【椎本 13】薫、姫君に匂宮の恋情を伝える やがて自身の恋情をも打ち明ける
中納言の君、新しき年はふとしもえとぶらひきこえざらん、と思しておはしたり。雪もいとところせきに、よろしき人だに見えずなりにたるを、なのめならぬけはひして軽《かろ》らかにものしたまへる心ばへの、浅うはあらず思ひ知られたまへば、例よりは見入れて、御座《おまし》などひきつくろはせたまふ。墨染ならぬ御|火桶《ひをけ》、物の奥なる取り出でて、塵《ちり》かき払ひなどするにつけても、宮の待ちよろこびたまひし御気色などを人々も聞こえ出づ。対面《たいめん》したまふことをば、つつましくのみ思《おぼ》いたれど、思ひ隈《くま》なきやうに人の思ひたまへれば、いかがはせむとて聞こえたまふ。うちとくとはなけれど、さきざきよりはすこし言の葉つづけてものなどのたまへるさま、いとめやすく、心恥づかしげなり。かやうにてのみは、え過ぐしはつまじ、と思ひなりたまふも、いとうちつけなる心かな、なほ移りぬべき世なりけり、と思ひゐたまへり。
「宮のいとあやしく恨みたまふことのはべるかな。あはれなりし御|一言《ひとこと》を承りおきしさまなど、事のついでにもや漏らしきこえたりけん、また、いと隈なき御心の性《さが》にて、推しはかりたまふにやはべらん、ここになむ、ともかくも聞こえさせなすべきと頼むを、つれなき御気色なるは、もて損《そこな》ひきこゆるぞ、とたびたび怨《ゑん》じたまへば、心より外《ほか》なることと思ひたまふれど、里のしるべ、いとこよなうもえあらがひきこえぬを。何かは、いとさしももてなしきこえたまはむ。すいたまへるやうに人は聞こえなすべかめれど、心の底あやしく深うおはする宮なり。なほざり言《ごと》などのたまふわたりの、心|軽《かろ》うてなびきやすなるなどを、めづらしからぬものに思ひおとしたまふにやとなむ、聞くこともはべる。何ごとにもあるに従ひて、心をたつる方《かた》もなく、おどけたる人こそ、ただ世のもてなしに従ひて、とあるもかかるもなのめに見なし、すこし心に違《たが》ふふしあるにも、いかがはせむ、さるべきぞなども、思ひなすべかめれば、なかなか心長き例《ためし》になるやうもあり。崩れそめては、龍田《たつた》の川の濁る名をもけがし、言ふかひなくなごりなきやうなる事などもみなうちまじるめれ。心の深うしみたまふべかめる御心ざまにかなひ、ことに背くこと多くなどものしたまはざらむをば、さらに、軽々《かろがろ》しく、はじめをはり違《たが》ふやうなる事など、見せたまふまじき気色になむ。人の見たてまつり知らぬことを、いとよう見きこえたるを、もし似つかはしく、さもやと思し寄らば、そのもてなしなどは、心の限り尽くして仕うまつりなむかし。御|中道《なかみち》のほど、乱り脚《あし》こそ痛からめ」と、いとまめやかにて言ひつづけたまへば、わが御みづからの事とは思しもかけず、人の親めきて答《いら》へんかし、と思しめぐらしたまへど、なほ言ふべき言の葉もなき心地して、「いかにとかは。かけかけしげにのたまひつづくるに、なかなか聞こえんこともおぼえはべらで」とうち笑ひたまへるも、おいらかなるものからけはひをかしう聞こゆ。
「必ず御みづから聞こしめし負ふべき事とも思ひ
現代語訳
