【椎本 04】薫、八の宮から姫君たちの後見をたのまれる

宰相中将、その秋中納言になりたまひぬ。いとどにほひまさりたまふ、世の営みにそへても、思すこと多かり。いかなる事、といぶせく思ひわたりし年ごろよりも、心苦しうて過ぎたまひにけむいにしへざまの思ひやらるるに、罪|軽《かろ》くなりたまふばかり、行ひもせまほしくなむ。かの老人《おいびと》をばあはれなるものに思ひおきて、いちじるきさまならず、とかく紛らはしつつ、心寄せとぶらひたまふ。

宇治に参うでで久しうなりにけるを、思ひ出でて参りたまへり。七月ばかりになりにけり。都にはまだ入りたたぬ秋のけしきを、音羽《おとは》の山近く、風の音もいと冷やかに、槙《まき》の山辺もわづかに色づきて、なほ、たづね来たるに、をかしうめづらしうおぼゆるを、宮はまいて、例よりも待ちよろこびきこえたまひて、このたびは心細げなる物語いと多く申したまふ。「亡からむ後、この君たちをさるべきもののたよりにもとぶらひ、思ひ棄てぬものに数まへたまへ」などおもむけつつ聞こえたまへば、「一言《ひとひと》にても承りおきてしかば、さらに思ひたまへ怠るまじくなん。世の中に心をとどめじとはぶきはべる身にて、何ごとも頼もしげなき生ひ先の少なさになむはべれど、さる方にてもめぐらひはべらむ限りは、変らぬ心ざしを御覧じ知らせんとなむ、思ひたまふる」など聞こえたまへば、うれしと思いたり。

夜深き月の明きらかにさし出でて、山の端《は》近き心地するに、念誦《ねんず》いとあはれにしたまひて、昔物語したまふ。「このごろの世はいかがなりにたらむ。宮中《くぢゆう》などにて、かやうなる秋の月に、御前《おまへ》の御遊びのをりにさぶらひあひたる中に、物の上手とおぼしきかぎり、とりどりにうち合はせたる拍子《ひやうし》など、ことごとしきよりも、よしありとおぼえある女御、更衣の御|局々《つぼね》の、おのがじしはいどましく思ひ、うはべの情《なさけ》をかはすべかめるに、夜深きほどの人の気《け》しめりぬるに、心やましく掻い調べほのかにほころび出でたる物の音《ね》など聞きどころあるが多かりしかな。何ごとにも、女はもてあそびのつまにしつべくものはかなきものから、人の心を動かすくさはひになむあるべき。されば罪の深きにやあらん。子の道の闇を思ひやるにも、男《をのこ》はいとしも親の心を乱さずやあらむ。女は限りありて、言ふかひなき方《かた》に思ひ棄つべきにも、なほいと心苦しかるべき」など、おほかたの事につけてのたまへる、いかがさ思さざらむ、と心苦しく思ひやらるる御心の中《うち》なり。

「すべて、まことに、しか思ひたまへ棄てたるけにやはべらむ、みづからの事にては、いかにもいかにも深う思ひ知る方《かた》のはべらぬを、げにはかなきことなれど、声にめづる心こそ背きがたきことにはべりけれ。さかしう聖だつ迦葉《かせふ》も、さればや、起ちて舞ひはべりけむ」など聞こえて、飽かず一声《ひとこゑ》聞きし御|琴《こと》の音《ね》を切《せち》にゆかしがりたまへば、うとうとしからぬはじめにもとや思すらむ、御みづからあなたに入りたまひて、切《せち》にそそのかしきこえたまふ。箏《さう》の琴《こと》をぞいとほのかに掻き鳴らしてやみたまひぬる。いとど、人のけはひも絶えてあはれなる空のけしき、所のさまに、わざとなき御遊びの心に入りてをかしうおぼゆれど、うちとけてもいかでかは弾《ひ》き合はせたまはむ。

「おのづから、かばかりならしそめつる残りは、世籠《よごも》れるどちに譲りきこえてん」とて、宮は仏の御前に入りたまひぬ。

「われ亡くて草の庵は荒れぬともこのひとことはかれじとそ思ふ

かかる対面もこのたびや限りならむともの心細きに、忍びかねて、かたくなしきひが言《こと》多くもなりぬるかな」とて、うち泣きたまふ。客人《まらうと》、

「いかならむ世にかかれせむ長きよのちぎり結べる草の庵は

相撲《ますひ》など、公事《おほやけごと》ども紛れはべるころ過ぎてさぶらはむ」など聞こえたまふ。

現代語訳

宰相中将(薫)は、その秋中納言になられた。ますますごりっぱになられる。お役目に加えて、物思いなさることが多いのである。どういう事だろうかと、ご自分の出生について思い悩み続けていらした長い年月よりも、父君(柏木)が思い悩んだ末にお亡くなりになったという昔のことが自然と思いやられるので、その父君の罪が軽くなられる程度には、仏事の行いもしたいとお思いになる。あの老女房(弁)を愛しいものと心にとどめて、はっきりとした形ではないが、あれこれ口実を作っては、心を寄せお見舞いをなさる。

