【松風 07】源氏、大堰邸につく 若君、乳母、明石の君と対面

忍びやかに、御前疎《ごぜんうと》きはまぜで、御心づかひして渡りたまひぬ。黄昏《たそかれ》時におはし着きたり。狩の御|衣《ぞ》にやつれたまへりしだに、世に知らぬ心地せしを、まして、さる御心してひきつくろひたまへる御|直衣《なほし》姿、世になくなまめかしう、まばゆき心地すれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。めづらしうあはれにて、若君を見たまふも、いかが浅く思されん。今まで隔てける年月だに、あさましく悔しきまで思ほす。大殿腹の君を、うつくしげなり、と世人《よひと》もて騒ぐは、なほ時世《ときよ》によれば、人の見なすなりけり。かくこそは、すぐれたる人の山口《やまぐち》はしるかりけれと、うち笑みたる顔の何心なきが、愛敬《あいぎやう》づきにほひたるを、いみじうらうたしと思す。乳母《めのと》の、下りしほどはおとろへたりし容貌《かたち》、ねびまさりて、月ごろの御物語など馴れ聞こゆるを、あはれに、さる塩屋のかたはらに過ぐしつらむことを思しのたまふ。「ここにも、いと里離れて、渡らむことも難きを、なほかの本意ある所に移ろひたまへ」とのたまへど、「いとうひうひしきほど過ぐして」と聞こゆるもことわりなり。夜一夜《よひとよ》、よろづに契り語らひ明かしたまふ。

現代語訳

源氏の君はひっそりと、御先駆も事情を知らない者は加えず、御心づかいをしておいでになった。夕暮れ時にお着きになった。狩衣姿に御身をやつしていらした時でさえ並々でない心地がしたのだから、まして、そのような御心づもりで身なりを調えていらっしゃる御直衣姿は、世に比類ないほど優美で、まばゆい心地がするので、女君(明石の君)は、悲しみにむせび泣いていた人の親としての心の闇も晴れるようである。

源氏の君は、珍しくしみじみ御心打たれて、若君を御覧になるにつけても、どうして浅い思いであられようか。今まで隔たっていた年月さえ、呆れた、悔やまれることとまでお思いになる。

大殿の女君(葵の上)腹の若君(夕霧)を、お可愛いと世間の人がもて騒ぐのは、やはり時勢にへつらって、人がそう見なすのであった。

このように、すぐれた人はその始めからはっきりわかっているものだと、若君の笑い顔が無心であって、愛敬があって美しく色づいているのを、たいそう可愛いと源氏の君はお思いになる。

乳母の、明石に下った時は衰えていた容貌も、美しく熟して、ここ幾月かの御物語など親しみ深くお話申し上げるのを御覧になって、君は、この乳母が、あんな塩焼き小屋のかたわらに過ごしていたことをしみじみ気の毒にお思いになり、またそうおっしゃる。

(源氏)「この場所も、たいそう人里離れて、訪ねることも難しいので、やはりあの私が考えている所にお移りください」とおっしゃるが、(明石)「まだひどく不慣れですので、しばらく時を過ごしてから」と申し上げるのも道理である。その夜は一晩中、あらゆることを親しく語らって、夜をお明かしになる。

語句

■御前疎きはまぜで 源氏は明石の君訪問を秘密裏に行おうとする。世間と、特に紫の上の目をはばかってのことである。 ■狩の御衣にやつれたまひしだに 源氏が明石の浦を去った時の狩衣姿のことか(【明石 18】)。ただし源氏が初めて明石の君を訪れた時は「御直衣奉りひきつくろひて」とある(【明石 13】)。 ■心の闇 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■大殿腹の君 左大臣(現摂政太政大臣)の娘(葵の上)腹の子。夕霧。 ■時世によれば 時勢におもねって。 ■山口 山の入口。前兆・兆候の意。すぐれた人は幼少の時からそのきざしが見えるというたとえ。 ■乳母 明石の君の出産に際し源氏が京から遣わした乳母(【澪標 06】)。 ■あはれに 「思しのたまふ」にかかる。 ■本意ある所 二条の東院の東の対。「東の対は、明石の御方と思しおきてたり」(【松風 01】)。 ■いとうひうひしきほどは過ぐして 下に「そちらに移りましょう」などの意が省略。

朗読・解説:左大臣光永

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