中納言の君(薫)は、新年は急に思い立って宇治におうかがいするわけにはいくまい、とお思いになっておられた。それで年の暮においでになった。雪もそこらじゅうに降り積もっている中、ふつうの人でさえも姿が見えなくなっているのに、中納言の君(薫)が、並々ならぬご立派なご様子で、着やすく宇治まで訪ねていらしたお心遣いが、浅からぬものと大君はおわかりになるので、いつもより心をこめて、敷物などをおととのえになる。墨染ではない火桶で、物の奥にしまってあったのを取り出して、塵を払いなどするにつけても、宮(八の宮)がご生前、中納言の君(薫)を喜んで待ち迎えていらしたご様子などを女房たちもお話に出して申し上げる。大君は、中納言の君(薫)と対面なさることを、気後れにばかりお思いになるが、気遣いが足りず冷淡であると中納言殿がお思いになられたらどうしようと、やはり向かい合ってお話申し上げる。大君が、前々よりはすこし言葉をつづけてものをおっしゃったりなさる様子は、とても好ましく、奥ゆかしい風情である。中納言(薫)は、「こうした関係のままでいるわけにはいくまい」と思うようになられたにつけても、(薫)「まったくあてにならない人の心であるよ」と、やはりこの人(大君)を好きになるのは当然そうなるべき運命だったのかと、思っていらっしゃる。
(薫)「宮(匂宮)が、ひどく妙な話ですが、恨み言をおっしゃっていることがございまして。私が宮(八の宮)から心にしみるご遺言を言いおかれましたことなどを、何かのついでにでも私から宮にお漏らし申し上げたことでもあったのでしょうか、あるいは宮(匂宮)は、もともととても勘のよい御気性ですから、みずからご推察しておっしゃるのかもしれませんが、私に、とにもかくにも取次を頼んでいるのに、姫君たちがつれないご様子なのは、私の取次方がまずいせいだと、たびたび恨んでいらっしゃいますので、心外なことに存じてはおりますが、この里へ宮(匂宮)をご案内することを、そうはっきりとお断り申し上げるわけにもいかないのです。どうして、そうやってひどく宮(匂宮)を疎遠におあしらいになられるのです。宮(匂宮)は好色でいらっしゃるかのように世間の人は噂しているようですが、心の底は不思議に深くていらっしゃいます。宮(匂宮)が、いい加減な色恋めいた言葉などをおっしゃるむきの、軽率で、なびきやすい女などを、つまらないものとして軽蔑なさっているとまで、耳にすることもございます。何ごとにおいても、状況のままに、はっきりした自分の気持ちを立てることもなく、心穏やかに構えている人こそ、ただ世の慣習に従って、どんな相手であろうとそれなりの者と思うようにして、すこし気に入らないところがあっても、それが何だというのか、前世からの定めだったのだろうなどと、思い込んでいれば、かえって夫婦仲が長続きする例ような例もあります。しかしいったん夫婦仲が崩れはじめると、龍田川の水が濁るように評判をけがして、お話にならないほどに、すっかり夫婦仲がだめになってしまうような例なども、いったいに、まじってくるようです。宮(匂宮)は物事に深くご執心されるようで、そういうお気持ちにかなって、べつだん食い違うことが多くなどはない相手を、まったく、軽々しく、心変わりするような事などは、なさりそうもないご様子でございます。私は、他の人はご存知ではない宮(匂宮)の美点を、とてもよく見聞きしているのですが、もし宮(匂宮)が貴女方姉妹にとって、ふさわしく、そうなってもよいとお考えでしたら、その取次ぎなどは、私が心の限りを尽くしてお世話申し上げましょう。京と宇治の間の道中を、足があちこち痛くなるほどまでに奔走いたしましょう」と、たいそう誠実に言いつづけなさるので、大君は、ご自身についてのこととは思いもおかけにならず、人の親(中の君の保護者)のように答えなくては、とお思いめぐらしなさるが、やはり言うべき言葉もない気がして、(大君)「なんとお答えしてよろしいやら。お心をおかけくださっているようにお話をなさるので、かえって御返事申し上げようもございませんで」とお笑いになるのも、おおらかではあるがその気配は風情があると感じられる。
