【橋姫 17】弁の昔語り 薫、柏木の遺書を手渡される

さて、暁方《あかつきがた》の宮の御行ひしたまふほどに、かの老人《おいびと》召し出でてあひたまへり。姫君の御後見にてさぶらはせたまふ、弁の君とぞいひける。年は六十にすこし足らぬほどなれど、みやびかにゆゑあるけはひして、ものなど聞こゆ。故権大納言の君の、世とともにものを思ひつつ、病づきはかなくなりたまひにしありさまを聞こえ出でて泣くこと限りなし。「げに、よその人の上《うへ》と聞かむだにあはれなるべき古事《ふるごと》どもを、まして年ごろおぼつかなくゆかしう、いかなりけんことのはじめにかと、仏にもこのことをさだかに知らせたまへ、と念じつる験《しるし》にや、かく夢のやうにあはれなる昔語《むかしがたり》をおぼえぬついでに聞きつけつらむ」と思すに、涙とどめがたかりけり。

「さても、かく、その世の心知りたる人も残りたまへりけるを。めづらかにも恥づかしうも、おぼゆることの筋に、なほ、かく言ひ伝ふるたぐひやまたもあらむ。年ごろ、かけても聞きおよばざりける」とのたまへば、「小侍従と弁と放ちて、また知る人はべらじ。一言《ひとこと》にても、また、他人《ことひと》にうちまねびはべらず。かくものはかなく、数ならぬ身のほどにはべれど、夜昼《よるひる》かの御かげにつきたてまつりてはべりしかば、おのづからもののけしきをも見たてまつりそめしに、御心よりあまりて思しける時々、ただ二人《ふたり》の中になん、たまさかの御消息の通ひもはべりし。かたはらいたければ、くはしく聞こえさせず。今はのとぢめになりたまひて、いささか、のたまひおくことのはべりしを、かかる身には置き所なく、いぶせく思うたまへわたりつつ、いかにしてかは聞こしめし伝ふべきと、はかばかしからぬ念誦《ねんず》のついでにも思うたまへつるを、仏は世におはしましけりとなん思うたまへ知りぬる。御覧ぜさすべき物もはべり。今は、何かは、焼きも棄てはべりなむ、かく朝夕の消《き》えを知らぬ身の、うち棄てはべりなば、落ち散るやうもこそと、いとうしろめたく思うたまふれど、この宮わたりにも、時々ほのめかせたまふを、待ち出でたてまつりてしかば、すこし頼もしく、かかるをりもやと念じはべりつる力出で参うできてなむ。さらに、これは、この世の事にもはべらじ」と、泣く泣くこまかに、生《む》まれたまひけるほどのことも、よくおぼえつつ聞こゆ。

「むなしうなりたまひし騒ぎに、母にはべりし人は、やがて病づきてほども経ず隠れはべりにしかば、いとど思うたまへ沈み、藤衣《ふじごろも》裁《た》ち重ね、悲しきことを思ひたまへしほどに、年ごろよからぬ人の心をつけたりけるが、人をはかりごちて、西の海のはてまでとりもてまかりにしかば、京のことさへ跡絶えて、その人もかしこにて亡せはべりにし後、十年《ととせ》あまりにてなん、あらぬ世の心地してまかり上《のぼ》りたりしを、この宮は、父方《ちちかた》につけて、童より参り通ふゆゑはべりしかば、今は、かう、世にまじらふべきさまにもはべらぬを、冷泉院《れぜいゐん》の女御殿の御方などこそは、昔聞き馴れたてまつりしわたりにて、参り寄るべくはべりしかど、はしたなくおぼえはべりて、えさし出ではべらで、深山《みやま》隠れの朽木になりにてはべるなり。小侍従はいつか亡せはべりにけん。その昔《かみ》の若ざかりと見はべりし人は、数少なくなりはべりにける末の世に、多くの人に後《おく》るる命を、悲しく思ひたまへてこそ、さすがにめぐらひはべれ」など聞こゆるほどに、例の、明けはてぬ。「よし、さらば、この昔物語は尽きすべくなんあらぬ、また、人聞かぬ心やすき所にて聞こえん。侍従といひし人は、ほのかにおぼゆるは、五つ六つばかりなりしほどにや、にはかに胸を病《や》みて亡せにきとなむ聞く。かかる対面《たいめん》なくは、罪重き身にて過ぎぬべかりけること」などのたまふ。

