【竹河 19】薫の成長 蔵人少将、なおも大君に未練
聞こえし人々の、めやすくなり上《のぼ》りつつ、さてもおはせましにかたはならぬぞあまたあるや。その中に、源侍従とて、いと若うひはづなりと見しは宰相《さいしやうの》中将にて、「匂《にほ》ふや薫《かを》るや」と聞きにくくめで騒がるなる、げにいと人柄《ひとがら》重《おも》りかに心にくきを、やむごとなき親王《みこ》たち、大臣の、御むすめを心ざしありてのたまふなるなども聞き入れずなどあるにつけて、「その昔《かみ》は若う心もとなきやうなりしかど、めやすくねびまさりぬべかめり」など言ひおはさうず。
少将なりしも、三位《さむゐの》中将とかいひておぼえあり。「容貌《かたち》さへあらまほしかりきや」など、なま心わろき仕うまつり人は、うち忍びつつ、「うるさげなる御ありさまよりは」など言ふもありて、いとほしうぞ見えし。この中将は、なほ思ひそめし心絶えず、うくもつらくも思ひつつ、左大臣の御むすめを得たれどをさをさ心もとめず、「道のはてなる常陸帯《ひたちおび》の」と、手習にも、言《こと》ぐさにもするは、いかに思ふやうのあるにかありけん。
御息所、安げなき世のむつかしさに、里がちになりたまひにけり。尚侍《かむ》の君、思ひしやうにはあらぬ御ありさまを口惜しと思す。内裏《うち》の君は、なかなかいまめかしう心やすげにもてなして、世にもゆゑあり、心にくきおぼえにてさぶらひたまふ。
現代語訳
大君に求婚申し上げていた人々は、それぞれ立派に昇進しつつ、仮に大君の夫となっていたとしても見苦しくないと思える方々は多くいらしたのだ。その中に、源侍従(薫)といって、たいそう若く弱々しいと見えていた方は、今は宰相中将になって、「匂ふや薫るや」と聞き苦しく愛で騒がれていたという、なるほど実に人柄が重々しく奥ゆかしいのだが、高貴な親王たちや大臣が、御娘を妻にという気持ちがあってそうおっしゃっているということなども聞き入れずなどしているにつけて、(玉蔓)「昔は若く頼りないようだったけれど、今は立派に成長していらっしゃるのだろう」などおっしゃっている。
少将であった人(蔵人少将)も、今は三位中将とかいって世間からの評価も高い。「ご器量だって理想的であったのに」など、なまじ人の悪い女房たちは、気持ちを抑えつつ、「宮中で面倒な人間関係のただ中に置かれるよりはましだったのに」など言う者もあって、大上(玉蔓)はこの三位中将のことを気の毒に思うのだった。この中将は今なお大君に懸想しはじめたころの心が絶えず、残念ともつらいとも思いつつ、左大臣の御むすめを妻にしたが、まったく心にもとめず、「道のはてなる常陸帯の」と、手すさびにも書きちらし、口ずさみにも言ってみるのは、どれほど胸の内に思うことがあるのだろうか。
御息所(大君)は、心穏やかでない宮仕えのわずらわしさから、実家にこもりがちになっておられた。尚侍の君(玉鬘)は、思っていたようにいかない様子を残念とお思いになる。内裏の君(中の君)は、姉(大君)よりもかえって華やかに、心穏やかにふるまって、世間からも「風情があり、奥ゆかしい」という評判をえて、宮中にお仕えしていらっしゃる。
語句
■聞こえし人々 大君に求婚した人々。 ■さてもおはせましに 大君と結婚していたと仮定したら。 ■ひはづ 弱々しいこと。 ■宰相中将 「十九になりたま年、三位宰相にて、なほ中将も離れず」(【匂宮 08】)。 ■匂ふや薫るや 「世人は、匂ふ兵部卿、薫る中将と聞きにくく言ひつづけて…」(【匂宮 07】)。 ■やむごとなき親王たち 夕霧は娘の一人を薫と結婚させたいと思うところがあった(【匂宮 09】)。 ■その昔は… 玉蔓は大君を薫と結婚させておけばよかったと、今になって後悔する。 ■言ひおはさうず 「おはさうずる」は「あり」「をり」「行く」などの尊敬語。主語が複数のとき使う。 ■容貌さへ 蔵人少将は少将であったころから家柄のみならず、容貌までも立派であったのに、なぜ結婚させなかったのかという女房たちの非難。 ■うるさげなる御ありさまよりは 宮中のややこしい人間関係にもまれてつらい思いをするよりも蔵人少将に大君を嫁がせていたほうがよかったの意。 ■うくもつらくも 「憂し」は自分に原因がある場合。 ■左大臣の御むすめ 竹河の左大臣と称す。系図未詳。 ■道のはてなる常陸帯の 「あづまぢの道のはてなる常陸帯のかごとばかりも逢ひ見てしがな」(古今六帖五)。 ■手習 心の浮かぶことを何となく書きすさぶこと。 ■尚侍の君 正確には「前尚侍の君」だが呼び慣れた呼称をもちいる。 ■なかなかいまめかし… 大君が不幸になったとの反対に。