【賢木 20】源氏、朝顔の斎院と贈答 昔をしのぶ

原文

吹きかふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり。中将の君に、「かく旅の空になむもの思ひにあくがれにけるを、思し知るにもあらじかし」など恨みたまひて、御前には、

「かけまくはかしこけれどもそのかみの秋思ほゆる木綿襷《ゆふだすき》かな。

昔を今に、と思ひたまふるもかひなく、とり返されむもののやうに」と、馴れ馴れしげに、唐《から》の浅緑《あさみどり》の紙に、榊《さかき》に木綿《ゆふ》つけなど、神々《かうがう》しうしなして参らせたまふ。御返り、中将、「まぎるることなくて、来《き》し方のことを思ひたまへ出づるつれづれのままには、思ひやりきこえさすること多くはべれど、かひなくのみなむ」と、すこし心とどめて多かり。御前《おまへ》のは、木綿《ゆふ》の片はしに、

「そのかみやいかがはありし木綿襷《ゆふだすき》心にかけて忍ぶらんゆゑ

近き世に」とぞある。御手こまやかにはあらねど、らうらうじう、草《さう》などをかしうなりにけり。まして朝顔もねびまさりたまへらむかしと、思ほゆるもただならず、恐ろしや。あはれ、このころぞかし、野宮《ののみや》のあはれなりしこと、と思し出でて、あやしう、やうのものと、神恨めしう思さるる御癖《くせ》の見苦しきぞかし。わりなう思さば、さもありぬべかりし年ごろはのどかに過ぐいたまひて、今は悔しう思さるべかめるも、あやしき御心なりや。院も、かくなべてならぬ御心ばへを見知りきこえたまへれば、たまさかなる御返りなどは、えしももて離れきこえたまふまじかめり。すこしあいなきことなりかし。

現代語訳

風も吹き交うほど近いので、源氏の君は、斎院にもお手紙を差し上げた。

中将の君(斎院つきの女房)に、(源氏)「こうして旅の空に、姫君を思ってさまよい出てきましたことを、おわかりになってはくださいますまい」など恨み言をお書きになって、斎院の御前には、

(源氏)「かけまくは…

(口に出して言うのは畏れ多いですが、私と貴女が過ごした、以前のあの秋のことが思い出される木綿襷ですよ)

昔を今にするすべはないか、と思いますにつけてもかいのないことですが、それでも二人の関係を取りもどすことはできそうに思えますので」と、馴れ馴れしいかんじで、唐の浅緑の紙に、榊の木綿をつけなどして、神々しく作り立てて、差し上げなさる。

御返り、中将、「気の紛れることもございませんで、それでも昔のことを思い出す、やるせなさのままには、貴方をおしのび申し上げることも多くございますが、それとてかいのないばかりのことで」と、少し心をこめて長めに書いてある。

斎院のは、木綿の片端に、

(斎院)「そのかみや…

(昔、私と貴方との間に何があったというおっしゃるのですか。貴方は木綿襷を心にかけて昔を思い出すとおっしゃいますが、それがなぜなのか、私にはとんとわかりかねます)

ここ最近の話としては、いっそうおぼえもございませんね」とある。御手跡はこまやかではないが、書き馴れて、草書など達者なものになっていた。

まして御顔も年とともに美しくご成長されているだろうと、想像されるにつけても並々ならず御心が動くのも、恐ろしいことであるよ。

「ああ、この頃であったよ。野宮で、しみじみと哀れ深く、あの御方と別れたのは」と思い出しなさって、不思議と、あの方ものこの方も、境遇が同じであることだと、神を恨めしくお思いになる御癖の、見苦しいことであるよ。

強引にお求めになれば、願いがかなわないはずはなかったのに、そうした年頃はのんびりとお過ごしになり、今は悔しくお思いになっていらっしゃるようなのも、不思議なお心である。

斎院も、このような並々ならぬ源氏の君のお気持ちを見知り申し上げなさっているので、たまの御返事などは、むげに冷淡にもなされないようである。すこしちぐはぐな御二人のご関係であるよ。

語句

■近きほどにて 雲林院と斎院は同じ紫野にある。斎院跡地とされる場所には現在、櫟谷七野(いちいだにななの)神社がある。 ■斎院にも 朝顔の姫君。桃園式部卿宮(桐壺院の弟)の娘。朝顔は同年春に斎院に卜定されたので、まだ宮中にいるはず。紫野に移るのは二年目。作者の間違いか。 ■あくがれにける 「あくがれる」は魂が肉体を離れてさまよい出ること。 ■かけまくは… 初二句は相手が斎院であるので祝詞風にした。「そのかみの」は朝顔が斎院になる前のこと。「木綿襷」は木綿《ゆふ》で作った襷。ここでは斎院のこと。初句の「かけ」と縁語。 ■昔を今に 「いにしへのしづのをだまきくりかへし昔を今になすよしもがな」(『伊勢物語』三十ニ段)をふまえる。 ■とり返されむもののやうに 『弄花抄』『細流抄』などに「とり返すものにもがなや世の中を昔ながらのわが身と思はむ」から引くとするが出典不明。 ■唐の浅緑の紙 中国渡来の藍色の色紙。紫の上に当てた陸奥国紙(白)とは対照的。いかにも艶っぽい文の感じがただよう。 ■そのかみや 源氏はたわむれに、昔二人は深い仲であったかのような歌をよこしたが、斎院はそんなの記憶にないですと切り捨てる。■らうらうじう 「らうらうじ」は、物慣れていて巧みだ。気がきいている。洗練されている。 ■朝顔も かつて源氏はこの姫君に朝顔の花を贈った(【帚木 12】)。それをふまえ、朝【顔】を導く。 ■恐ろしや 神に仕える斎院への恋情は、そのまま神に逆らうことにもつながる。それを「恐ろしい」と。 ■野宮の 一年前の秋、源氏が野宮に六条御息所を訪ねた件(【賢木 02】【賢木 03】)。 ■やうのもの 同様のもの。六条御息所も、朝顔も、ともに神に仕えるものであり禁断の恋だからこそ心動かされる。どちらも季節は秋であるという共通項もある。

朗読・解説:左大臣光永