【椎本 12】姉妹、冬ごもりの寂しき日々 歌を詠み交わす

「さても、あさましうて明け暮らさるるは月日なりけり。かく頼みがたかりける御世を、昨日今日とは思はで、ただおほかた定めなきはかなさばかりを明け暮れのことに聞き見しかど、我も人も後《おく》れ先だつほどしもやは経《へ》むなどうち思ひけるよ。来《き》し方を思ひつづくるも、何の頼もしげなる世にもあらざりけれど、ただいつとなくのどかにながめ過ぐし、もの恐ろしくつつましきこともなくて経つるものを、風の音も荒らかに、例《れい》見ぬ人影も、うち連れ、声《こわ》つくれば、まづ胸つぶれて、もの恐ろしくわびしうおぼゆることさへそひにたるが、いみじうたへがたきこと」と、二《ふた》ところうち語らひつつ、干す世もなくて過ぐしたまふに、年も暮れにけり。

雪、霰《あられ》降りしくころは、いづくもかくこそはある風の音《おと》なれど、今はじめて思ひ入りたらむ山住みの心地したまふ。女ばらなど、「あはれ、年はかはりなんとす。心細く悲しきことを。あらたまるべき春待ち出でてしがな」と、心を消《け》たず言ふもあり。難《かた》きことかな、と聞きたまふ。向ひの山にも、時々の御念仏に籠りたまひしゆゑこそ、人も参り通ひしか。阿闍梨も、いかがと、おほかたにまれに訪れきこゆれど、今は何しにかはほのめき参らむ。いとど人目の絶えはつるも、さるべきことと思ひながら、いと悲しくなん。何とも見ざりし山がつも、おはしまさで後《のち》、たまさかにさしのぞき参るは、めづらしく思ほえたまふ。このごろの事とて、薪《たきぎ》、木《こ》の実《み》拾ひて参る山人どもあり。

阿闍梨の室《むろ》より、炭などやうの物奉るとて、「年ごろにならひはべりにける宮仕の、今とて絶えはべらんが、心細さになむ」と聞こえたり。必ず冬籠る山風防ぎつべき綿衣《わたぎぬ》など遣《つか》はししを思し出でてやりたまふ。法師ばら、童《わらは》べなどの登り行くも、見えみ見えずみ、いと雪深きを、泣く泣く立ち出でて見送りたまふ。「御|髪《ぐし》などおろいたまうてける、さる方にておはしまさましかば、かやうに通ひ参る人も、おのづからしげからまし。いかにあはれに心細くとも、あひ見たてまつること絶えてやまましやは」など語らひたまふ。

君なくて岩のかけ道絶えしより松の雪をもなにとかは見る

中の宮、

おくやまの松葉につもる雪とだに消えにし人を思はましかば

うらやましくぞまたも降りそふや。

現代語訳

(大君)「いったいに驚くべきことだけれど、いつのまにか明け暮れ過ごしていけるのが月日というものなのだ。こうして、あてにならない命を、昨日今日尽きてしまおうとは思わないで、ただ一般論として世の無常ではかないことだけを明け暮れのこととして見聞きしてはいたけれど、我も人も、後れたり先立ったりするのも、その間にどれほどの隔たりがあるものか、などと思っていたこと。これまでを思いつづけてみても、何も頼りになりそうもない世の中であったけれど、ただいつとなくのんびりとあれこれ思いながら過ごし、これといって恐ろしく気が引けるようなこともなく暮らしてきたのに、今は風の音も荒々しく聞こえ、ふだん見ない人影が、連れ立って、声を作っているのを聞くと、まず胸がどきどきして、何となく恐ろしくわびしく思われることまでも加わっているのが、ひどく耐え難いこと」と、お二人(大君と中の君)で語らいつつ、涙の渇く間もなくお過ごしになっていらっしゃるうちに、年も暮れてしまった。

