第三十三段 今の内裏作り出だされて

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今の内裏作り出だされて、有職(ゆうそく)の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日ちかくなりけるに、玄輝門院(げんきもんいん)御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、まろく、ふちもなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。是(これ)は葉(よう)の入りて、木にてふちをしたりければ、あやまりにてなほされにけり。

口語訳

現在の内裏を造営されて、朝廷の故実に通じた人々に見せられたところ、いずれも問題無しということで、すでに天皇が御遷りになる日も近くなった所、玄輝門院が御覧になって「閑院殿の櫛形の窓は、丸く、縁もありませんでした」とおっしゃったのは、すぐれたことであった。現在の内裏の櫛形の窓は葉の縁のような切れ込みが入り、木で縁がしてあったので、間違いなので直されたのだった。

語句

■今の内裏 花園天皇の二条富小路の内裏。文保元年(1317年)造営。 ■有職の人々 朝廷の官職・典礼・故実などに通じた人々。 ■玄輝門院 伏見天皇の生母。後深草天皇の后。左大臣藤原実雄の娘。洞院イン子(とういん いんし)(1246-1329)。 ■もと藤原冬嗣の邸宅。二条南、西洞院の西。高倉天皇から後深草天皇まで里内裏となった。 ■櫛形の穴 清涼殿の鬼の間と殿上の間の壁にあけた半円形の窓。上部が半円形になっていた。 ■まろく 窓の上部が丸く。 ■葉 葉の縁のような切れ込みというが詳細不明。

メモ

■一連の有職に関する章段のはじめ。現代人からはピンとこない。

朗読・解説:左大臣光永

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