菊花の約 九

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赤穴いふ。「賢弟と別れて国にくだりしが、国人(くにびと)大(おほ)かた経(つね)久(ひさ)が勢(いきほ)ひに服(つき)て、塩谷(えんや)の恩(めぐみ)を顧(かへりみ)るものなし。従弟(いとこ)なる赤(あか)穴(な)丹治(たんじ)、富田(とだ)の城にあるを訪(とむ)らひしに、利害(りがい)を説(とき)て吾を経久に見(まみ)えしむ。仮(かり)に其の詞(ことば)を容(いれ)て、つらつら経久がなす所を見るに、万夫(ばんふ)の雄(ゆう)人に勝(すぐ)れ、よく士卒(いくさ)を習練(たならす)といへども、智を用(もち)うるに狐疑(こぎ)の心おほくして、腹心(ふくしん)爪牙(さうが)の家の子なし。

永(なが)く居(を)りて益(やう)なきを思ひて、賢弟が菊花の約(ちぎり)あることをかたりて去(さら)らんとすれば、経久怨(うら)める色ありて、丹治に令(れい)し、吾を大城(おほぎ)の外にはなたずして、遂(つひ)にけふにいたらしむ。此の約(ちかひ)にたがふものならば、賢弟吾を何ものとかせんと、ひたすら思ひ沈(しづ)めども遁(のが)るるに方(すべ)なし。いにしへの人のいふ。『人一日に千里(ちさと)をゆくことあたはず。魂(たま) よく一日に千里をもゆく』と。

此のことわりを思ひ出でて、みづから刃に伏(ふ)し、今夜(こよひ)隠風(かぜ)に乗(の)りてはるばる来(きた)り菊花の約(ちかひ)に赴(つ)く。この心をあはれみ給へ」といひおはりて泪(なみだ)わき出(いづ)るが如し。

「今は永(なが)きわかれなり。只母(ぼ)公(こう)によくつかへ給へ」とて、座を立つと見しがかき消(き)えて見えずなりにける。
    
左門慌忙(あわて)とどめんとすれば、陰風(いんふう)に眼(まなこ)くらみて行方(ゆくへ)をしらず。俯(うつ)向(ぶし)につまづき倒れたるままに、声を放ちて大(おほ)いに哭(なげ)く。

現代語訳

赤穴が言う、「あなたと別れて出雲へ下りましたが、国の民衆はおおかた経久が勢いに従い、(先主)塩谷の恩を顧みる者がおりません。富田城にいる従弟の赤穴丹治を訪ねましたが、利害の損得について(私に)話し、私を経久に引き合わせました。一応(私は)その言葉に従うふりをして、つくづくと経久の所業を見ましたが、勇気は人より優れ、よく兵士を訓練し統率していましたが、知力においては猜疑心ばかりが多く、主君の心を受け、その手足となって補佐する譜代の家臣はおりません。

長く居るのは、益にはならないと思い、貴方との菊花の約があることを話して、立ち去ろうとしましたが、経久は(私を)怨む様子で、丹治に命令し、(私を)城の外に出そうとはぜず閉じ込め、とうとう今日に至ったのです。此の約束を破ることになれば、貴方はこの私をどう思うだろうかとひたすら思い沈んでいましたが、逃れる方法がありません。昔の人が言うには、「人は一日に千里を行くことはできないが、魂ならば一日千里は行くことができる」と言う。

この道理を思い出し、自刃して死霊となり、生暖かい風に乗ってはるばる菊花の契を果しにやってまいりました。この心を憐れと思ってください」と言い終わると、涙は湧き出るように流れた。

「今はもう永遠の別れです。母上によくお仕えください」と言って、席を立つと見えたが、かき消えて見えなくなってしまった。

左門は慌てて、止めようとしたが、陰風のために目がくらみ、(赤穴の)姿は見えなくなってしまった。(左門は)うつ伏せに倒れたまま、大きな声をあげて嘆き悲しんだ。

語句

■赤穴丹治-架空の人物。宗右衛門の同族。出雲豪族の一人として設定。■塩谷の恩-塩谷氏の治世の恩恵。■仮に其の詞を容れて-赤穴は内心では経久に対面したくなかったのであるが、従弟の丹治の勧めを断ると問題もあると思ったので、表面だけでも従うと見せかけたのである。■万夫の雄-万人に抜きん出た勇気。■士卒-兵士。■習練(たならす)-手馴らす(たな)らす。訓練し統率する。■狐疑の心-疑り深い心。狐が疑り深い動物であることから。■腹心爪牙の家の子-「腹心」は心の底まで打ち明けることのできる忠実な家臣。「爪牙」は、主君のために爪や牙となって補佐する者。すなはち秘密まで打ち明けられる頼みになる家来。「家の子」は家来。■益なき-利益がない。無駄だ。■怨める色ありて-疑い怨む表情。■大城-富田城。■何ものとかせん-何と思うであろうか。きっと不義不信の者と思うであろう。■赴(つ)く-ここでは、至る、着くの意。■大いに哭く。-「哭」は声を上げて悲しみ泣くこと。  

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永

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