仏法僧 五

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おほよそ此の国の古言(ふること)に、玉蘰(たまかづら)・玉簾(たまだれ)・玉衣(たまぎぬ)の類(たぐひ)は、形をほめ清きを賞(ほむ)る語(ことば)なるから、清水(しみづ)をも玉水・玉の井・玉河ともほむるなり。毒ある流をなど玉てふ語(ことば)は冠(かうむ)らしめん。強(あながち)に仏(ほとけ)をたふとふ人の、歌の意(こころ)に細妙(くはし)からぬは、これほどの訛(あやまり)は幾らをもしいづるなり。足下(そこ)は歌よむ人にもおはせで、此の歌の意(こころ)異(あや)しみ給ふは用意(ようい)ある事にこそ」と篤(あつ)く、感(めで)にける。貴人をはじめ人々も此のことわりを頻(しき)りに感(めで)させ給ふ。

御堂のうしろの方に「仏法(ぶっぱん)、仏法(ぶっぱん)」哭(なく)音ちかく聞ゆるに、貴人盃をあげ給ひて、「例(れい)の鳥、絶(たえ)て鳴(なか)ざりしに、今宵(こよひ)の酒宴(しゆえん)に栄(はえ)あるぞ。紹巴(ぜうは)いかに」と課(おほ)せ給ふ。法師かしこまりて、「某(それがし)が短句(たんく)公(きみ)にも御耳すすびましまさん。ここに旅人の通夜(つや)しけるが、今の世の俳諧風(はいかいぶり)をまうして侍る。公(きみ)には珍しくおはさんに、召(めし)て聞かせ給へ」といふ。「それ召せ」と課(おほ)せらるるに、若きさむらひ夢然(むぜん)が方へむかひ、「召(めし)給ふぞ。ちかうまゐれ」と云ふ。夢現ともわかで、おそろしさのままに御まのあたりへはひ出(い)づる。

法師夢然に向ひ、「前(さき)によみつる詞を公(きみ)に申し上げよ」といふ。夢然恐るおそる、「何をか申しつる更(さら)に覚え侍(はべ)らず。只、赦し給はれ」と云ふ。法師かさねて、「秘密の山とは申さざるや。殿下(でんか)の問はせ給ふ。いそぎ申し上げよ」といふ。夢然いよいよ恐れて、「殿下と課(おほ)せ出だされ侍るは誰にてわたらせ給ひ、かかる深山(みやま)に夜宴(やえん)をもよほし給ふや。更にいぶかしき事に侍る」といふ。

法師答へて、「殿下と申し奉るは、関白秀次公にてわたらせ給ふ。人々は、木村常陸介(きむらひたちのすけ)、雀部淡路(ささべあわぢ)、白江備後(しらえびんご)、熊谷大膳(くまがへだいぜん)、粟野杢(あわのもく)、日比野下野(ひびのしもつけ)、山口少雲(やまぐちせううん)、丸毛不心(まるもふしん)、隆西入道(りゆうさいにゆうどう)、山本主殿(やまもととのも)、山田三十郎、不破万策(ふはばんさく)である。かく云うは、紹巴(ぜうは)法橋(ほつけう)なり。人々は汝等不思議の御目見えつかまつりたるは。前(さき)の詞(ことば)いそぎ申し上げよ」と云ふ。

頭に髪あらば、ふとるべきばかりに凄(すさま)じく、胆魂(きもたましひ)も虚(そら)にかへるここちして、振(ふる)ふふるふ。頭陀袋(づだぶくろ)より清き紙取り出(いで)て、筆もしどろに書きつけてさし出だすを、主殿(とのも)取りてたかく吟(ぎん)じ上ぐる。

鳥の音(ね)も秘密の山の茂(しげ)みかな

貴人聞かせ給ひて、「口がしこくもつかまつりしな。誰(た)ぞ、此の末句(すゑく)をまうせ」とのたまふに、山田三十郎座をすすみて、「某(それがし)つかうまつらん」とて、しばしうちかたふきてかくなん。

