、わざわざ簡素にして、しかも見映えのする御調度類を、人々をお迎えするつもりで片付けて、とてもしっかりとお席の準備をしていらっしゃる。昔の、音色など二つとない数々の弦楽器を、わざわざ準備していたようでもなく、次々とお弾きはじめになって、壱越調《いちこつちょう》の心持ちで、桜人を演奏なさる。

主人の宮(八の宮)が御琴をこうした機会にうかがいたいと人々はお思いになっていらっしゃるが、宮(八の宮)は箏の琴を気負いもせずに時々合奏なさる。耳馴れないせいだろうか、とても深い風情があると、若い人々は心にしみていらっしゃる。こういう場所なりの接待をたいそう心をこめてなさって、よそから想像していたよりは、ほどほどに皇族めいた賤しくはない人が多く、王《おおきみ》で四位の老人など、こうした来客があるような折にはと、かねてから御心寄せ申し上げていたのだろうか、しかるべき人々はみな参りあわせて、酒の器をとる人もそう見苦しくはなく、しかるべきように古風に、由緒あるふうにもてなしていらっしゃる。客人たちは、八の宮の御むすめたち(大君と中の君)が住んでいらっしゃるであろうご様子を想像しつつ、興味を抱く人もあるようだ。

かの宮(匂宮)は、他の人々よりもまして、身軽ではない御身のことも、窮屈にお思いになられていたが、せめてこういう機会にと我慢がおできにならず、美しい花の枝を折らせなさって、御供にお仕え申し上げる上童の可愛らしい者に使いをさせて、お差し上げになる。

(匂宮)「山桜……

(山桜が美しく咲いているあたり…美しい姉妹のお住まいに訪ね来て、私もその花と同じかざしを手折ってみたものです)

『野をむつましみ』の親しみをおぼえて…」とあるのだった。御返事は、どうしたものかと、申し上げづらく、姫君たちは困惑なさる。(女房)「こうした折のご返事は、ことさらめいてふるまい、返事が遅くなるのも、かえって見苦しいことでございました」など、古女房たちも申し上げるので、大君が中の君にお書かせ申し上げなさるる

(中の君)「かざしに挿す花を折るついでに、身分賤しい山人の垣根を通り過ぎる春の旅人よ

べつだん野を…私どもの住まいを訪ねてこられたわけではございますまい」と、とても風情あるように洗練された感じにお書きになられた。

実際、宇治の川風のあちらとこちらと別け隔てなく吹き通って多くの楽器の音を運び、人々は面白く、管弦の遊びに興じなさる。都からの御迎えに、藤大納言(紅梅大納言)が帝の仰せ言を承ってお参りになられた。人々が多く参り集まり、とにかく騒がしく競い合うように帰京なさる。若い人々は、八の宮邸の宴が名残惜しく、振り返ってばかりいた。宮(匂宮)は、またしかるべき機会に、とお思いになる。ちょうど花盛りの時期で、四方の霞もながめやるほど見映えのする中、漢詩も和歌も、作られた歌は多かったけれど、煩雑なのでいちいち尋ねては聞かなかったのだ。

