仏法僧 四

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かなたこなたに杯(さかづき)をめぐらしていと興ありげなり。貴人又曰(のたま)はく、「絶へて紹巴(ぜうは)が説話(物語)を聞かず。召せ」との給ふに、呼(よび)つぐやうなりしが、我が跪(うずず)まりし背(うしろ)の方より、大(おほい)なる法師の、面(おもて)うちひらめきて、目鼻(めはな)あざやかなる人の、僧衣かいつくろひて座の末にまゐれり。貴人古語(ふること)かれこれ問(とひ)弁(わきま)へ給ふに、詳(つぼら)に答へたてまつるを、いといと感(めで)させ給うて、「他(かれ)に禄をとらせよ」との給ふ。

一人の武士かつ法師に問ひていふ。「此の山は大徳の啓(ひら)き給うて、土石草木も霊なきはあらずと聞く。さるに玉川の流(ながれ)には毒(どく)あり。人飮(のむ)時は斃(たふ)るが故に、大師のよませ給ふ歌とて、

わすれても汲(くみ)やしつらん旅人(たびびと)の高野(たかの)の奥(おく)の玉川の水

といふことを聞き伝へたり。大徳のさすがに、此の毒ある流(ながれ)をば、など涸(あせ)ては果(はた)給はぬや。いぶかしき事を足下(そこ)にはいかに弁(わきま)へ給ふ」。法師笑をふくみていふは、「この歌は風雅集(ふうがしふ)に入れ給ふ。其の端詞(はしことば)に「高野の奥の院へまゐる道に、玉川という河の水上(みずかみ)に毒虫(どくむし)おほかりければ、此の流れを飮むまじきよしをしめしおきて後よみ侍りける」とことわらせ給へば、足下(そこ)のおぼえ給ふ如くなり。されど今の御疑ひ僻言(ひがこと)ならぬは、大師は神通自在にして隠神(かくれがみ)を役(えき)して、道なきをひらき、巌(いはほ)を鐫(ゑる)には、土を穿(うがつ)よりも易(やす)く、大蛇(をろち)を禁(いま)しめ、化鳥(けてう)を奉仕(まつろへ)しめ給ふ事、天(あめ)が下の人の仰(あふ)ぎたてまつる功(いさをし)なるを思ふには、此の歌の端(はし)の詞(ことば)そまことしからね。

もとより此の玉可といふ川は国々にありて、いづれをよめる歌も其の流れのきよきを誉(あげ)しなるを思へば、この玉川も毒(どく)ある流れにはあらで、歌の意(こころ)も、かばかり名に負(おふ)河の此の山にあるを、ここに詣づる人は忘(わす)るわするも、流れの清きに愛(めで)て手に掬(むす)びつらんとよませ給ふにやあらんを、後の人の毒ありといふ狂言(まがこと)より、此の端詞(はしことば)はつくりなせしものかとも思はるるなり。又深く疑ふときには、此の歌の調(しらべ)、今の京(みやこ)の初(はじめ)の口風(くちぶり)にもあらず。

現代語訳

あちらこちらと盃を巡らせて、盛り上がってきたようである。貴人がまた仰せられるには、「随分長い間、紹巴(ぜうは)の話を聞いておらぬ。呼んでまいれ」とおっしゃると、(お供の武士たちが順に)呼び継いでいたようであったが、私(夢然)が平伏していた後ろの方から、大柄な法師---顔は平べったく、目鼻だちのはっきりした人であった---が、僧衣の身づくろいをしながら(堂の前方へ進み出て、居並ぶ人々の)座の末席にやって来た。貴人が故事・物語等の昔話についてあれこれとお問いただしになると、詳しく答えるので(貴人は)大変感じ入り、「彼に褒美を取らせよ」とおっしゃった。

一人の武士が更に法師に問いかけた。「此の山は高徳の僧が啓(ひら)かれて、土石草木も霊の宿らないものないと聞いておる。それなのに、玉川の水には毒が入っております。人が飲めば死んでしまうので、弘法大師が詠まれた歌として、