芥子(けし)たき明(あか)すみじか夜の床(ゆか)

「いかがあるべき」と紹巴(ぜうは)に見する。「よろしくまうされたり」と公(きみ)の前に出すを見給ひて、「片羽(かたは)にもあらぬは」と興じたまひて、又盃(さかづき)を揚(あ)げてめぐらし給ふ。

現代語訳

おおよそ我が国の古語で玉蘰(たまかづら)・玉簾(たまだれ)・玉衣(たまぎぬ)の類(たぐひ)は、すべて形の美しさ清らかさを誉める言葉ですから、清らかな水を言うのに、玉水・玉の井・玉河などと美称(ほめ)るのであります。毒のある川にどうして玉と言う言葉をかぶせましょう。仏法ばかりに熱心で、和歌の意味などわからない人などがこのような誤りを幾度となくしでかすものです。貴方は歌人ではいらっしゃらないのに、此の歌の意味を不審がられるとは、日頃から深い心掛けがおありなのだと思います」とあつく賞(ほ)め讃(たた)えた。貴人をはじめ人々もこの道理をしきりに感心しておほめになる。

御堂の後ろの方で、「ブッパン、ブッパン」と鳴く音が近くに聞えるので、貴人は盃を挙げ「例の鳥は永い間鳴いていなかったが、今宵の酒宴を引き立たせてくれているぞ。紹巴(ぜうは)一句どうか」と仰せられた。法師は慎んで承り、「私の短句は殿下の耳には古臭く聞えることでしょう。ここに旅人が通夜をしておりますが、当世風の俳諧を口ずさんでおります。殿下にはお珍しいでしょうからお呼びになってお聞きなされませ」と言った。(殿下が)「では呼んでまいれ」と仰せられると、若い侍が夢然の方に向い、「(殿下が)お召しである。近くに参れ」と言った。(夢然親子は)夢中で、ただ恐ろしく貴人の前に這い出した。

法師は夢然に向い、「先ほど詠んでいた句を殿下に申しあげよ」と言う。夢然は恐るおそる「何を申しましたでしょうか。まったく覚えておりません。ひらにご容赦を」と言うと、法師は重ねて「秘密の山云々と申したのではなかったかな。殿下がお尋ねである。いそいで申し上げなさい」と言った。夢然はますます怖がって「殿下と言われるお方はどなたでしょうか、どうしてこのような山奥で夜宴を催されているのですか。なんとも不審な事です」と言った。

法師は答えて、「(私が)殿下と申し上げているのは、関白秀次公でいらっしゃる。(他の)人々は、木村常陸介(きむらひたちのすけ)、雀部淡路(ささべあわぢ)、白江備後(しらえびんご)、熊谷大膳(くまがえだいぜん)、粟野杢(あわのもく)、日比野下野(ひびのしもつけ)、山口少雲(やまぐちせううん)、丸毛不心(まるもふしん)、隆西入道(りゆうさいにゆうどう)、山本主殿(やまもととのも)、山田三十郎、不破万策(ふはばんさく)である。かく言う自分は、紹巴(ぜうは)法橋(ほつけう)である。お前たちは不思議なお目通りをしたのだ。さあ、先に詠んだ言葉を急いで申し上げよ」と言った。

頭を丸めているものの、もし髪の毛があれば、一本一本がよだつばかりにすさまじく、胆も魂も宙に消えてしまうような気持がして、それでもおののき震えながら、頭陀袋(づだぶくろ)からきれいな紙を取り出し、乱れた筆で書いて差し出した句を山本主殿(やまもととのも)が取り上げ、声高く詠みあげた。

鳥の音(ね)も…

貴人はこれをお聞きになって、「上手に作りおったな。誰か、この脇句をつけてみよ」とおっしゃるので、山田三十郎が座を進んで、「私が作ってみましょう」と言い、しばらく首を傾げて考えていたが、次のように脇句を詠んだ。