語句

■所につけて 宇治の山里という鄙びた環境ながらも。それなりに。 ■双六 現在の所謂双六とは違う。中国伝来の遊戯。両陣に分けた盤上で、白黒十二個の石を使い、二個の賽を使い、交互に振ってその目によって石を敵陣に攻め込ませる。 ■弾棊 盤上で、白黒各六枚の碁石をはじいて当てる遊戯。詳細不明。 ■ならひたまはぬ 身分柄、このような外出はめったにない。 ■ここにやすらはむ 姫君たちへの興味があるため。 ■夕つ方ぞ 演奏の音が対岸の八の宮邸まで届くことを期待。 ■世離れたる所 「世」は平安京。それを「離れたるところ」は宇治をさす。 ■さし渡るほど 舟を動かすための棹をひとさしで渡れるほどの距離(川幅)。 ■昔の事 八宮が宮中にいた時代のこと(【橋姫 04】)。 ■なるかな 「なる」は伝聞推定。 ■致仕の大臣 柏木の父大臣。笛の才能が致仕の大臣→柏木→薫へと遺伝していることを暗示。八の宮は薫が柏木の子であることは知らない。 ■かやうの遊びなどもせで 八の宮は音楽に堪能(【同上】)だが管弦の遊びもせずに零落している現状を実感する。 ■近きゆかり 縁の深い人。薫を娘婿として迎えることを想定していう。しかしそれは無理だと八の宮は考えている。 ■思ひ寄るかめり 薫は大君に興味があるのだが、八の宮はまさかそんなことはないだろうと諦めている。 ■春の夜も 巻頭に「二月二十日のほど」とあった。 ■心やりたまへる 匂宮が宿っている山荘の人々の宴に興じているさま。 ■飽かず もっと宇治にいたいという気持ち。 ■散る桜あれば 『源氏釈』には「桜さく桜の山の桜花散る桜あればさく桜あり」(出典未詳)を引くと。 ■川ぞひ柳 「稲むしろ川ぞひ柳水行けば靡き起き立ちその根は失せず」(顕宗紀)。『古今六帖』四では、下句「起きふしすれどその根絶えせず」。 ■山風に… 薫たちのいる宇治川左岸と八の宮邸のある右岸が、霞で隔てられているという発想。訪問してくれないことの恨み言。 ■草に 草仮名《そうがな》。草書体。 ■御返りは我せん 八の宮の姫君に接近するきっかけづくり。 ■をちこちの… 川風が川を渡って吹くように隔てない交際をしてほしいという挨拶句。 ■中将は参うでたまふ 薫が匂宮の返事をもって八宮邸に参る。匂宮は身分上、軽々しくは動けない。 ■さしやりたまふ 「さしやる」は棹をさして舟をやる。 ■酣酔楽 右楽(高麗楽)の一。 ■造りおろしたる 廊から水面におりられるように造った橋。 ■さる方に 鄙びた造りだが鄙びたなりに。八の宮邸の造りについていう。 ■網代屏風 檜・竹などを薄く細く切ったものを縦横にまたは斜めに貼った屏風。 ■弾物 弾く楽器。弦楽器。 ■一越調 雅楽六調子の一。西洋音楽のニ調。 ■桜人 催馬楽。呂の曲。「桜人、その舟|止《ちぢ》め、島つ田を、十町《とまち》作れる、見て帰り来んや、そよや、あす帰り来ん、そよや(ここまで夫の詞)。言《こと》をこそ、明日ともいはめ、遠方《をちかた》に、妻ざる夫《せな》は、明日もさね来じや、そよや、さ、明日もさね来じや、そよや(ここまで妻の詞)」(催馬楽・桜人)。 ■主の宮の御琴を… 八の宮は琴の名手(【橋姫 16】)。 ■心にも入れず 人に聞かせようと気負った感じでなくリラックスして弾く。 ■孫王 天皇の孫。ここでは皇族の意味。「なま」とあるのでかろうじて皇族といった人々のこと。 ■王四位 親王にならない皇族で四品に叙せられている老人。「王」と「四位」を分ける読み方もできる。 ■瓶子 酒器。酒を入れて盃などに注ぐ器。 ■かやすきほどならぬ御身 前も「限りある御身のほどのよだけさを、厭はしきまで心もとなしと思したれば」(【橋姫 15】)とあった。 ■上童 貴人に仕える童。 ■山桜… 「かざし」は髪や冠に挿す花や枝。造花を挿すことも。「わがやどと頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ」(後撰・恋四 伊勢)の「かざし」と同じ意味だが、近親者であることの親しみをこめている。 ■野をむつましみ 「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」(古今六帖六、万葉1424 山部赤人)の「なつかしみ」を近親者への親しみをしめす「むつましみ」に変えた。 ■いかでかは 下に「聞こえん」を補い読む。 ■かかるをりのこと 匂宮のような貴人が行きずりの好色心から歌を送ってきた場合。 ■ほどの経る 考えすぎてしまい返歌に時間がかかること。 ■しはべりし 老女房たちがかつての自分たちの経験にもとづきアドバイスする。 ■かざしをる… 「山がつ」は中の君。「春のたび人」は匂宮。行きずりのいい加減な気持であることを指摘する。 ■野をわきてしも 匂宮が「野をむつましみ」といったのを受ける。 ■げに川風も 「げに」は匂宮の歌の「吹きかよへ宇治の川風」を受けて。 ■藤大納言 紅梅大納言。柏木の弟。右大臣兼左大将に昇進とあった(【竹河 20】)。 ■人々あまた参り集ひ 「人々」は宇治で宴に興じていた人々と都から迎えに来た人々の両方。 ■尋ねも聞かぬなり 人が語った内容を記録している体で書く。

朗読・解説:左大臣光永