ささやかにおし巻き合はせたる反故《ほぐ》どもの、黴《かび》くさきを袋に縫ひ入れたる取り出でて奉る。「御前《おまへ》にて失はせたまへ。我なほ生くべくもあらずなりにたり、とのたまはせて、この御文をとり集めて賜せたりしかば、小侍従に、またあひ見はべらむついでに、さだかに伝へ参らせむと思ひたまへしを、やがて別れはべりにしも、私事《わたくしごと》には飽かず悲しうなん思ひたまふる」と聞こゆ。つれなくて、これは隠《かく》いたまひつ。かやうの古人《ふるびと》は、問はず語りにや、あやしきことの例《ためし》に言ひ出づらむ、と苦しく思せど、かへすがへすも散らさぬよしを誓ひつる、さもや、とまた思ひ乱れたまふ。

御|粥《かゆ》、強飯《こはいひ》などまゐりたまふ。昨日は暇日《いとまび》なりしを、今日は内裏《うち》の御|物忌《ものいみ》もあきぬらん、院の女一の宮、悩みたまふ御とぶらひに必ず参るべければ、かたがた暇《いとま》なくはべるを、またこのごろ過ぐして、山の紅葉《もみぢ》散らぬ前《さき》に参るべきよし聞こえたまふ。「かく、しばしば立ち寄らせたまふ光に、山の蔭も、すこしもの明《あ》きらむる心地してなん」など、よろこびきこえたまふ。

現代語訳

さて、宮(八の宮)が、暁方のお勤めをなさっている間に、中将(薫)は、あの老人(弁)を召し出してお会いになる。姫君の御後見としてお仕えしていらっしゃる、弁の君という女房であった。年は六十にすこし足らぬほどであるが、都風にはなやかで気品のある雰囲気で、ものなど申し上げる。故権大納言の君(柏木)が、たえず物思いに沈みつつ、病にかかって亡くなられた様子を話にお出し申し上げて、限りもなく泣く。(薫)「実際、よその人の身の上と聞くのさえしみじみと胸打たれるだろう数々の昔話を、ましてはっきりしないこととして気になって、どういうそもそもの始まりだったのだろうかと、仏にもこのことをはっきりとお知らせくださいと祈った成果だろうか、こうして夢のように心打たれる昔話を、思わぬ機会に聞くことになろうとは」とお思いになるにつけ、涙をとどめることがおできにならないのだった。

(薫)「それにしても、こうして貴女のように、当時の事情を知っている人も、残っていらしたのですね。珍しいこととも、恥ずかしいこととも思われることの筋として、やはり、貴女さまのように言い伝える人などもほかにあるのでしょうか。長年、まったく聞き及ぶこともございませんでした」とおっしゃると、(弁)「小侍従と弁以外には、ほかに知る人はございません。一言も他人には話してはおりません。私はこうして頼りなく、取るに足らない身分でございますが、夜昼かの御方(柏木)の御かげにお付き添い申し上げてございましたので、自然と、ことの次第をはじめから拝見しておりましたが、かの御方(柏木)のお気持ちがあまってお思いになっていた時々、ただ二人(弁の母と小侍従)の間だけで、時折はお手紙を通わせることもございました。畏れ多いことなので、詳しくは申し上げません。ご臨終の時におなりになって、少し遺言されることがございましたが、私のような賤しい身では居所がなく、ずっと気が滅入る思いをして過ごしつつ、どうやって貴方さま(薫)にお伝えし申し上げることができようかと、頼りない念誦のついでにも思っておりましたが、やはり仏は世にいらっしゃったのだと、思い知りました。ご覧に入れなければならない物もございます。今は、どうとでもなれ、焼き棄てまおうか、こうして朝夕いつ消えてしまうかわからない身で、これを放置しておいたら、外に漏れて世間の人の目に入ることもあるだろうかと、ひどく気がかりに思っておりましたが、この宮のお住まいにも、時々ちらりと貴方さまの御姿を拝することがございましたので、お待ち申し上げるようになりましたので、すこし頼もしい気持ちになり、こうした折もないだろうかと祈っておりましたはりあい力が出て参りまして。まったく、これは、この世のことでもない、前世からの因縁でございましょう」と、泣く泣くこまかに、中将(薫)がお生まれになった時のことも、よくおぼえていてはお話し申し上げる。

