【椎本 05】薫、姫君と語らいわが心を見出す 匂宮、姫君に執心

こなたにて、かの問はず語りの古人《ふるびと》召し出でて、残り多かる物語などせさせたまふ。入《い》り方《がた》の月は隈なくさし入りて、透影《すきかげ》なまめかしきに、君たちも奥まりておはす。世の常の懸想びてはあらず、心深う物語のどやかに聞こえつつものしたまへば、さるべき御|答《いら》へなど聞こえたまふ。三の宮いとゆかしう思いたるものを、と心の中《うち》には思ひ出でつつ、わが心ながら、なほ人には異なりかし、さばかり、御心もて、ゆるいたまふことのさしも急がれぬよ、もて離れて、はた、あるまじきこととはさすがにおぼえず、かやうにてものをも聞こえかはし、をりふしの花紅葉につけて、あはれをも情《なさけ》をも通はすに、憎からずものしたまふあたりなれば、宿世ことにて、外《ほか》ざまにもなりたまはむは、さすがに口惜しかるべう、領《りやう》じたる心地しけり。

まだ夜深きほどに帰りたまひぬ。心細く残りなげに思《おぼ》いたりし御気色を、思ひ出できこえたまひつつ、さわがしきほど過ぐして参でむ、と思す。兵部卿宮も、この秋のほどに紅葉見におはしまさむと、さるべきついでを思しめぐらす。御文は絶えず奉りたまふ。女は、まめやかに思すらんとも思ひたまはねば、わづらはしくもあらで、はかなきさまにもてなしつつ、をりをりに聞こえかはしたまふ。

現代語訳

中納言(薫)は、こちら(八の宮邸)で、例の問わず語りの古女房(弁)を召し出して、「続きが多い」といった、その物語などをおさせになる。山の端に沈む直前の月が隈なくさしこんで、御簾を通して透けて見える中納言(薫)の姿が優美であるので、姫君たちも部屋の奥にいらっしゃる。中納言(薫)が、世間並の色恋じみた感じではなく、心深くゆったりとお話をなさりつつ御声がけなさると、姫君はしかるべき御答えなど申し上げられる。「三の宮(匂宮)がとても姫君に執心していらしたのに」と心の中には思い出しつつ、わがことながら、やはり私は人とは違っているのだな。あのように、宮(八の宮)が御心ゆるして姫君の将来を託されたことであるが、それほど急ぐことではないと、距離を置くのだが、また、まったくありえない話とはやはり思われず、このようにしてお互いに話をして、折節の花や紅葉につけて、もののあはれをも情をも通はせるにつけては、憎からずお思いになる御方(姫君)なので、もし前世からの縁がなくて、他の男性と結ばれでもなさるなら、やはり残念であろうと、中納言(薫)は、姫君をすでに手に入れているような気持がするのだった。

まだ夜が深いころに中納言(薫)はお帰りになった。中納言(薫)は、宮(八の宮)が、心細く人生の残りが少ないようにお思いになっておられたご様子を、お思い出し申されつつ、忙しい時期が過ぎてからふたたび参上しよう、とお思いになる。兵部卿宮(匂宮)も、今年の秋のころに紅葉を見にいらっしゃるだろうと、適当な機会をお考え巡らしていらっしゃる。お手紙は絶えず差し上げなさる。女(大君と中の君)は、宮(匂宮)が本心から自分たちに執心であるとお考えともお思いにならないので、面倒がりもせず、適当な具合にあしらっては、折々にお手紙をお交わしになる。

語句

■かの問はず語りの古人 弁(【橋姫 13】)。 ■残り多かる物語 前に「この昔物語は尽きすべくなんあらぬ」と話の続きを匂わせていた(【橋姫 17】)。 ■入り方の月 前に「山の端近き心地する」(【椎本 04】)とあった。 ■透影 月明かりが低く差し込んでくるので御簾の外にいる薫の姿が御簾を通して透けて見える。 姫君のうちおそらく大君が薫の問いかけにふさわしく応ずる。 ■三の宮いとゆかしう 匂宮の姫君に執心である(【橋姫 15】)。 ■わが心ながら 薫は匂宮が姫君に執心しているのに対し自分がまだそこまでの心になれないことを我ながら不思議に思う。 ■ゆるたいまふこと 八の宮が姫君の後見を薫に頼んだということは結婚を認めたも同然。 ■外ざまにもなりたまはむ 姫君が他の男の妻になる場合を想定。 ■さわがしきほど過ぐして 前に「相撲など、…紛れはべるころ過ぎて」とあった。 ■この秋のほど 春の「中宿り」(【椎本 02】)には八宮邸を訪問できなかった。今度こそはという思いがある。

朗読・解説:左大臣光永