海賊の恐怖

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二十二日。昨夜(よんべ)の泊(とまり)より、異泊(ことどまり)を追ひて行(ゆ)く。
はるかに山見ゆ。年九つばかりなる男(を)の童(わらは)、年よりは幼くぞある。この童、船を漕(こ)ぐまにまに、山も行(ゆ)くと見ゆるを見て、あやしきこと、歌をぞよめる。その歌、

漕ぎて行(ゆ)く船にて見ればあしひきの山さへ行(ゆ)くを松は知らずや

とぞいへる。幼き童の言(こと)にては、似つかわし。

今日(けふ)、海荒げにて、磯に雪降り、波の花咲けり。ある人のよめる、

波とのみひとつに聞けど色見れば雪と花とにまがひけるかな

現代語訳

二十二日。昨夜の港から別の港を目指して行く。

遥か遠くに山が見える。年九つばかりの男の子、年よりはもっと幼い。この幼児が船を漕ぐにつれて、山も同時に進んでいくように見えるのを見て、不思議に思い、歌をよんだ。その歌は、

漕ぎて行(ゆ)く…

(漕いで行く船から見ると、山さえも動いていくのを松は知らないのであろうか)

と言う。幼い子供の歌としてぴったりである。

今日は、海が荒模様で、磯には白波がまるで雪が降ったようで、波の花が咲いている。ある人が詠んだ歌は、

波とのみ…

(耳で聞けばただ波だなと一つに聞こえるだけだが、その色を見ると雪にも花にも見まがうものだったんだなあ)

語句

■あやしきこと- まあ不思議なことよ。(歌というものは元来女のもの。ならば女の童ならともかく「年よりは幼くぞある」「男の童」がとうてい詠めるはずがないのにと不思議がって見せる。もちろん歌は作者の作。)■磯に雪降り- 波が白く砕け散ること 波を雪、花に見立てることは他にも例あり ■波とのみ-聴覚と視覚とを対照させて興じる趣向。■あしひきの- 山の枕詞。「さへ」は添加の意。 


二十三日。日照りて、曇りぬ。

このわたり、海賊の恐(おそ)りあり、といへば、神仏(かみほとけ)を祈る。

二十四日。昨日(きのふ)の同じところなり。

二十五日。梶取らの、「北風悪(あ)し」といへば、船出(い)ださず。

海賊追ひ来(く)、といふこと、絶えず聞こゆ。

二十六日。まことにやあらむ、海賊追ふ、といへば、夜中ばかりより船を出(い)だして漕(こ)ぎ来る。

途(みち)に、手向(たむ)けするところあり。

梶取(かじとり)して、幣(ぬさ)奉(たいまつ)らするに、幣(ぬさ)の東(ひむがし)へ散れば、梶取の申して奉(たてまつ)る言(こと)は、、「この幣(ぬさ)の散る方(かた)に、御船(みふね)すみやかに漕がしめたまへ」と申して奉る。これを聞きて、ある女(め)の童(わらは)のよめる、

わたつみのちふりの神に手向けする幣(ぬさ)の追風(おひかぜ)やまず吹かなむ

とぞよめる。

現代語訳

二十三日。日が照って、その後曇った。

このあたりは海賊襲来の恐れがあるということなので、神仏に祈る。

二十四日。昨日と同じところにいる。

二十五日。船頭たちが「北風が吹いて船を出すのに具合が悪い」と言うので、船を出さない。

海賊が追いかけてくる、と言うことが絶えず聞えてくる。

二十六日。ほんとうだろうか。海賊が追って来る、と言うので、夜中ほどから船を出して漕いで来る。

その途中に航路安全を祈願するところがある。

梶取に命じて、幣をささげたところ、(幣は神に祈る時の捧げ物。アサ、木綿、帛(きぬ)、又代わりに紙も用いた)幣が東の方に散るので、梶取が祈願して申し上げる祝詞には、「この幣の散る方角に、御船をすみやかに漕がせてください」とお願い申し上げる。

これを聞いて、ある女の子が詠んだ歌は、

わたつみのちふりの神に…

(海路をお守りくださる道触(ちふり)の神様に手向けした幣を、東になびかせる追風よ、どうかやまずに吹き続けておくれ)

こう詠んだことです。

語句

■日照りて、曇りぬ- 晴れのち曇り ■幣- 神に祈る時の捧げ物。アサ、木綿、帛(きぬ)、又代わりに紙をも用いる。 ■奉(たひまつ)らする- 奉(たてまつ)るよりもくだけた言い方。謙譲語の動詞 ■しめ -使役の助動詞「しむ」の連用形。「す」、「さす」より堅いあらたまった言い方で論文や、神仏への祈願等の場合に使われた。 ■わだつみ- 海神 ■道触(ちふり)の神 陸路や海路を守護する神 ■なむ- 他に対する訴えを表す助詞。 ~してくれの意。