雪や霰が降りしくころは、どこもこのように激しい風の音がするものだが、今はじめて思い立って山籠りしているようなお気持ちになられる。女房たちなど、「ああ、年があらたまろうとしている。今年は心細く悲しかったこと。来年は事が改まって、楽しい春がくればよいが」と、沈み込まずに言う者もある。姫君たちは「難しいことだわ」とお聞きになる。向かいの山(宇治山)にも、八の宮が時々の御念仏にお籠もりになっていらしたからこそ、人も参り通っていたものである。阿闍梨も、「どうされていますか」と、ひととおり時々はお見舞い申し上げるが、今は何をしにほんの少しでも参ることがあろう。姫君たちは、いよいよ人目が絶えはててしまうのも当然だとは思いながら、ひどく悲しくお思いなのであった。それまでも何とも思わず見ていた身分の低い山の者たちも、宮(八の宮)がお亡くなりになられて後は、時々のぞきに参るのは、めずらしくお思いになる。この季節の恒例として、薪や木の実を拾って持参する山人たちもいる。

阿闍梨の僧坊から、炭などといった物を差し上げるといって、(阿闍梨)「長年の習慣になっておりました(八の宮邸への)宮仕が、今は必用ないといって途絶えてしまいましたのが、心細うごさいまして」と申し上げる。姫君(大君)は、宮(八の宮)がご生前、いつも冬ごもりするにあたって、山風を防ぐための綿入の衣などを阿闍梨のもとに遣わしていたのをお思い出されて、お遣わしになる。法師たちや、童たちなどが山に登り行く姿も、見えたり見えなかったり、ひどく雪深いのを、泣く泣くご出発になるのを端近くまで出てお見送りになる。(姫君)「父宮が御髪などをおろして出家してしまわれた、その御姿でもご健在でいらしたとしたら、こうして通って参る人も、自然と多かっただろう。どれほど悲しく心細くとも、お会い申し上げることが途絶えてしまうということはないでしょうに」など、姉妹でお語らいになる。

(大君)君なくて……

(父宮がお亡くなりになって岩の桟道が絶えてからというもの、松にかかる雪を貴女はどう見ていますか)

中の宮、

おくやまの……

(せめて奥山の松の葉につもる雪として、ほんの短い間でさえも、亡き父宮を思うことができましたら…)

うらやましくも、さらに降り積もる雪であるよ。

語句

■御世 八の宮の寿命。 ■昨日今日とは思はで 「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(古今・哀傷 業平、伊勢物語百二十五段)。 ■ただおほかた… 人の世の無常を一般論として知っていただけで、わが身の上のこととして実感したことはなかった。 ■後れ先だつほど… 「末の露もとの雫や世の中の後れ先立つためしなるらん」(新古今・哀傷 遍昭)による。→【御法 06】の「ややもせば…」の歌を参照。 ■思ひ入りたらむ山住みの心地 今はじめて思い立って山籠りしたような感じ。 ■あらたまるべき春 季節が改まると同時に今の悲しい状況も改まることを期待。 ■心を消たず 女房たちは姫君たちが匂宮や薫と結婚して、自分たちの生活もよくなることを期待している。 ■向ひの山 阿闍梨の寺のある宇治山。 ■人目の絶えはつる 八の宮の生存中も人目は少なかったが八の宮が亡くなった今、すっかり人目がは絶えてしまった。 ■何とも見ざりし山がつ 「いとど、山重なれる御住み処に尋ね参る人なし。あやしき下衆など、田舎びたる山がつどものみ、まれに馴れ参り仕うまつる」(【橋姫 05】)。 ■このごろの事 この季節(冬)に恒例のこと。 ■年ごろならひはべりにける… 寺で使う炭の一部を八の宮邸に届けていた。 ■綿衣 綿の入った衣。炭を贈られたお礼にこれを贈っていたのである。 ■泣く泣く 山寺に帰っていく人々を見て、父宮のことを思い出して泣く。 ■御髪 姫君たちは八の宮の臨終に立ち会えなかった。八の宮が髪をおろしたかどうかも知らない。 ■さる方にておはしまさましかば たとえ出家剃髪の身でもご健在であれば。 ■君なくて… 「君」は八の宮。「岩のかけ道」は断崖に棚をかけて通れるようにした桟道。「松」に「待つ」をかける。 ■おくやまの… 「松葉につもる雪」は短い間で消えてしまうが、それでもしばらくは消えないし、消えてもいつかまた雪はつもる。父宮をそのように考えるようにするという歌。 ■うらやましくも… 雪は消えてもまた積もる。しかし父宮はもう戻らない。だから雪を「うらやましく」思うのである。

朗読・解説:左大臣光永