【篝火 01】源氏、近江の君の噂をきき、内大臣のふるまいを批判
このごろ、世の人の言《こと》ぐさに、内の大殿《おほいどの》の今姫君《いまひめぎみ》と、事にふれつつ言ひ散らすを、源氏の大臣聞こしめして、「ともあれかくもあれ、人見るまじくて籠《こ》りゐたらむ女子《をむなご》を、なほざりのかごとにても、さばかりにものめかし出でて、かく人に見せ言ひ伝へらるるこそ、心得ぬことなれ。いと際々《きはぎは》しうものしたまふあまりに、深き心をも尋ねずもて出でて、心にもかなはねば、かくはしたなきなるべし。よろづの事、もてなしがらにこそ、なだらかなるものなめれ」と、いとほしがりたまふ。
かかるにつけても、「げによくこそ」と、「親と聞こえながらも、年ごろの御心を知りきこえず、馴れたてまつらましに、恥ぢがましきことやあらまし」と、対の姫君思し知るを、右近もいとよく聞こえ知らせけり。憎き御心こそ添ひたれど、さりとて、御心のままに押したちてなどもてなしたまはず、いとど深き御心のみまさりたまへば、やうやうなつかしううちとけきこえたまふ。
現代語訳
このところ、世間の人が語り草として、内大臣の今姫君(近江の君)と、なにかにつけて言いふらすのを、源氏の大臣がお聞きになられて、(源氏)「とにもかくにも、人目に触れずに隠れていたはずの姫君(近江の君)を、その姫君が名乗り出てきた経緯はこじつけめいて信用できないものだとしても、あれほど大げさに弘徽殿女御の女房として取り立てておいて、あんなふうに人前に出して噂を立てられているのは、合点のいかないことだ。内大臣はまったく物事にけじめをつけすぎる方だから、深い事情も調べずに持ち出して、それが心に叶わないとなれば、こうして決まりの悪い扱いとなるのだろう。万事、取り扱いよう次第で、物事はおだやかに運ぶものであろうに」と、気の毒がられる。
対の姫君(玉鬘)は、こうした話を聞くにつけても、「なるほど、よくぞ……」と、「親と申し上げても、私は昔からの内大臣のご気性を存じ上げず、馴れ親んで参ったわけでもないのだから、名のり出たところで、恥ずかしいようなことになっただろう」と、対の姫君はおわかりになるが、右近もたいそうよく姫君にこうしたことをお知らせ申し上げていたのだ。源氏の殿は、困った御心こそ加わってはいるが、そうはいっても、その御心にまかせてごり押ししたりもなさらず、たいそう深いお思いやりがまさっていく一方なので、姫君は、しだいに源氏の殿に心惹かれて、お心をおゆるしになられる。
語句
■言ひちらす 近江の君の奇抜な言動について。 ■かごと 近江の君が内大臣の娘だといって名乗り出たこと。 ■さばかりにものめかし出でて 内大臣が、近江の君を、弘徽殿女御の女房として取り立てたこと。 ■いと際々しうものしたまふ 内大臣の物事をはっきりさせたがる性格。「よしあしきけぢめも、けざやかにもてはやし…」(【常夏 01】)。 ■かくはしたなき 内大臣が近江の君を娘として大切に扱わず、弘徽殿女御の女房として世間の笑いものにしていること。 ■かかるにつけても 内大臣が近江の君にぞんざいな扱いをしているという噂を聞くにつけても。 ■げに 内大臣の邸に迎えられるよりも六条院にとどまるほうがよいと、源氏や兵部の君が言っていたことを玉鬘は思い出して「なるほど、こういう意味だったのか」と納得する(【胡蝶 04】、【同 06】)。 ■右近 玉鬘付きの女房。もとは夕顔の女房。 ■憎き御心 源氏が玉鬘に恋心を抱いていること。 ■