(弁)「殿(柏木)がお亡くなりになられた時のさわぎに、弁の母でございました人は、そのまま病の床についてほどなくお隠れになりましたので、いよいよ私はふさぎ込んで、喪服をたてつづけに着て、悲しいことを思っておりました時に、長年よくない男が私に思いを寄せていたのですが、その男が私をだまして、西の海のはてまで連れ去ってしまいましたので、あなたさま(薫)のことはもとより、京の消息までも途絶えてしまって、その男もかの地で亡くなりましてから、十年あまりで、別世界にやってくるような気持ちで京に上りましたのを、この宮(八の宮)は、父方の縁で、私は子供のころから参り通う理由がございましたので、今は、このように、世間と交際できるような身の上でもございませんから、冷泉院の女御殿の御方(弘徽殿女御)などこそは、昔よくお噂をうかがっていたところなので、参って身を寄せるべきだったのですが、それも窮屈に思いまして、出しゃばることもできずに、山深く隠れて朽ち果てる木のようになったのでございます。小侍従はいつ亡くなったのでしょうか。その昔に若い盛りと見ました人は、数少なくなりました末の世に、多くの人に先立たれて生残っております命を、悲しく思いながらも、それでもやはり生き続けているのでございます」など申し上げるうちに、例によって、すっかり夜が明けてしまった。(薫)「よし。それならば、この昔物語は終わりそうもないので、また、人が聞いていない安心できる所でうかがいましょう。侍従といった人は、かすかにおぼえているのは、私が五つ六つぐらいであった時でしょうか、急に胸を病んで亡くなったと聞きます。こうした対面がなければ、罪の多い身として過ごしていたことですよ」などとおっしゃる。

弁は、ささやかに巻き合わせている黴くさい数枚の無用の紙を、袋に縫い入れてあるのを取り出して中将(薫)に差し上げる。(弁)「貴方さまがご処分なさいまし。殿(柏木)が、『私はやはりもう生きていられそうもない』とおっしゃって、この御文をとりあつめて私にお預けになられたので、小侍従に、もう一度会った時に、必ずあの御方(女三の宮)のお手元にとどくようにしてもらおう思っておりましたが、そのまま小侍従と別れてしまいましたのは、私としてはどこまでも悲しく思います」と申し上げる。中将(薫)はなにげないそぶりで、この袋をお隠しになった。こうした老人は、聞かれてもいないのに、めったにない語り草として口外するすかもしれない、と心苦しくお思いになるが、「返す返すも他に漏らさず内密にすることを誓ったのだ。そんなことはあるまい」と、また思い乱れていらっしゃる。

中将(薫)は、御粥や強飯《こわいい》などお召し上がりになる。昨日は休日だったが、今日は宮中の御物忌も明けるだろう、冷泉院の女一の宮が、御病気であるお見舞いに必ず参らねばならぬので、あれこれと忙しいので、またこの忙しい時期が過ぎてから、山の紅葉が散る前に参るだろうことを申し上げられる。(八の宮)「こうして、しばしばお立ち寄りにくださるご威光で、この山蔭のすまいも、すこし明るくなる気がいたしますぞ」など、お礼申し上げられる。