わすれても…

(旅人はたとえ忘れてもこの水を飲んでよいであろうか。いやいけない、高野山の奥のこの玉川の水を)

というのがあると聞いておる。大師は大徳あるにもかかわらず何故この毒のある流れを枯らしてしまわれなかったのか不思議である。このことをそなたはどのように考えておられるか」。法師が笑を含んで答えるには、「この歌は風雅集(ふうがしゅう)に収録されているものです。そのはしがきに「高野山の奥の院へ行く道にある玉川という川の上流に毒虫がたくさんいるので此の水を飲んではいけないということを諭し戒めて後に書きました」と説明してありますので、貴方のお考えになるとおりです。けれども貴方のお考えが間違っていないことは、大師は神通自在であって、目に見えぬ精霊を使って道なき道をひらき、固い巌を穿つのは土を掘るよりたやすく、大蛇をさとし、怪鳥はこれを帰服させられたことは、天下の人々が仰ぎ尊ぶご功績であることを考え合わせると、此の歌のはしがきはどうも本当とは思えません。

もともと玉川という川は、多くの国にあり、どの川を詠んだ歌もその清い流れを褒めたたえていることを思えば、この玉川も毒がある川ではなく、歌の心も、名高い川が此の山にあるのを、参詣に来る人は忘れてしまって、綺麗な清んだこの川の流れを誉めて、(思わずその水を)手に掬って飲むであろう。とお詠みになったのを、後世の人が、「毒あり」という間違った説で、このはしがきを作ったものと思われます。更に深く疑いますと、この歌の調べは弘法大師が生きておられた平安朝初めの歌風ではありません。

語句

■興ありげなり-おもしろそうである。■紹巴(ぜうは)-里村紹巴。蓮歌師。その古言故事の教養を愛されて秀次と親しく、「咄(はなし)の衆の一人。ために秀次自刃後しばらく三井寺に謹慎させられた。慶長七年(1602)没。七十九歳。■面(おもて)ひらめきて-紹巴の容貌は「戴恩記」(松永貞徳)に「顔おほきにして眉なく、明らかなるひとかは目にて、鼻大きにあざやかに」。■かひくつろひて-衣の乱れを直して。■古語(ふること)-故事・物語等の昔話。■禄(ろく)-当座の褒美。■
■の給ふ。-おっしゃった。■玉川-奥の院御廟橋を流れ大滝に致る川。■毒あり-高野山は古く水銀を産し、玉川は有毒という説があった。■汲みや-「や」を疑問として、「汲んでしまったのだろうか」と解することもできる。■さすがに-~にもかかわらずの意で用いた。■足下(そこ)-同等の人に対する敬称代名詞。■風雅集-花園上皇監修、光巌(こうごう)上皇撰の第十七番目の勅撰和歌集。貞和(じょうわ)五年(1349)成立。二十巻。■端詞(はしことば)-はしがき。詞書(ことばがき)ともいう。■僻言(ひがこと)-道理のない説。■神通自在にして-神の如き霊妙な力で何事も思うようになしえること。■隠神(かくれがみ)-人の目に見えない土地の守護神。精霊などをいう。■鐫(ゑる)-固いものをくりぬく。■化鳥(けてう)-大蛇とともに邪悪な精霊の象徴。■奉仕(まつろへ)しめ給ふ-帰服(服従・帰順)さす。■まことしからね-事実らしくない。■玉河-六玉川(むたまがわ)といって、京都府の井手玉川、滋賀県の野路玉川、大阪府の擣衣(とうい)玉川、和歌山県の高野玉川、宮城県の野田玉川などが知られていた。■かばかり-これほど。■狂言(まがこと)-間違った説。■つくりなせしものか-偽作したものかと。■京-平安京。■口風(くちぶり)-詠みぶり。宣長もこの歌を、「後の人の偽りてつくれるもの也。空海のころの歌のさまにあらず」(玉勝間巻十一)といっている。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永

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