「必ずしも御自身のこととしてお考えになるべき事とも存じません。
語句
■新しき年は… 新年は公式な行事が多く忙しいので、今年のうちに宇治を訪れておこうと考え実行する。 ■なのめならぬけはひ 薫が、並々ならず立派なようすで。 ■墨染ならぬ 今は喪中なので火桶も墨染のものを使っているが、それでは客人に失礼なので墨染でない通常の火桶をひっぱり出して使う。 ■対面 女房などを介さず、直接向かい合って話すこと。ただし御簾は隔てている。 ■思ひ隈なきやうに人の思ひたまへれば せったく宇治まで訪ねてきた誠意を汲まず冷淡であるように薫が思ったら。「人」は薫。 ■さきざきよりは 直接会話したのは前回がはじめてだが、それ以前の文のやり取りや女房を介しての対話も含むのだろう。 ■かやうにてのみは 薫が大君と、もっと親しくなりたい、結婚したいという気持ち。 ■いとうちつけなる心 変わりやすい、当てにならない人の心よ、という薫の自評。 ■なほ移りぬべき世 大君を好きになるのは前世から定められた運命だったのかの意。「心移りぬべし」(【橋姫 10】)、「なほ思ひ離れがたき世なりけり」(【橋姫 15】)からさらに執着がましている。 ■恨みたまふ 匂宮は姫君たちに熱心に手紙を送るが、姫君たちは軽くあしらっていた(【椎本 09】)。そのことで匂宮は薫に恨み言を言っているらしい。 ■あはれなりし御一言 八の宮が薫に姫君たちの後見を遺言したこと(【椎本 04】)。 ■いと隈なき御心の性 ふつうは気づかないことまで気づく性質。暗に好色であることを言う。 ■聞こえさせなすべき 薫が匂宮のことを姫君にうまくとりついでくれるように。 ■もて損ひきこゆるぞ 薫が匂宮のことを姫君に取り次ぐ、そのやり方がまずいと。 ■里のしるべ 「海人《あま》のすむ里のしるべにあらなくにうらみむとのみ人の言ふらむ」(古今・恋四 小町)による。匂宮に恨まれているから案内せざるを得ないの意。 ■さしももてなしきこえ… 「さ」は姫君たちの匂宮に対する冷淡な態度。 ■何ごとも 以下、「うちまじるめれ」まで世間の一般的な男の例を引く。どんな相手であっても「一緒になる運命だったのだ」と自分を言いくるめて結婚する。それでうまく行く例もあるが、いったん夫婦仲が破綻するとぶざまに崩れてしまう例も多い。匂宮はそのようではなく理想にはうるさいが、いざ理想にかなった相手は一生大事にするだろうと。 ■おどけたる人 穏やかに構えている人。 ■龍田の川の濁る名をもけがし 「神なびのみむろの岸やくずるらむ龍田の川の水の濁れる」(拾遺・物名 高向草春)による。 ■心の深うしみたまふべかめる 匂宮は好みにはうるさいが好みにあった相手は一生大事にするという論。 ■はじめをはり違ふやうなる事 心変わりして愛情が冷めてしまう事。 ■人の見たてまつり知らぬことを 薫は匂宮とは幼いころからの付き合いなので、その美点を知り尽くしていることを強調。 ■そのもてなしなどは 姫君と匂宮との間を取り持とうと提案。その実、自分が大君に接近しようという意図がある。 ■御中道 京と宇治の間の道。仲人としてそれを何度も往復することになると想定。 ■乱り足こそ痛からめ 仲人として、あちこち足が痛くなるほど奔走しましょうの意。 ■わが御みづからの事とは… 大君はこれまでの話は中の君の話だという想定できいていた。 ■人の親めきて 中の君の保護者として責任ある答え方をしなければと身構える。 ■かけかけしげに 話の途中から求婚に転じてきたため。 ■御みづから… 匂宮の意向が必ずしも大君にあると考えることはないという。