語句

■暁方 前の「明け方近くなりぬらん」(【橋姫 16】)から時間が経過。 ■行ひ 六時の勤行の一つで、晨朝。 ■弁の君 →【橋姫 12】。 ■みやびかに 前も「けはひいたう人めきて、よしある声」(【同上】)とあった。 ■泣くこと限りなし 前も弁はいきなり泣いた(【同上】)。 ■げに 弁が泣くのももっともだの意。 ■夢のやうに 薫は前回、弁の話をきいた後「あやしく、夢語、…」と感じた。 ■かく言ひ伝ふるたぐひ 弁の他にも言い伝えている人がいるのではないかと考える。 ■小侍従 前回、弁は「三条宮にはべりし小侍従はかなくなり…」(【同上】)と言っていた。 ■かくものはかなく 柏木や薫に比べて、自分の取るに足らない身の上をいう。 ■もののけしき ぼかして言っているが、柏木と女三の宮の密通のこと。 ■御心よりあまりて… 前も「人に知らせず、御心よりはた余りけることを…」(【同上】)とあった。 ■二人 小侍従と弁の母。この二人が柏木と女三の宮の間の文のやり取りを仲立ちした。 ■今はのとじめになりたまひて 柏木の臨終の時。前も「今は限りになりたまひにし御病の末つ方に召寄せて…」(【同上】)とあった。 ■はかばかしからぬ念誦 自分などが念仏誦経しても往生はおぼつかないという謙遜。 ■仏は世におはしましけり 薫と巡り会えたことを仏のご加護と喜ぶ。 ■御覧ぜさすべき物 柏木の遺品だろう。 ■かく朝夕の消えを知らぬ身の 前も「夜の間のほど知らぬ命」(【同上】)とあった。 ■落ち散る 柏木の遺品が他人の目にふれること。 時々ほのめかしたまふ 薫が時々少し姿を見せることをいう。 ■かかるをり 薫と対面し柏木の遺言を伝える機会。 ■藤衣 喪服。柏木の喪につづけて母の喪に服したことをいう。 ■よからぬ人 弁に言い寄る男があったと。 ■はかりごち 「はかりごと」の動詞化。 ■西の海のはて 大宰府に赴任したか。 ■京のことさへ 薫のことはもちろん京のことまで。 ■この宮は 弁の父は、八の宮の北の方の母方の叔父。 ■この宮は… 弁の父は、八の宮の北の方の母方の叔父。左中弁で没した(【椎本 11】)。 ■冷泉院の女御の御方 冷泉院の女御、弘徽殿女御。柏木の妹。 ■深山隠れの朽木 「春秋に逢へど匂ひもなきものは深山がくれの朽木なるらむ」(貫之集)。 ■例の、明けはてぬ 前も物語しているうちに夜が明けた(【橋姫 12】)。 ■五つ六つばかりなりしほど 薫が五・六歳のころはほぼ幻巻の時期にあたる。 ■罪重き身 実の親を知らないという罪。冷泉院が光源氏を父と知る条(【薄雲 13】)。 ■反故 文字や絵を書いた紙で不要となったもの。 ■伝へ参らせむ 小侍従を介して女三の宮に。 ■つれなくて 薫はあえて素っ気なく、興味のないようにふるまう。 ■かやうの古人は 老人特有の口の軽さを心配。『源氏物語』では老人・女房・僧侶は皆一様に口が軽いので、この心配はもっとも。 ■御粥強飯など 八の宮邸での朝食。 ■院の女一の宮 冷泉院の女一の宮。母は弘徽殿女御。 ■このごろ過ぐして 忙しい時期が過ぎてから。 ■山の紅葉散らぬ前に 今は十月五、六日。紅葉の盛りは短い。 ■光 次の「蔭」「明きらむる」と縁語関係。

朗読・解説:左大臣光永