第百八十五段 城陸奥守泰盛は、さうなき馬乗りなりけり
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城陸奥守(じょうのむつのかみ)泰盛(やすもり)は、さうなき馬乗りなりけり。馬を引き出(いだ)させけるに、足をそろへて閾(しきみ)をゆらりと越ゆるを見ては、「是(これ)は勇める馬なり」とて、鞍を置きかへさせけり。又、足を伸べて閾(しきみ)に蹴あてぬれば、「是(これ)は鈍くして、あやまちあるべし」とて、乗らざりけり。道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。
口語訳
城陸奥守(じょうのむつのかみ)泰盛(やすもり)は、比類なき馬乗りである。馬を引き出させる時、足をそろえて敷居をゆらりと越えるのを見ては、「これは気の荒い馬である」といって、鞍を置き換えさせた。また、足をのばして敷居に蹴り当てると、「これは鈍感で、間違いがあるに違いない」といって、乗らなかった。道を知らない人は、こんなにも恐れるだろうか。
語句
■城陸奥守泰盛 安達泰盛。前段の義景の三男。父の跡をついで秋田城介となり、後に陸奥守を兼任。弘安八年(1285年)十一月の霜月騒動で、一族もろとも執権北条貞時に滅ぼされた。 ■閾 敷居。家屋の入り口などに敷く横木。 ■勇める 気の荒い。
メモ
■霜月騒動前の章「第百八十四段 相模守時頼の母は」|次の章「第百八十六段 吉田と申す馬乗り」
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