第百九十六段 東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時
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東大寺の神輿(しんよ)、東寺(とうじ)の若宮より帰座の時、源氏の公卿まゐられけるに、この殿、大将(だいしょう)にて、さきをおはれけるを、土御門相国(つちみかどのしょうこく)、「社頭にて警蹕(けいひつ)いかが侍るべからん」と申されければ、「随身のふるまひは、兵仗の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。
さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄(ほくざんしょう)を見て、西宮(せいきゅう)の説をこそ知らざりけれ。眷属(けんぞく)の悪鬼(あくき)・悪神(あくじん)をおそるる故に、神社にて、ことにさきをおふべき理(ことわり)あり」とぞ仰せられける。
口語訳
東大寺の御神輿が、東寺の若宮八幡宮からお戻りになる時、源氏出身の公卿が供奉のために参上した所、この殿…源通基が、近衛府の大将であって、随身に先払いをおさせになっていたのを、土御門相国が、「神社の前で先払いはどんなものか」と申されたので、「随身のふるまいについては、武門の家が知っている事でございます」とだけお答えになった。
さて、後に仰せられたことには、「この相国は、藤原公任卿の『北山抄』だけを見て、源高明の西宮の説を知らなかったのだな。八幡宮の一族・家来である鬼や神のたぐいを恐れるが故に、神社では、特別に先払いをすべき道理があるのだ」と仰せられた。
語句
■東大寺の神輿 みこし。東大寺の鎮守社・手向山(たむけやま)八幡宮の神輿。僧兵や神人がこれを担いで都へくりだし、朝廷に無茶な要求をつきつける「強訴(ごうそ)」に及んだ。ただし弘安二年(1279年)の石清水八幡宮の神輿が入洛した事件を兼好が誤解したものとされる。 ■東寺の若宮 東寺の境内にあった鎮守社・若宮八幡宮。南大門のそばにあったが、明治元年の火災で焼失。 ■帰座 もとの場所に戻ること。 ■源氏の公卿 源氏出身の公卿。八幡宮が源氏の氏神なので、帰座の時、彼らが供奉することになっていた。 ■この殿 前段に登場した、源通基。 ■大将 近衛府の長官。左右一人づついた。源通基は、弘安元年(1278年)右近衛大将に就任。 ■さきをおはれける 声を上げて往来を行きかう人に道をあけるよう注意をうながすこと。ここでは通基の随身がやった。 ■土御門相国 源定実(1241-1306)。正安三年(1301年)太政大臣。つまり、この話の時点ではまだ太政大臣ではない。「相国」は太政大臣の唐名。 ■社頭 神社の前。 ■警蹕 「警(いまし)め蹕(とどめ)る」の意で、先払いのこと。 ■随身 貴人の身辺警護にあたる近衛府の役人。 ■兵仗の家 武官の家。「兵仗」は実際に戦闘に使う武器。儀式用の武器を「儀仗」というのに対した言葉。 ■北山抄 藤原公任著の故実を記した書物。「北山」は公任の別荘が北山にあったから。「神社の行幸は、大嘗会(だいじょうえ)の御禊(ごけい)」に准(じゅん)ず。但し社頭に至りては、警蹕(けいひつ)せず。猶(なお)憚(はばか)り有るべきか」(巻八)。 ■西宮の説 西宮左大臣(にしのみやのさだいじん)源高明(みなもとのたかあきら)による故実書。「西宮」は高明の邸宅。ただしその中に警蹕に関する記述は見られない。 ■眷属 八幡神に随う従者・家来。メモ
●先払い実演
●強訴