芥子(けし)たき…

(芥子を焚いて祈祷する護摩壇の床も、夏の夜は短く、早くも朝の気配が忍び寄っている)

いかがなものでしょうかと、(山田三十郎はその句を)紹巴(ぜうは)に見せる。「上手にできました」と(その句を紹巴が)殿下の前に出すのを見て、
(殿下は)「まんざら悪くもないのう」と、おもしろがられ、また盃をお傾けになって一座にお回しになった。

語句

■玉蘰(たまかづら)-古代の髪飾り。■玉簾(たまだれ)-簾の美称。■玉衣(たまぎぬ)-美しい衣。■てふ-「といふ」の約。■冠(かうむ)らしめ-頭にかざす。■幾らをもしいづるなり-いくらでもしでかすものです。「を」は強意。■用意(ようゐ)平生の心がけ。■御堂-「御廟の後の林」と先出したから、大師廟ととることもできる。■例の鳥-むろん、仏法僧鳥の事である。■栄えある-引き立たせる。■いかに-句を作るよううながす言葉。■短句-蓮歌の発句のこと。和歌に対して短いのでいう。■すすびます-古くさくなること■今の世の-同じ音形でも紹巴の蓮歌の発句と、俳諧連句の発句とでは性質が全く違う。時代の差異がここにあって、そこで「今の世の俳諧風」といったのである。■夢現ともわかで-夢中で。■御ま-秀次の面前。■関白秀次公-豊臣秀吉の甥で、秀吉の養子となり、天正十九年(1591)関白となる。殺生関白といわれるほどに悪行もあり、謀反の讒言をうけて高野山に逃れた。が、権力不入の地であった高野山も彼をかばいきれず、文禄四年(1595)高野山青巌寺において自刃させられた。二十八歳。■雀部淡路(ささべあわぢ)-雀部淡路守。秀次の臣。高野山で秀次を介錯して自害。■粟野杢(あわのもく)-粟野杢助。秀次の臣。京都粟田口吉水辺で切腹。■日比野下野(ひびのしもつけ)-日比野下野守。秀次の臣で、妾おあこの方の父。京都北野辺で切腹。■山口少雲(やまぐちせううん)-秀次の臣で、妾お辰の方の父。北野辺で切腹。■丸毛不心(まるもふしん)-秀次の臣。京都相国寺門前で自ら進んで首を打たれて死ぬ。■、隆西入道(りゆうさいにゆうどう)-秀次の臣。高野山で殉死。秀次が介錯した。■山本主殿(やまもととのも)-山本主殿助。秀次の小姓。高野山で主に先立って殉死。■山田三十郎
-秀次の小姓。高野山で主に先立って殉死。■法橋(ほつけう)-僧位の第三番目。後には画家、医師、文人にも授けられた位。紹巴は本能寺の変の際に陽光院に奉仕した功で法橋に叙せられた。(紹巴記事)。■汝等-夢然親子をさす。■不思議の御目見え-秀次は冥界の人であり、夢然親子は現世の人である。よほどの因縁無しでは「御目見え」があるはずがない。それを「不思議」といい、同時に冥界と現世との隔絶を暗示した。■頭に髪あらば、ふとるべきばかりに-髪も逆立ち身の毛もよだつという、強烈な恐怖の形容の古い形。■頭陀袋(づだぶくろ)-もと拓鉢僧が首から胸前に掛けて歩いた袋。行脚袋。■しどろに-乱れた書き様。■口がしこくも-小器用に。口上手に。■末句-脇の句。五七五の発句に対して、七七の脇の句があるが、その脇を付ける連句を言う。■某(それがし)-わたくし。自称代名詞。■芥子(けし)-真言宗の加持祈祷の時に芥子を焚く。この句出典不明。秋成の作か。「みじか夜」が季語で夏。「床」は護摩壇のこと。発句に対して、夜通し加持・調伏などの修業をしている寺堂の一景をまとめたものである。■片羽(かたは)-不十分。不完全。

備考・補足

■道理-すじが通っていること。正論であること。

朗読・解説:左大臣光永

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