第四十二段 唐橋中将といふ人の子に、
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唐橋中将といふ人の子に、行雅(ぎょうが)僧都とて教相(きょうそう)の人の師する僧ありけり。気の上る病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額などもはれまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面(おもて)のやうに見えけるが、ただおそろしく、鬼ノ顔になりて、目は頂(いただき)の方(かた)につき、額のほど鼻になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもりて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて死ににけり。
かかる病もある事にこそありけれ。
口語訳
唐橋中将という人の子に、行雅僧都(ぎょうがそうず)といって、仏法の理論面において人に教える僧があった。気がのぼせ上がる病を患っていて、年を取るにつれて鼻の中がふさがって、息をするのも困難になったので、さまざまに治療したが、病状は悪化して、目・眉・額なども腫れに腫れて、顔じゅうに広がってきたので、物も見えず、二の舞の面のように醜く見えるようになったが、(さらに病状が進むと)ただ恐ろしく、鬼の顔のようになって、目は頭の上のほうにつき、額のあたりは鼻になりなどして、後には僧坊の内の人にも会わず引きこもって住まい、長年経って、さらに病状が悪化して、死んでしまったという。
このような病もある事であったのだなあ。
語句
■唐橋中将 源雅清(1182-1230)。村上源氏・久我(こが)家の庶流。参議左中将。43歳で出家して多武峰に住んだ。 ■行雅僧都 伝未詳。「僧都」は僧正・僧都・律師の次階。 ■教相 仏法の理論面を研究すること。真言宗で実際的な行法「事相」に対して言う。 ■気のあがる 気が頭にのぼる。のぼせ上がる。 ■たくる 「闌くる」。さかりを過ぎる。 ■つくろふ 治療する。 ■わづらはしくなりて 病状が悪化して。 ■腫れまどひて 腫れに腫れて。 ■うちおほひしければ 顔中に広がったので。 ■二の舞の面 舞楽で、安摩(あま)の舞が終わった後舞台に登場し、二人が安摩の舞をまねて滑稽に躍る。一人は老人一人は女性。女性のほうは醜い面を着けている。ここではその女性の面のことを指す。 ■坊 僧坊。
メモ
■淡々とした語り口の中にグロい。