このあひだに風のよければ、梶取いたく誇りて、船に帆上げなど、喜ぶ。その音(おと)を聞きて、童(わらは)も媼(おむな)も、いつしかとし思へばにやあらむ、いたく喜ぶ。この中に、淡路(あはぢ)の専女(たうめ)といふ人のよめる歌、

追風の吹きぬるときは行く船の帆手(ほて)うちてこそうれしかりけれ

とぞ。

天気(ていけ)のことにつけつつ祈る。

二十七日。風吹き、波荒ければ、船出ださず。

現代語訳

さて、手向けをしてからは風の具合もよいので、梶取はすっかり得意になって、船に帆を上げなどして喜んでいる。帆がはためく音を聞いて、子供もお婆さんも、早く早くとそればかり思っていたからでしょうか、大喜びです。一行の中で、淡路の婆さんと言う人が詠んだ歌は、

追風の吹きぬるときは…

(追風が吹いてきたときは、進んでいく船の帆が、パチパチと拍手のような音を立てて喜んでいるよ。そのように、私たちも手を叩いて嬉しがっていることよ)

ということだ。

こんなふうに、何かといえば天気のことについて祈る。

二十七日。風が吹いて、波が荒かったので、船を出さない。

語句

■このあひだに- ここでは、「時に」「ところで」などの意の接頭語として用いられている。 ■梶取いたく誇りて- 自分の祈りがすぐに聞き届けられたとして誇っている。 ■など- 次に「して」あるいは「いひて」が省略されたか? ■媼(おむな)- 媼(おうな)の意。■いつしかとし- 「早くあれかし」という気持ちを込めている。二つの「し」は強調。■淡路(あはぢ)の専女(たうめ)- 伝不明。淡路出身の老女の意。「たうめ」は老女。 ■帆手- 船も喜ぶが私たちも喜ぶ。「帆手」は「帆布そのものを示す名詞」で、それに手を掛ける。 ■うれしかりけれ -「うれしがりけれ」と詠んで、口語的表現とも。だが、歌には口語的方言をまじえないのが通例ゆえ、清音で読むのが正しいか?■天気(ていき)- はねる音nを「い」と表記した例


これかれ、かしこく嘆く。男たちの心なぐさめに、漢詩に「日を望めば都遠し」などいふなる言(こと)のさまを聞きて、ある女(をむな)のよめる歌、

日をだにも天雲(あまぐも)近く見るものをみやこへと思ふ道のはるけさ

また、ある人のよめる、

吹く風の絶えぬ限りし立ち来れば波路(なみぢ)はいとどはるけかりけり

日一日(ひひとひ)、風やまず。爪(つま)はじきして寝(ね)ぬ。

二十八日。夜もすがら、雨やまず。今朝も。

現代語訳

誰もかれもやたらにため息をつく。男の人たちが気晴らしに、漢詩で「日を望めば、都遠し」(はるかなはずの太陽は見えるが、かえて近いはずの都は見えないから遠い)なんていってるらしい詩のあらましを聞いた挙句、ある女が詠んだ歌は、

日をだにも…

(お日様でさえ、空の雲のすぐそこに見えるのに、一刻も早く帰りたい京への旅路の、ほんとに遠いことったら)

また、ある人がよんだ。

吹く風の…

(海を吹く風がやまぬかぎりはねえ、波も限りなく起こってくるものだから、船路はまだまだ先の遠いことですね)

一日中風が止まなかった。爪はじき(指の爪をはじいて悪いことを避けるおまじない)をして寝てしまった。

二十八日。一晩中雨が止まなかった。今朝もである。

語句

■これ-かれ【此彼】-(代)この事あの事。この人あの人。あれこれ。■かしこく- 程度が普通ではない。非常に。■嘆く- 言葉にならないため息をつく
■日をだにも- 遠いはずの太陽でさえ ■「し」- 強調の副助詞 そのあとの「立ち来れば」の主語、波が省略されている。
■爪はじき- 指の爪をはじいて悪いことを避けるおまじない。親指の腹に他の指の爪先をあてて弾き、音を出す。元来は密教の行法の一つ

備考・補足

「日を望めば都遠し」は李白の詩『単父(ぜんほ)の東楼にて秋夜族弟(ぞくてい)沈(しん)の秦に之くを送る』の中の「遥かに長安の日を望めば、長安の人を見ず、長安の宮闕九天の上」」が念頭にあるようです。

都が恋しいなあ。早く都に着きたい。でも、まだまだ旅ははるかに長い…そんな実感をこめた歌が詠まれます。あちらで一泊、こちらで二泊して、なかなか進まないのです。そして海賊の恐怖もあります。飛行機ですぐに飛んでいく現在からは、まったく旅の感覚が違います。

朗読・解説:左大臣光永


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