以前宇治に参ってから久しく時がたったが、お思い出されて、またもお参りになった。七月ごろになってしまった。都にはまだきざしの見えない秋のけはいを、音羽の山の近くは、風の音もとても冷ややかに、槇の尾山の辺もわづかに紅葉して、やはり、訪ね来てみると、宇治は風情があり珍しく思われるのだが、宮(八の宮)はまして、いつもよりも待ちうけ喜び申し上げられて、今回は心細いような話をとても多くお話申し上げなさる。

(八の宮)「私が亡くなった後、この姫君たちをしかるべき縁者として見舞い、お見棄てにならぬよう人数に入れてお考えください」などそちらに話を向けつつ申し上げられると、(薫)「一言なりとも過去に承ってございましたので、まったく怠るつもりもございません。世の中に心をとどめまいと簡素な立場にしております身ですから、何ごとも頼りなく将来のない私でございますが、そういう境遇ではあってもご縁がございます限りは、変わらぬ真心を御覧に入れようと、思っております」など申し上げられると、八の宮は嬉しくお思いになる。

まだ夜が深い時分に月が明るくさし出て、山の端近くに隠れようとしているようすなので、宮(八の宮)は念仏読経をたいそうしみじみとなさって、昔の思い出話をなさる。(八の宮)「このごろの世間はどうなっているのでしょうか。宮中などで、こうした秋の月に、帝の御前の管弦の遊びの折にお仕え申し上げている中に、楽器の名人とおぼしき方ばかりが、一人一人が合奏なさる拍子などという物々しいものよりも、嗜みがあると評判されている女御更衣の御方々が、それぞれが競い合いながら、表面は情け深く接してるのでしょうが、夜が深い時分に人の気配が静まった時に、情欲にまかせて掻き調べてほんの少し漏れ出た楽器の調べなどにこそ聞きどころのあるものが多うございました。何ごとにつけても女は浮ついたことのきっかけになるような、はかないものではございますが、人の心を動かす種ではございましょう。だからこそ女は罪が深いのでしょう。子を思う親の心の闇を考えましても、男子はそれほど親の心を乱さないものです。女は決まった身の片付けようというものがあって、つまらない相手に嫁いでしまえば諦めるべきものですが、それでもやはり親としては、ひどく心苦しいにちがいありません」など、一般論の形でおっしゃるのが、どうしてそうお思いにならないことがあろうか、と心苦しく思いやられる八の宮の御心の内なのだ。

(薫)「すべて、まとに、このように現世のことを諦めてしまっているからでございましょうか、私自身についていえば、どうにもこうにも、深く会得した分野は何もございませんが、本当に些細なことではございますが、音楽を愛好する気持ちこそは背きがたいことでございます。賢く聖めいた迦葉尊者《かしょうそんじゃ》も、音楽を愛好するからこそ、立ち上がって舞ったのでございましょう」など申し上げて、中納言(薫)は、一声聞いて物足りなく思っている御琴の音を、熱心にもう一度聞きたいとご所望なさるので、宮(八の宮)は、中納言(薫)と姫君が親しくなるきっかけにでもとお思いになるのだろう、御みづからあちらの部屋にお入りになられて、姫君たちに演奏するよう、しきりにおすすめになる。姫君は、箏の琴をとても控えめに掻き鳴らしておやめになられた。いよいよ人の気配も絶えてしみじみと情感ゆたかな空のけしき、場所のようすに、さりげない演奏が心にしみて風情があるとお思いになるが、姫君は打ち解けてはどうして合奏なさるだろうか。なさらない。

(八の宮)「こうしてお引き合わせいたしましたのですから、この先は、しぜんと、将来あるお若い御方々にお任せ申し上げましょう」とおっしゃって、宮(八の宮)は仏の御前にお入りになられた。

(八の宮)「われ亡くて……

(私が亡くなって草の庵が荒れしまっても、今日あなたがお約束してくださって一言だけは、枯れるまいと思います)

こうした対面も今回が最後であろうかという心細さに、我慢できずに、見苦しい愚痴が多くもなってしまいましたことですよ」とおっしゃって、お泣きになる。客人(薫)は、

(薫)「いかならむ……

(どんな世になってもお見棄てすることはございませんよ。長い夜に貴方と末長い約束を結んだ、この草の庵を)

相撲の節会など、多くの公務に忙しい時期を過ぎてから、また宇治に参りましょう」などと申し上げられる。

語句

■中将になりたまひぬ →【竹河 19】。 ■思す事 わが身の出生にまつわること。 ■心苦しうて過ぎたまひにけむいにしへざま 父柏木が亡くなった当時のこと。 ■罪 父柏木の罪障。 ■かの老人 弁。薫の出生の秘密を明かした(【橋姫 17】)。 ■都にはまだ入りたたぬ 郊外がまず秋の景色になり都の中にまではまだそれが及んでいないこと。 ■音羽の山 京都市東山区北谷町。山科の東。逢坂山の南。醍醐山の北。 ■槇の山辺 「槇の尾山」のことで宇治川のほとりの山(【橋姫 14】)。 ■をかしうめづらしう 都人たる薫の目には秋の宇治の景色が「をかしうめづらしう」見える。 ■心細げなる物語 八の宮は死の近いことを感じている。 ■おもむけつつ その方向に話を向かわせつつ。八の宮としては薫が姫君たちの夫になってほしい。しかし薫は仏法の上の友であって正面から夫になってほしいと依頼することはできないのである。 ■一言にても →【橋姫 15】。薫は前にも姫君たちの後見人を引き受ける旨を約束している(【橋姫 16】)。 ■はぶきはべる身 簡素にしている身。暗に結婚する気はないという。いずれは出家するつもりであるため。 ■さる方にても 「世の中に心をとどめじとはぶきはべる身」であっても。その身なりに。 ■夜深き月 夜が更けて暁にはまだ遠い時分の月。 ■このごろの世 都の貴族たちの生活。 ■しめりぬる 湿りぬる。人気が静まること。 ■心やましく 日中のように人目を評価を気にしてではなく、情感にまかせて楽器を奏でるときに聴きごたえのある音が出てくるの意。 ■もてあそびのつま 宮中の女のことを例として言いながら、その実わが娘たちのことを言う。 ■罪の深きにやあらん 女ははかなげでありながら人の心をかき乱すから。 ■子の道の闇 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■女は限りありて 女はいくら親が心配したところで結婚相手によって大方将来が決まってしまう。 ■言ふかいなき方に つまらない相手と結婚した場合を想定。 ■おほかたの事につけれて 源氏物語のクドクド論法の特徴として、一般論を述べながらその実特定の個人のことを語っている場合がある。この場面では「宮中の女」という一般論を語りながらその実八の宮の姫君たちのことを語っているのである。しかも晩年の八の宮の焦燥を反映して文体がねじれにねじれている。非常に読みづらくわかりづらく解読に骨が折れる。 ■しか思ひたまへ棄てたる… 前に薫は「世の中に心をとどめじとはぶきはべる身にて、…」といっていた。それを受けて「しか」という。 ■声にめづる心 音楽を愛好する心。 ■迦葉 釈迦の十大弟子の一人迦葉尊者。摩訶迦葉(まかかしょう)。香山大樹緊那羅が仏前で瑠璃琴を弾き、八万四千音楽を奏したとき、威儀を忘れて起って舞ったという(『大樹緊那羅経』)。緊那羅は八部衆の一。音楽の神々。八部衆は八つの種族。通常、天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆。 ■飽かず一声聞きし御琴の音 昨年の秋、八の宮が留守のときに聞いた姫君の奏でる琴の音(【橋姫 09】)。 ■うとうとしからぬはじめにもと 薫と姫君が親しくなるきっかけにもなればと。 ■箏の琴 姉君に琵琶、妹君に箏を教えたとある(【橋姫 03】)。ここでは特に中の君と限定する必要はないか。 ■ならしそめつる 薫と姫君たちが近づきになるきっかけを作ったことをいう。 ■世籠れるどち 将来の長い若者たち。薫と姉妹のこと。 ■われ亡くて… 「草の庵」は八の宮邸。「このひとこと」は薫が姫君たちの後見をすると約束した言葉。「かれじ」は「離れじ」と草の縁語の「枯れじ」をかける。 ■かかる対面もこのたびや… 八の宮は自分の命がもう長くないことを自覚している。 ■かたくなしき 法の友である薫に対しては見苦しい態度をみせたことを反省していう。 ■いかならむ… 八の宮の歌の「離(か)る」「草の庵」などの語を受けて応える。「長きよ」の「よ」は「夜」と「世」をかける。「(ちぎり)結べる」は「草の 庵」の縁語。 ■相撲 相撲の節会。七月下旬に行われる宮中行事。紫宸殿か神泉苑で行われた。相撲人を宮中で対戦させ天皇が御覧になり、その後宴が供された。

朗読・解説:左大臣光永